壺中天

歴史、旅行、ごはん、ゲームなどアジアなことを色々つづります。

【2018】ネパール旅行記4 二大聖地を巡る

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12月28日(1) パシュパティナート・スワヤンブナート

朝は7時前に目が覚める。
急ぐ旅でもないので、8時頃までのんびりし、朝食会場に向かった。

朝食はビュッフェ形式で、パンやソーセージなど洋食のほか、ジャガイモ炒めや、豆の粉で作るネパール風お好み焼きなど地元らしいメニューも。とくにお好み焼はとても美味しく、一口サイズなのでたくさん食べてしまった。

(日替わりなので食べられたのは一日だけだった。こういう地元密着型というか家庭料理系の食べ物って、日本のネパール・インド料理屋のメニューにはないけどこういうのに限って美味しいから困る!)

この日はヒンドゥー教の聖地パシュパティナートと、ネパール最古の仏教寺院・スワヤンブナートを訪れる予定だった。

「ウーバイ!」

ホテルを出ると、ちょうど路肩にタクシーが停まっていた。呼び止められたので、パシュパティナートまでの値段を聞くと、ウーバイ!と帰ってきた。

ウーバイすなわち五百、すなわち500Rps。おお…タメルでさんざん見た対中アピールの余波がここにも。私は中国語分かるから別に支障はなかったけど、頭からこれだと困る人もいるぞ。

お値段の方はガイドさんから聞いていた適正価格と変わらなかったので、そのまま乗せてもらうことにした。 

車が走り出すと、運ちゃんが一日の予定を聞いてきた。スワヤンブナートのことを話すと、25ドルで二つとも回るよ、と提案される。ちなみにタメルからパシュパティナートまでのタクシー代相場は500Rs、スワヤンブナートは200Rs。往復に待ち時間の料金をプラスすれば、大体こんなものだろう。

――ということで、タクシーを半日チャーターする形に。

朝もやのせいか土煙のせいか、朝の街は霞んでいて視界が悪く、窓を開けていると少し咳が出た。ネパール人は朝型なので、街中はすでに賑やか。車道はすいており、20分ほどでパシュパティナートに到着した。

パシュパティナート

パシュパティナートについて

パシュパティナートはネパール最大のヒンドゥー教聖地であり、シヴァ神の聖域だ。

ネパールだけでなくヒンドゥー教世界全体にとっても重要な場所で、インドからもたくさんの巡礼者が訪れる。

バグマティ川に面したこの聖地は火葬の場でもあり、この川で火葬された者は、輪廻の苦しみから解脱できると伝えられている。ネパールのヒンドゥー教徒は、生涯を終えるとこのパシュパティナートで天に還るのだ。

実を言うと、パシュパティナートにはとても興味があった。ネパール行きを決めたきっかけはインド禁止令が出たせいだが、そもそもインドに行きたかった一番の理由はヴァラナシだった。火葬や儀式、聖者などヒンドゥー教の精神世界に触れてみたかったのだ。

パシュパティナートはヴァラナシとよく似た聖地。その願いを少し叶えることができた。

地名の 「パシュパティ」は獣、「ナート」は主で、シヴァ神の別名のひとつだ。

伝説によれば、シヴァ神はある時羚羊に姿を変えて神の仕事から逃げ出したが、他の神々に連れ戻されてしまい、その際に角を一本折られてしまった。(シヴァって常識にとらわれない系で色々話が作りやすいキャラだと思う…これもブラフマーとかヴィシュヌはやらなさそう

折れた角が発見された場所に造られたのが、パシュパティナート寺院なのだそうだ。(歴史的には5世紀のリッチャヴィ王朝時代の創建らしく、現在の建物は17世紀のもの)

20分ほどで、パシュパティナートの駐車場に到着。最初は1時間後にと言われたが足りるわけがない!!2時間にしてもらい、10:30に駐車場で合流することにした。

パシュパティナートの駐車場は寺院から少し離れており、5分ほど歩かねばならない。道は結構殺風景で、初見だと本当にこの道でいいのか?と心配になるくらい。

道の真ん中では石畳を敷設する工事をやっていて、少し埃っぽかった。


道なりに歩いていくと、法具や神にささげる花輪を売る店が並ぶ参道に出た。ようやく聖地らしい空気になってきた!

参道の右の突き当りがパシュパティナート寺院の入り口。ポールに取り付けられたスピーカーからは、ハレークシリュナの歌が流れていた。

まだ朝早いが混雑しており、サリーを着た女性たちや派手な格好のサドゥ(修行者)が寺院に向かっていく。

この濃密な聖地感、部外者の異教徒はどこから入ればいいのか、入っていいのか…ウロウロしていると、「チケットはある?」と黒いジャンパーを着た男性に呼び止められた。

門の手前にチケットブースがあったのに気づき、1000Rs支払ってチケットを買うことに。男性はそのまま、「じゃあ行きましょう」といとも自然に先導に回った。

おや?

チケット売り場の職員かと思ったら、どうやら彼はガイドだったらしい。これは気が付くとガイドツアーに巻き込まれ、ガイド料を要求されるやつだな?

パターンは読めたので、断るかどうか迷ったが、結局お願いすることにした。 パシュパティナートは観光客にも開放されているものの、生死に関わる場所とあって、部外者がどこまで踏み込んでいい場所なのか見極めにくいし、何が失礼に当たるかがわからない。それなら最初は案内してもらった方が安心だと思ったのだ。

というわけで、ささやかながらアドバイス

ガイドが必要かどうかの確認、または値段の確認もなしに「気が付いたらガイドされていた」ケースがありうるので、その気がないならはっきり断わること。説明は面白いし独特な場所なので、個人的にはガイドを頼むこと自体はお薦め。

しかしその場合も、値段の交渉は最初にしておくこと。今回はそれを怠ったので、割高になってしまった。(後述)

厳格な寺院


こちらはパシュパティナート寺院の正門(左)。
シヴァ神の聖域ということで、黄色い門にはシヴァ神のほか、彼の息子ガネーシャやクマーラ(韋駄天)、その上には太陽と月が描かれている。

太陽と月は、国旗にもデザインされているようにネパールでは重要なシンボルなのだそうだ。

右側は昔の入口。ガイドさん曰く寺院には4つの入り口があり、普通の信徒、妊婦、障害者となんとか…という話だったがリスニング力不足でちょっと曖昧。


沢山の信徒たちが門をくぐっていくが、ここはヒンドゥー教徒以外は入れないヒンドゥー教徒であっても電子機器類や革製品(殺生に関わる)の持ち込みはNGなので、厳格だ。

異教徒は寺院の中には入れないが、実は寺院の中を少しだけ見る方法がある。寺院入り口の左手には高台に通じる階段があり、そこを上るとこの広場に出る。広場の奥からは、寺院の中が垣間見えるのだ。

前の人影がガイド氏。朝もやに差し込む日差しが綺麗。
座り込んでいる一団はインドからの巡礼者で、何やら儀式の最中だった。インド・ネパールの国境は出入り自由だそう。

高台からの眺め。内部は大勢の信徒でごった返し、もうもうとお香の煙が上がっていた。シヴァ神の武器・三叉矛や聖牛ナンディ、シヴァの妻・ドゥルガーの獅子などのモニュメントがいくつか見えた。(実際見たのは下の段のフェンスの所から)

そこから更に階段を上ると、パシュパティナートの街並みや川が見下ろせる。ここではネパール建築の様式について教えてもらった。ネパール建築には3つのタイプがあり、

1つはネパール式パゴダ。ネパールでよく見る多層式の塔で、パシュパティナート寺院の建物もこれだ。日本の五重塔に似ていて、どこかなじみ深いフォルムをしている。ただし後で調べたところ、東アジアの塔と違って各階ごとに仕切られているわけではないそうだ。

もう一つがボダナートで見たような饅頭型のストゥーパ、そして最後がインド式のシッカーラ(丸みを帯びた尖搭)だ。

反対側はこんな感じ。ガイド氏いわく、この周辺は地盤が岩でしっかりしているので寺院も街も、地震の被害はあまり受けていないそうだ。矢印みたいな木が気になる。

この辺りには猿が多く、眼を合わせたら駄目だと言われた。金網に取り付いてガシャンガシャンと揺らしまくるアグレッシブなお猿様もおり、たしかに危険な雰囲気があった。

火葬ガートヘ

階段を降り、再び寺院の門前へ。ここから右に抜けると、いよいよ火葬場のあるガートだ。
ガート入り口の手前にあるこの建物は老人ホームで、身寄りのない65歳以上の老人たちが住んでいるのだそうだ。本場ヴァラナシにも死を待つ人々が集まる施設があるというが、同様のものだろうか。

ちなみに帰国後調べてみたら、この老人ホームは結構有名な施設らしく、日本も含め世界中からボランティアが来ているそうだ。

さて、彫刻の施された門をくぐり、いよいよ念願のガートヘ。

すこし緊張しながら川べりに出ると、すでに何組もの火葬が行われていて、ドライヤーで髪を焦がした時のような、蛋白質の焼けるにおいがうっすら漂っていた。

ガイドさん曰く、火葬しやすいよう竹を使って骨を折るそうで、一見残酷なと思ってしまうが、魂こそが重要で「抜け殻」としての遺体に重きを置かない価値観もあるしな。

死について考える

火葬を見学していると、新しい遺体が運び込まれてきた。遺体はオレンジ色の布にくるまれ、竹製の担架に乗せて運ばれてくる。

地面に下ろす前に何度か担架を回し、その後で担架を置いて布をめくり、死者の口に白檀をふくませる。周囲には遺族が集まっており、死者を悼む泣き声も聞こえてくる。

しかし遺体や火葬を目の前にしても、不思議と恐れも嫌悪感もなかった。 死はただ日常風景としてそこにあった。

日本において、死は不浄であり、忌むべきものとされてきた。だから物理的にも言葉の上でも、それを覆い隠して見せまいとする。確かにインド(文化圏)にも「死=不浄」という観念はあるだろう。しかし彼らは自然の摂理として死を直視し、受け入れているように見えた。

勿論それは、死者を悼まないという意味ではない。火葬場ですすり泣き、泣き叫ぶ遺族の姿は印象に残っている。そうではなく、重苦しさや身構えた雰囲気をあまり感じなかったということだ。

そもそも輪廻の思想を持つインド文化圏では死の位置づけも我々と異なっているはずで、輪廻の輪をめぐる者たちからすると、死は来世への「始まり」であり、そこから解脱する者にとっても、それは生という苦しみからの「解放」になる。

葬式は別れの儀式というだけでなく、死者を送り出す儀式でもあるのだろう。
(そう思うと、ここが破壊と再生の神であるシヴァ神の聖地というのは象徴的だ)

喪失の悲しみや恐怖、絶望感を和らげるのが「死生観」というものなのだろうが、今の日本で輪廻や来世などと言っても、鼻で笑われてしまうだろう。

そんな世の中で、死という現実とどう向き合っていけばいいのか。ただ消滅に怯えるのか。心の整理をつけるのが大事なのか。それを考え続けるのが、生きるということなのかもしれない。

……とまあ、こんなことをつらつらと考えるくらいには色々刺激的な場所だった。

二つのガート

何か理由があるのか、パシュパティナートのガート(火葬場)はいずれも西岸にある。
こちらは川の上流、寺院側のガート。

かつては王族専用の火葬場だったそうだ。上流階級ってわけですね(ドヤッ)

下流のガートは庶民用だったが、王制がなくなった今はそうした区別はなくなった。ちなみに上の写真右側で白い煙が上がっているのは、火葬が終わったところ。

水をかけて消化&遺灰を川に流しており、よくみると川に落ちた遺灰が煙を上げている。

結構決定的な瞬間が写っていた。火葬後、遺灰には手を触れず、水流で川に流すということでしょうかね。これも意味がありそう。

さて、死にまつわる施設をもう一つ。

橋のたもとに建つ二層屋根のお堂は、シヴァ神の后・パールヴァティの化身を祀るヴァサラ寺院。かつては人間(女神の生贄なので男性)が生贄にささげられていたそうだ。さすがに今は人身御供なんてできないので、動物を生贄にささげているとのこと。

ちなみにヒンドゥー教ではシヴァ、ヴィシュヌなど位の高い神はベジタリアンで、肉の生贄を求めるのはあまりランクの高い神々ではないらしい。しかし逆に、「お高く」ない分こういう神々の方がお願いしやすいのだとか。

人身御供の寺院と言うことで、軒下の絵は少々不気味。

骨のくせに何で生えてんだ、と思ったがネパールではこのタイプの絵をよく見かける。シャクティ信仰的なやつだろうか。
それは置いといて、ネパール美術の特徴にして真骨頂、緻密な木彫りが美しいですね。

お堂の中にも女性シンボルのヨーニが神体として祀られていた。

ヴァサラ寺院を見学したのち、橋を渡って川の東岸に渡った。パシュパティナートの敷地はむしろ東岸の方が広く、緑豊かな丘に沿うようにして、たくさんの寺院がある。

鳩もたくさんいる。火葬場の一番奥には堰があって、その上流の水は火葬の影響を受けないので鳩が水を飲みに集まっていた。(鳩はネパールでは神聖な動物。ボダナートにもたくさんいた)

時には事故るヤツもいて、火葬場の方で水に落ちてしまった鳩を助けるために男性が川に入っていくのも見た。ちなみに深さは膝丈くらいだった。すぐに灰で埋まってしまいそうな気もする…。

お供え物と灯明を川に流している人たちもいた。亡くなって1年後には供養のためにお供えをするという話だったと思うがちょっと自信がない。

橋を渡ってすぐの所にあるこれはシヴァ神のリンガ(男性シンボル)を祀る11のお堂で、ここから見ると、対岸のパシュパティナート寺院が綺麗に見える。

パシュパティナートの聖者たち

リンガ脇の階段を上ると寺院を一望できる高台があるのだが、時計を見たらすでに10:00を回っていた。待ち合わせまであと30分、

そろそろ時間だとガイド氏に伝えたら、最後にサドゥに会いますか?と聞かれる。サドゥはヒンドゥー教の修行者で、俗世を捨てて苦行に励む者たちだ。是非会ってみたいと思っていたので、彼らの所に連れて行ってもらった。

 (川の上流にあるサドゥの住居)

階段を上ると2人のサドゥがいた。全身に灰を塗った半裸のサドゥと、赤いフリースを着た老齢のサドゥだ。祝福をしてもらうことになり、額に赤い粉(ティカと呼ばれる祝福の証)をつけ、右手首に黄色い紐を結んでもらった。

しかしお布施で1000Rps払ったけど、本当にこんなにするのか??時間もなかったし法外というほどでもないからそのまま払ったけど。よそ者が物珍しさで写真撮らせてもらってるんだし、対価がいること自体に異論はない。

写真も撮らせていただいたが、風景の一部として人が写ってるんじゃなくもろにポートレートなので掲載はしない。

さて、ガイドツアー終了のお時間である。

きちんと値段交渉せずに来てしまったのでヒヤヒヤしながら待ち構えていると、お値段は2,000Rsだった。1時間1000Rsということだろうか?交渉の余地はあったのだと思うが、相場がよくわからなかったし、説明自体には満足していたのでそのまま払うことにした。

調子のいいことにOne more?と言われたけどお金ないんで、と2000で勘弁してもらいました。(ちなみに後で調べてみたら、ガイド料の相場は10ドル=1000Rs程度らしい。やはりちょっと高かった)

でも予備知識もあまりなかったし、一人で漫然とうろうろするより断然有意義だったと思うので後悔はしていない。東岸の展望台や寺院は見損ねてしまったので、今度はゆっくり訪れたい。参道のお店も物色してみたかった!

駐車場に戻ったのは10:15頃。タクシーはすでに来ていた。ちなみにネパールのナンバープレートはインド数字表記なのでタクシーが多いと判別が難しい!今回は1台しか止まっておらず助かったけど。

無事運ちゃんと合流し、つぎは仏教の聖地・スワヤンブナートだ。

スワヤンブナート

次なる目的地・スワヤンブナートはカトマンズ市街地の西にあり、市街地からの距離は2kmほど。その気になれば歩いても行ける距離だ。

パシュパティナートは東部にあるので、ふたたびカトマンズ市街地に戻り、通り抜けて西に行く。

道はかなり混んでおり、運ちゃんにこれが普通なんですか?と聞いたら、首相がなんとかかんとかでバイクが多い、みたいなことを言っていた。リスニング力不足が残念だけど、何やら交通規制があるのかな?

歩道には学生たちの姿もあった。ネパールの学生は制服を着ていたが、イギリスの影響が強い地域だからだろうか。女子はズボンをはいている子も多く、寒い冬でも快適そうだ。

市街地を西に抜けると舗装されていない道が増えてきて、ガタガタと車が揺れる。
家屋はまばらで、1~2階建ての家が多い。朝ほどではないが空気はまだ霞んでいた。

川を渡ってしばらく行くと、小高い丘の上にそびえるストゥーパが見えてきた。

スワヤンブナートについて

スワヤンブナートはネパール最古の寺院とも言われ、カトマンズの起源を語る伝説にも登場する重要な聖地だ。

伝説にいわく、
かつてカトマンズ周辺を覆っていた湖の中央から蓮の花が咲き、中から大日如来が生まれた。中国にいた文殊菩薩は彼に会うためネパールを訪れ、剣で山を切り開いた。
すると湖は干上がって、蓮の花が咲いていた島は丘に、蓮の花はストゥーパに変わった。
それがスワヤンブナートのストゥーパで、スワヤンブには「自ら生まれる」という意味がある。

ちなみにカトマンズ一帯が昔湖だったというのは事実で、カトマンズ盆地の繁栄は湖底の肥沃な土のたまものなのだ。

丘のふもとに近づくと、急な石段が見えて来た。入り口までは車で行けるよ、と言われほっとする。(後で調べたら、頂上までは365段!熱心な巡礼者はここから上るそうだ)

南周りに丘を迂回し、坂道を登りきったところにある駐車場で車を降りた。到着は10:50頃。集合は12:00ということで、1時間ほど見学時間を取ってもらった。

入り口はこちら。

赤い衣の男性はチベット仏教の僧侶。よく見たら屋根の上にもミニストゥーパ!ちゃんと顔もついてて可愛い。門の左手前にある煉瓦の小屋がチケットブース。

200Rsを払って中に入ると、ストゥーパが並ぶ広場に出る。タルチョのお祭り感も加わって、賑やかでこれまた可愛い。

ストゥーパの根元で眠る犬たち。ネパールではこうやって寝そべっている犬をよく見かけた。ネパールで犬は死後の道案内をしてくれると考えられ、大切にされているんだとか。

メインのストゥーパまでは石段を登って行く。階段は左右に二本あり、チベット仏教のマナー的には左が正しいのかと思ったが、見る限り、特に決まりはなさそうだった。階段の途中には托鉢中の僧がおり、通りすがりにお布施をしている人もいた。

階段を上りきると土産物屋やカフェがあり、さらに奥に進んでいくと、小さな仏塔(チャイティヤという)が並ぶ大きな広場に出た。
まだ復興作業中なのか改修中なのか、地面には木材が散乱している。

そして、スワヤンブナートと言えばお猿様。
スワヤンブナート寺院は別名「モンキー・テンプル」と言い、境内にたくさんの猿がいる。(↓よく見たらすごいことになってる!)

ヒンドゥー教では聖なる動物だが、ここは仏教寺院だよなぁと思って調べてみたら、文殊菩薩が寺院を建てた後、彼の髪にいたシラミが猿に変じて寺に住むようになったという伝説があるようだ。まぁネパールはヒンドゥー教徒が多いし、伝説どうこうは関係なく大事にされているんだろう。

餌付けは禁止されていないようで、地面には彼らが食べたと思われるピーナッツの殻が散らばっていた。

広場の周りは土産物屋で、仏像・仏画などの宗教用品やネパール土産が売っている。 CDを売ってるのか、オンマニぺメフム~というボダナートでも聞いた念仏ソングが流れていた。

ボダナート滞在が長かったのもあって、歌えるようになっちゃったよ……オンマニぺメフム~♪

スワヤンブのストゥーパ


先にボダナートに行ってしまったせいだと思うが、こちらのストゥーパは思ったより小ぢんまりしているな、という印象だった。

周囲もお堂やチャイティヤで埋め尽くされているため、ちょっと手狭な感じがある。こうして比べてみると、やはりボダナートのストゥーパは桁外れのスケール感。 

さて、画像検索などすると、割とごっちゃにされてる感のあるこのストゥーパ両雄、よく見ると結構個性が違って面白い。

ボダナートのストゥーパ(左)は頭上の相輪(段々の所)が四角形だがスワヤンブ(中央)は丸いし、目も黒目がちのぱっちりお目目と神秘的な切れ長目でかなり印象が違う。

やはりストゥーパの個体識別くらいできないとネパール好きとは……言えないのかどうかは知らんが、1つ1つ細かく見ていくと中々味わい深いものがある。個人的には右のションボリ顔と、真ん中下の眉毛のきりっとしたイケメン顔が好き。

スワヤンブナートは小高い丘の上にあるので、カトマンズ市内が一望できるのも特徴。見晴らしは抜群によかったのだが、この日は空気がかすんでいてあまり遠くまで見えなかった。東向きなので、天気が良ければ朝日も綺麗に見えるのだろう。

話は再びストゥーパに戻る。

訪れた時、ストゥーパはちょうどお色直し中で、表面の塗装やタルチョの架け替えが行われていた。上には梯子が立てかけられ、よく見ると相輪部分には鎖もある。これを伝って上に登るようだ。いきなり上からタルチョが降ってきたのにはびっくりした!

麓では、作業員のおじさんがバケツから黄色い塗料を巻いていた。ストゥーパ表面の花模様はこうやって作っていたのか。
ボダナートではどうしてるんだ?と思って画像を調べてみたら、下からも塗料を撒いているようだ。

確かにスワヤンブの模様は谷型で一重のみ、ボダナートの模様は二重で上が谷型、下が山型。なるほど~。しかし、意外とテクニックが要りそうな作業だな。失敗できないし。

落ちたタルチョを奪い合うお猿様。お元気そうで何よりでございます。

ストゥーパの外周にはもちろんマニ車もついており、善男善女が回しながら歩いていた。

こちらは女神ハリティー鬼子母神)のお堂。かなりの人気があるお堂で、参拝者がずらっと並んでいた。子供を守る神ということで、やはりお母さん方の信仰を集めているのだろうか。

境内はそんなに広くないので、1時間あれば十分見学できた。5分前には駐車場に戻り、運ちゃんと合流。あとはタメルに戻るだけだ。

つづく
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