【本ブログについて】
歴史文化、海外旅行、日本のアジアスポット探訪、ゲームや映画など、中華系メインにアジア関連の趣味について書いております。
2023年までは「ひとり水都部」名義で水都百景録ブログとして活動していましたが、コロナが明けて行動範囲が広がったりゲームの展開も縮小したので対象を広げました。
【サイトマップ】
以下、コンテンツ別に主要な記事のリンクをまとめています。比較的需要のあるものやシリーズ化しているものを優先しているので、全部の記事は載っていません。
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海際から聖オーガスチン教会にかけての地域には、「夜呣街」や「夜呣里」など、「夜呣」と名前の付いた道がいくつかある。夜呣街のポルトガル名はRua do Gambõa。これらは18世紀のポルトガル商人・ガンボアに由来している。
さらに19世紀、一帯はアヘン倉庫やクーリー貿易の商館が集まり、治安維持のための番所や門も各地に作られていた。墓地だった紅街市界隈とは別の意味で、陰の世界を感じさせる独特の場所だ。
「夜呣」の名を辿りながら、ちょっとダークなマカオを歩いてみよう。
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営地大街に面する路地のひとつ、小新巷。内部は住宅や事務所が多めで、飲食店や生鮮食品店のある路地は衛生的な抵抗感がある……という人にも歩きやすい道だ。
ここは結構宣伝に熱心で、庇山耶街側の門をはじめあちこちにポスターや案内が貼ってある。その内容に従って、道の謂れを辿ってみよう。
下環街から聖ローレンス教会の辺りには煉瓦造りの古い建物がいくつか残っており、思いがけず見応えがある場所だ。特にこの辺りにある南巫圍、鳳仙圍、幻覺圍、六屋圍は「下環四圍」と合わせて呼ばれ、昔ながらの住居や生活の名残を今に伝えている。
今回はそのうち実際訪れた「幻覺圍」と「六屋圍」を紹介したい。どちらも19世紀末~20世紀初頭に作られ、古建築が残る歴史ある小路だ。
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マカオ半島中東部の紅街市から蓮渓廟にかけてのエリアに行くと、ポルトガル的な風情は鳴りを潜めるようになる。
それも当然で、かつてこの辺りはポルトガル人居住区の外に位置する、郊外の田園地帯だったのだ。
ポルトガル人街の城壁の外、マカオ半島の北部には中国人の住む村落がいくつかあったそうだが、今回は紅街市から蓮渓廟に至るエリア、かつて「沙崗村」「新橋村」があった地域を取り上げたいと思う。
代表的な村について、今の地図にマークしてみた。この辺りはかつて広大な田園地帯で、人口密度が低く墓地が多い場所でもあった。19世紀半ばになると、ポルトガル勢力が一帯を占領し都市開発を進めたが、墓地を取り壊すなど強引なやり方は物議も醸し、一方で華人の大商人・盧九が開発の一翼を担ったりと、色々な利害が渦巻いて作られた複雑な場所でもある。
今では露天市場や商店が集まる楽しい場所で全くそんな事情は感じさせないのだが、地名や街角に残る、過去の名残を辿ってみよう。
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営地大街の近くにある路地の一つで、帝室の血を引く名家・趙家と縁が深い「趙家巷」(Travessa da Porta)。路地に面した趙家の邸宅跡「趙家大屋」はマカオ政府文化局が修復を予定しているようで、数年もたてば観光地としてオープンするかもしれない。
一方で、ここは路地裏に所狭しと店舗・屋台が並ぶ、庶民的な活気に満ちた場所でもある。「趙家大屋」の修復により美しく生まれ変わるのか。一方で路地の生活感は消えてしまうのか。色々な意味で注目している路地、「趙家巷」を紹介したい。
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