壺中天

歴史、旅行、ごはん、ゲームなどアジアなことを色々つづります。

【2018】ネパール旅行記3 鐘の音とクラクション

前:ネパール旅行記2 ボダナートの夜
次:ネパール旅行記4 二大聖地を巡る
12/27 ボダナート・カトマンズ
ネパール旅行記その3。ボダナートを離れ、カトマンズ市内へ向かいます。

ボダナート2日目

ゴーン、という鐘の音で目が覚めた。

5,6回は鳴っただろうか。時刻は6時ちょっと前、カーテンを開けるとまだ空は真っ暗。
しばらくするとプージャ(礼拝)の太鼓やラッパの音が聞こえてくる。賑やかな音に誘われテラスに出てみたら、沢山の巡礼者が集まっていた。

薄暗い巡礼路はお香の白い煙で満ち、地面に商品を並べる露天商たちの姿も見える。ストゥーパの敷地内にある礼拝場は、早くも五体投地()で祈る人々で込み合っていた。裏道の商店がシャッターを上げる音も聞こえてきて、早朝とは思えない活気。

(後から撮ったものだけど、これが礼拝場。五体投地用にマットが敷いてある。修行体験なのか、先生と思しき人と一緒に瞑想している欧米人もいた)

下りて行きたいところだったが、眠かったので二度寝してしまった。今思うと、とても勿体ないことをしたと思う。 

ボダナートが一番聖地らしい=面白いのはおそらくこの時間帯なので、ボダナートに行くならストゥーパ周辺に宿泊するのがおすすめだ。

※)その名の通り、五体を投げ出すようにして礼拝をする作法の一種。熱心なチベット仏教徒には道中ずっと五体投地をして聖地まで巡礼する人もいるそうだ。

朝食と巡礼路の朝

結局、起き出したのは8:00頃。朝食つきだがホテルに食堂はないので、少し離れた所のレストランでいただく。小さいホテルだとたまにあるパターンだ。

メニューは洋食、中華、ネパール式から選べ、もちろんネパール式を注文。内容は、カレーポテトと「モモ」とミルクティー。この「モモ」は中身のないマントウだった。

昨日のといい、モモというのは餃子だけでなく小麦粉で包む料理全般を指す言葉なのか?ネパールのミルクティーは濃厚でとても美味しく、すっかり気に入ってしまった。

レストランは2階にあり、窓からはストゥーパの巡礼路が見渡せる。外を見ていると、この時間帯は純粋に信仰のために来ている人が多いように見えた。お坊さんや民族衣装を着たチベット人、エプロンをつけ、五体投地でコルラ(聖なるものの周りをまわること)している人も見かけた。 

寺院探訪

チベット仏教の聖地であるボダナート地区には寺院や僧院が非常に多く、中には宿泊・修行体験を受け付けているところもあるそうだ。ストゥーパ周辺にもいくつか寺院があったので、見学させていただいた。

まずはストゥーパの入り口付近にあり、ひときわ目立つグル・ラカン・ゴンパ

サキャ派チベット仏教最古の流派)の寺院で、インドからチベットに仏教を伝えた高僧パドマサンバヴァを本尊として祀っている。3階建てで、本堂は2階。内部には本尊のパドマサンバヴァのほか仏陀観音菩薩チベット仏教を国教化した吐蕃のティソンデツェン王などが祀られていた。


大迫力な四天王図。チベット仏教の四天王はいわゆる封神演義式で、持ち物は剣、傘、琵琶、獣になっている。

チベット仏教の絵画はやっぱり独特。色彩豊かで緻密でちょっとおどろおどろしい画風や、踊る骸骨や男女の仏が抱き合う父母仏(ヤブユム)など、ともすれば人が覆い隠し、直視しまいとするものを平然とつきつけてくる感じがある。

でも恐ろしいと思いながらも目が離せなくなってしまう独特の引力を感じる。

残念ながら屋内の写真撮影は禁止されていたが、あの絵の数々は薄暗い寺院内で見てこそという気もする。

ちなみに仏教文化に興味がない人でも、このお寺はお薦めです。なぜなら屋上からストゥーパの眺望を楽しめるから。ストゥーパを上から見ようと思うと、ホテルに泊まるか屋上席があるレストランに行くしかないが、ここなら無料で見ることができる。 

屋上には小さなお堂があり、その前のスペースには大量のバターランプが置かれている。お寺の職員が溶かしたバターをヤカンに注ぎ、次々ランプを作っていた。


右奥に見えるのはランプ奉納用の小屋。中はかなりの熱気なうえ床はバターでぬめっており、気を抜くと滑りそう。ヤクバターではないのか、チベットで感じた独特の臭いはなかった。

最後に1つ忠告。お寺で線香を渡されても受け取ってはいけない。
最初は面白そうだと思って言われるがままお参りしていたが、最後に寄付をさせられてしまうので注意

展望料・拝観料だと思って500Rpsお布施はしたが、額は任意とはいえ、事前に何も情報を与えずにただ線香を渡して寄付をさせる…というのは詐欺のようでいい気分ではない。

境内や屋上の見学料として、幾らか心づけしても構わないと思っているなら受け取ってもいいと思うが、その気がない場合は断ろう。

こちらは巡礼路沿いにあるもう一つのお寺、シェンチェン・ゴンパ


巨大な弥勒仏の像があるが、それより左下のダライ=ラマに目が行く。ネパールでは堂々と祀れるのだなぁ、としみじみ。

ストゥーパの周りにはいくつか寺院があるが、どこかしらいつも儀式をやっていて、笛や太鼓、鐘の音が鳴り響いてまるでお祭りのようだった。

ふたたび路地裏へ

ストゥーパ周りはもう十分堪能したので、少し脇道にそれてみることに。巡礼路の外側に出ると、そこには市民の生活空間がある。

一見のどかだが、狭い道を容赦なく車やバイクが行き来し、クラクションの音もひっきりなしに聞こえて中々慌ただしい。

さらに外れた所に行くと、犬が爆睡していたり家具職人がニスを塗っていたり、なんとも和やか。右の赤い建物は僧侶が暮らす僧院。

ボダナートにはあちこちにこういう僧院がある。

バターランプの奉納所もあった。これもまた日常。

聖地to俗世

ガイドさんとの合流は15:00。1時間前には散策を切り上げ、最後に昼食を食べる。ストゥーパ周辺にはルーフトップのレストランやカフェが多く、ストゥーパを見下ろしながら食事ができるようになっている。

今回利用したのはその一つ、ゴールデン・アイズというレストラン。最上階のテラス席が空いていたので、ストゥーパに面した席に陣取った。

頼んだのはチリポテトとチョウメン(チベット風焼きそば)、そしてバナナラッシー。

チリポテトはジャガイモと玉ねぎをトマト風味の辛味ソースで和えてあり、生野菜のダイコンやニンジンがついている。野菜たっぷりのヘルシーな昼食になった。

ホテルでガイドさんと合流し、ボダナートの外へ出た。

聖地を一歩出ると、ご覧の通りの喧騒地帯。車はせわしなく行きかっているわ、乗り合いバスの呼び込みをしているわ、道は土っぽく舗装されていないわ、大変賑やかというか騒がしいというか、エネルギーに満ちた空間である。むしろこっちの方がネパールの「素」のようだ。

アニメストアもある。コスプレもするんだ…

送迎の車が来ると、ボダナートに別れを告げ、いよいよカトマンズ中心部へと向かった。

苦戦のカトマンズ

送迎車に乗り、ボダナートからカトマンズへ向かう。

市内中心に近づくにつれて都市化の度合いも進み、ショッピングモールや映画館などの大型施設も見かけるようになってきた。

30分ほど車に揺られていると、旧王宮(ナラヤンヒティ宮殿)の赤い壁にさしかかった。ネパールでは2008年に王制が廃止され、現在旧王宮は博物館になっている。大体のイメージとして、この王宮を右上の頂点にして、約1㎞四方がカトマンズの中心部だ。
(以下、登場地名はこちらの地図でご確認いただきたい)

カトマンズについて

ネパールの首都カトマンズは、ちょうど国土の中央付近にある。なんとなく高い山の上にあるようなイメージだが、盆地にあるため標高は約1300mと低めで、高山病の心配はない

カトマンズ盆地の肥沃な土地は文明や国家を生み、ネパールの歴代王朝はいずれもこの場所に中心を置いてきた。そのため今でもカトマンズ周辺には、寺院、宮殿、歴史的建築など文化遺産が集中している。

そもそも昔は「ネパール」といえばカトマンズを指していたらしい。我が国で言うと、「大和国」=奈良盆地のような所だろうか。

混沌の予感

王宮を通り過ぎて西に向かうと、ホテルのあるタメル地区に入った。
この辺りは路地が迷路のように入り組んでおり、一車両通るのにもギリギリで、むしろ「そこ通っちゃう?」と思うような細道もざらにある。

しかしドライバーさんは手慣れたもので、狭かろうが対向車が来ようが、器用に道をすり抜けていた。

カトマンズでの宿は、ホテル・フジ。日本と縁の深い宿のようで、フロントにもお祭りの法被など和風な飾りつけがされていた。部屋は広くて清潔感がある。不便だったのはドライヤーがないことくらい。

荷物整理を済ませると、さっそく散策に出発した。地理感覚を掴みがてら、ランドマークのダルバール広場まで往復するか~、などと軽い気持ちでいたわけだが、

甘かった。

ボダナートに1日滞在し、ネパールには慣れたつもりでいた。しかしカトマンズ市街地は、囲い込まれた聖地とは全くわけが違っていた。この日の夜は、「ここに1人置いてかれるのか!」という、ネパール到着時に感じたあの心細さを再度味わう羽目になった。それほどまでに、カトマンズの街は手強かったのである。 

 何故か?

まずはこのタメル地区の様子を見てもらうと、少しわかるかもしれない。

タメルの雑踏

カトマンズ中心部の北西に広がるタメル地区

「旅行者のゲットー」という表現をどこかで読んだことがあるが、言いえて妙だと思う。土産物から登山用品、本屋、ホテル、カフェ、各国料理のレストランにマッサージ店、旅行社など、旅人が必要とするありとあらゆる店と品物がこの場所に凝縮されている。

まさに雑然という言葉がぴったりの場所で、狭い通りの上空には各国語の看板が所狭しと張り出し、無国籍地帯のような雰囲気。もちろん行きかう人も、欧米系、南アジア系、東アジア系など多種多様だった。

ちなみに歴史は意外と浅く、タメルが安宿街として発展したのは1980年代以降。

かつてこの辺りは王族(20世紀半ばに失脚したラナ家)の邸宅が並ぶ住宅地で、その邸宅の一部を買い取って1960年代に開業した「カトマンズ・ゲストハウス」がタメル最初のホテルとなった。とくに1990年の体制変革後はホテルの数が激増し、今に至っているようだ。

セブンじゃないよ、エベレストだよ。

タメルに溢れる外国語のうち、特に目立ったのは中国語だった。多くの店頭に簡体字の張り紙が貼られており、チャイナマネーの誘致に熱心。中には「毛沢東可以(OK)、江沢民可以、習近平可以」と露骨な文面も。チベットからの亡命者もいるだろうに、いいんかいな?と思って調べてみたら、

ネパールは近年、インド頼みを克服するため中国との経済関係を強化しており、観光客のビザも免除されているのだとか。

ネパールはそれこそ古代から吐蕃チベット)とインドの間にあって、外交を駆使して生き残ってきた国だもんなぁ。

おためしカトマンズ

上の地図でも確認した通り、ネパール中心部の見どころは1㎞四方に集中している。しかし実際歩いていると、あまり狭くは感じない。

街の「密度」がものすごいからだ。

道路が入り組んでいるため実際の移動距離はもっと長いし、その狭い道を人や乗り物(車、リクシャー、バイク)がひっきりなしに行き来するから気が抜けない。

しかもその構造上、カトマンズ市街地は迷いやすい。道が複雑なうえ似たような景色が多く、さらに左右が高い建物で囲まれているため、ランドマークや天体を手掛かりに現在地を予測するのも難しい。分かれ道も多いので、気が付いたら明後日の方向に進んでいたこともあった。

通りには一応名前がついているが、目立つところに表示があった記憶はない。

というわけで、直線距離ではあまり遠くないはずのダルバール広場に行くのにも、かなり手間取ってしまった。(精神的にも肉体的にも)

アサン・チョークの市場

宿を出たのは夕方だったので、日はすぐに沈んでしまった。

冬のネパールは日中の寒暖差が激しく、日が出ていない時間帯は厳しく冷え込む。寒さと暗さに余計心細さを感じながら歩いていると、行く手になにやらキラキラした建物が見えてきた。

ようやくダルバール広場か?と期待を込めて路地を抜けると……

開けた空間に、美しい寺院が建っていた。看板によれば、ここはアサン・チョーク

複雑に入り組んだカトマンズの細道は、チョークと呼ばれる広場によって連結されているが、このアサン・チョークは6本もの道を結ぶ、旧市街の一大ジャンクションだ。

広場中央には警察の詰所やバイクの駐輪場、そして寺院や祠がある。周辺一帯は食料品市場になっており、ジュートの袋に詰まった香辛料や岩塩、お米、野菜などが店舗や露店に所狭しと並べられていた。

ひときわ目を引く金色の塔はアンナプルナ寺院。アンナプルナというと山の名前だが、元々は女神の名前であるようだ。彼女は施しと食物の女神というから、市場の守護神なのだろう。ご神体は銀色の壺の形をしている。

ここに差し掛かった頃には若干ダルバール広場まで行く気力が失せていたが、現在地がわかったことでモチベーションが上がってきた。

ダルバール広場に続く分かれ道を慎重に選び、さらに南に下っていく。アサン・チョークを南に抜けると、衣料品や布地の店が集まるインドラ・チョークだ。

夜のダルバール広場

市場エリアを抜けると、ようやくダルバール広場にたどり着いた。

ダルバールは「王宮」の意で、王宮と寺院が集まる、かつての街の中心地だ。

右手の像はヒンドゥー教の神様・カーラ・バイラヴ。カーラは黒、バイラヴ(バイラヴァ)はシヴァ神の破壊的な側面を表す化身だ。

その奥に進むと左手に旧王宮(前述した王宮よりも古い、いわば前々王宮)があり、警備員が門前を固めている。その向かいの広場には、地震で倒壊した寺院の土台が痛ましい姿を見せていた。

広場の石段で足を休めていると、「安くいていい男の子どう?」とキャッチのおじさんに声を掛けられた。ノーセンキューと突っぱねたらそれ以上絡んでこなかったので良かったが、こういう怪しい手合いもいるよということで書いておく。

まぁそんなこともあったし、暗かったのであまり長居はせず引き返した。


こちらは王宮の西側にある、アショク・ビナヤクという小さな祠。
小さな金のお堂の中に、赤い顔をしたガネーシャが祀られている。人気のあるお堂で、次から次へと参拝客が訪れていた。

鐘を鳴らし、祈りの仕草をする(額や胸に手をつける)のがヒンドゥー式の礼拝の作法のようだ。

ただ前を通り過ぎるだけでも、祈りの仕草で敬意を示す人が多かった。しかし人よりも神の方が多いと言われるカトマンズ市内にはものすごい数の祠があるので、いちいち挨拶をしていたらあっという間に一日終わってしまいそうだ。

ホテルまではどの道を通るか迷ったが、市場エリアの複雑な路地はトラウマになっていたので、広場の西側から伸びる、比較的わかりやすそうな一本道を通ることにした。

地図で見たら比較的大きな通りに見えたが、実際はこんな感じ。

確かに行きに通ってきた道よりは広いが、薄暗く人通りも多くない。とはいえ普通の商店街なので、治安が悪そうな感じはなく、お店で買い物したり、家路を急いだり、祠にお参りしたりという日常風景があるだけだった。

まあ、日本でも都市部を離れればこんな感じだし夜は暗いのが当たり前だ。すぐに暗い!怖い!危ない!となるのは、光量過多の都心で育って耐性がないんだろう。

カトマンズはつくづくお寺や祠が多く、この道にもガネーシャやサラスヴァティ、リンガ(シヴァ神の男性シンボル)などヒンドゥーの神々が祀られていた。

黙々と歩いていると、リクシャー(人力タクシー)の運ちゃんがクラクションを鳴らして合図してきたが、まだ脚に余裕があるので利用はしなかった。

この道の突き当りは、6本の道が交わるチェトラパティ・チョーク。ここを徒歩で一人歩く心細さがおわかりだろうか…

ここから北東に進むとタメル地区で、ようやく見覚えのある道に帰りついた。電飾で飾り立てられ、ナイトライフを楽しむ人々で溢れるタメルはとても楽しそうだったが、写真に収める気力も探検する気力もなく、ホテルに直帰。

いろんな意味で疲れてしまった。

ダルバートで一息

夕食はホテル付近のレストラン・ガイアにて。

メニューは洋食や各種アジア料理など種類豊富。旅人のあらゆるニーズに応えるタメル地区ではメニューも多国籍仕様な店が多いので、南アジア系料理が苦手でも食事に困ることも飽きる心配もない。

今回はせっかくなのでネパール式定食・ダルバートを注文した。

メインはダール(豆のスープ。おかゆのようなあっさり味)、トマト風味のベジタブルカレー、ほうれん草の炒め物、豆の粉を焼いたせんべいのようなパパード、生野菜の盛り合わせ。

スパイスがふんだんに入ったインド料理とは少し異なり、ネパール料理はマイルドで優しい味。

野菜多めでヘルシーだしあまりスパイシーではないので、胃腸に負担がかからないのが有難かった。

2日目の行程はこれで終わり。
ボダナートの鐘の音に始まりカトマンズの喧騒に終わる、聖から俗への急転直下の一日だった。 

つづく
xiaoyaoyou.hatenadiary.jp