1つ企画を始めました。とはいえ何か大掛かりなことをやるわけではなく、今まで集めた土地神の写真を情報付きで整理して、9月のマカオ旅行で本格的な収集を決めたという、それだけです。
相変らずの独り相撲ですが、ちょっとでも土地神とその文化に興味を持ってくださる方がいたらうれしいです。
What's"土地神"?
そもそも土地神とは何か?
それは中国および華僑の間で祀られている土地の神様で、中国の歴史が古い所(農村や古城など)や南方中華圏(香港やマレーシア、シンガポールなど)に行くと大抵、戸口や街角に土地神の神棚や祠がある。
そして私は、土地神マニアを自称するくらいにこれが大好きである。
何故好きなのか、と言われると難しい。理屈ではないと思うけど敢えて言語化するならレトロチャイナ感、または民間信仰に興味があること、
またはこういう、日常に潜む非日常的な光景が好きだとか。とにかく見かけるとつい撮ってしまう。
こういう祠や神棚は幾つも見ていくとデザインや色も様々だし、家の外装との組み合わせも見所だし、土地神の祠なら神の姿も単体像、夫婦像、位牌、石だけのプリミティブなものなど様々で段々そのバリエーションが面白くなってきて、意識的に記録するようになったのである。
感覚としてはマンホール集めとかに近いような気がする。公共物じゃないものもあるし神仏だからグレーな感じあるけど…百度知道で「門口土地神は撮っていいの?」って質問があったから見てみたら、マナーを弁えれば問題はないという答えが多かったので大丈夫かな。営利活動するわけでもないし。
元々お地蔵さんとか道祖神とかヨーロッパでも街角の聖人像とかにときめく生き物なので、ストリート系神様が好きなんだろうと思う。
何故好きなのか?
理屈ならある。信仰というのは要は世界観であり死生観で、こうしたものは「その土地の人たちがどんな『世界』で生きているか」を教えてくれて面白いのだ。特に寺院や教会と違って、権威を介さない存在ゆえに生々しくそれを語ってくれる。
でも、起源はもっとシンプルだと思う。小学校の通学路の裏路地に何故か小さな馬頭観音像があって、それが気に入ってその道ばかり通っていた記憶もある。その時は、小難しいことなんて考えてなかった。日常の中の非日常、「ちょっと不思議」な感じが気になる。そういうワクワク感みたいなものがあったんだと思う。
こういう本だってあるし、方向性的にはありなんじゃないか!?いつか土地神ずかんを作りたい。
自分語りはさておき、以下この企画についてのガイダンスです。
土地神とは
土地神とは何かというと、その名の通り土地を守り住民を管理する神様のこと。「大地の神」という大掛かりな神格ではなく「土地の人」や「土地勘」という時の「土地」、つまり地元の守り神である。
現世主義の中国では神界の仕組みもまことに現実的で、地上と同様の行政機構が存在する。その頂点にいるのが玉皇上帝(天帝)で、現実の地方官と同様、各地にその土地を治める神々がいるのである。
そのうち県知事クラスに当たるのが城隍神、そして町長・村長クラスに当たるのが土地神である。これらの神々の仕事は、管轄地を災害や戦乱から守り(※)、住民を監督すること。具体的な内容については後述。
土地神の呼び名は色々あり、一般的には「土地」や「土地公」「土地爺」、福建系では福徳正神、客家系では伯公・大伯公ともいう。
福徳正神と伯公の合わせ技@シンガポール。神像の顔が黒いのは福建式か(福建移民が母体の台湾でも顔が黒い神像をよく見る)。
またマレーシアでは土地神によく似た「嗱督公」という神様の祠を見かけたが、これは現地の神格と華僑の土地神信仰が習合したものらしい。
(※)たとえば上海の城隍神には、清軍の江南侵攻時に住民が皆殺しにされそうになった時、清の将軍の夢枕に現れておどかし、街を救った伝説がある。 |
土地神の地位
霊界の官僚制度にもヒエラルキーがあり、土地神が属する部門はこのようになっている。霊界の住民(幽霊・霊魂)を管理する部門である(※1)。
神名 | ポジション | 今でいうと… |
①東岳大帝(泰山府君) | 冥界の元締め | 国務大臣(※2) |
②城隍神 | 都市の守護神 | 知事・市長 |
③土地神 | 町村の守護神 | 町長・村長 |
の順になっており、その下に④竈神(家の守り神)が加わることもある。
土地神は基本的に身分の低い神で、『西遊記』では孫悟空が行く先々で土地神を呼び出し情報収集をするが、大体あごで使われている(色んな意味で孫悟空だから仕方のない所はあるが)。
当然出世して高位を目指す者もいるわけだが、清・袁枚の志怪小説『子不語』には、付き合いの上手い奴は異例の出世が出来るが、真面目に務めるだけだと三年に一度の勤務評定に賭けるしかない…とぼやく土地神が出てくる。霊界も世知辛いのである。
※1)トップの東岳大帝は中国の五大名山「五岳」の「東岳」、すなわち泰山の神。泰山には昔から、霊魂が集まるという信仰があった。ちなみに仏教が広まるとご存じ閻魔王(十王)が冥府の元締めとされるようになるが、民間信仰だと両者が混ざり合っており、本記事では東岳大帝で統一する。次の城隍神は、都市の守り神。昔の中国の都市は城壁で囲まれていたが、城は城壁、隍は濠のこと。今でいう県庁や市役所がある町が城隍神の本拠地であり、その管轄する地域の鎮や村を預かるのが土地神である。 |
※2)今の日本は地方自治なので該当する役職がないが、戦前の「内務大臣」と言ったところか。 |
土地神の職務
1.霊魂の管理
土地神の重要な仕事の1つに、死者の霊魂の管理がある。
人間の運命は東岳大帝が所有する帳簿に全て記載されているが、大帝は寿命が来るとその人間がいる地域の神に命令を下し、魂を連行させるのである(※)。
そのため土地神も東岳大帝からの書類を通じて、管轄地の人間の寿命や運命を把握している。もし寿命が尽きないうちに連行の使者が来る等、不審なことがあると上官に報告したり様子を探ったりする。さらに、東岳大帝の裁きを受けて輪廻の輪に入るには順番待ちが発生するので、転生を待つ幽霊を監督しなければいけないのである。
3.訴訟の解決
もう一つ重要な仕事が、訴訟の解決である。これは実際の地方官の仕事を反映したものと思われるが、例えば幽霊間でトラブルがあった時、または生者と死者の間でトラブルがあった時には土地神に訴え出て裁定を仰ぐことになっていた。
なので、中国では恨みを飲んで亡くなった人物がかたき討ちをしたい場合、正規の手続きとしては土地神や城隍廟神に訴える必要がある。
例えば『三国志演義』で関羽が死後呂蒙や曹操にたたるが、あれは不法な「私刑」であり、本来ならしかるべき手続きが必要なのである。
ちなみに、生者が裁かれる場合は法廷に夢で呼ばれ、裁きが下った後に現実世界でその刑を受けることになっている。死刑の場合は死亡し、弁償をする場合は死者のために紙銭を焼く(※3)のである。
※1)志怪小説を読むと、令状に書き間違いがあったり、または冥府の下役として勤めていた霊魂が身内を守るためにわざと別人の名前を書いたりと色んな展開があって面白い。 |
※2)寿命を削ったり、または来世の寿命を前借りしたり。あくまでその人間の持ち分からやりくりしているのを見ると、軽率に増やすことはできないようだ。 |
※3)紙銭についてはこちらの記事を参照。 |
土地神の歴史
土地神信仰の歴史は長い。というのも、農業社会である中国では古代から土地の神を信仰する習慣があったからだ。土地神は「社神」と呼ばれていた。示す偏+土で、「土の神」である。
周代にはすでに土地の神である「社神」と穀物の神である「稷神」の祭祀が制度化され(『礼記』)、周王から諸侯、その家臣(卿・大夫・士)は領地の門外に必ず神壇(社壇)を建て、五色の土でこれを祀った(※東西南北中の五方の土地神を表す)。
実りをもたらす社稷の神の祭りは国家にとっての死活問題、ゆえに孟子は「民が一番、社稷がその次、それに比べれば君主は軽い」と述べ、「社稷」の語は「国家」の意味でも用いられた。
というわけで、歴代王朝は社稷の祭祀を欠かさずおこなった。当初社・稷の神は同じ社壇に祀られていたが、漢の平帝以降はこれを別々に祀るようになり、明の初代・洪武帝朱元璋が周代の制度に倣ってこれを一体化させ、「社稷」を同じ壇に祀るようになった。
洪武帝はさらに、社稷の祭祀を民間まで行き渡らせることで国家の統合をはかった。その結果百戸ごとに社稷の神壇が設けられ、街の区域や村落に至るまで、民間で広く社稷の神=土地神が祀られるようになったのである。
土地神のタイプ
中国本土では、特に毛沢東による共産主義化政策や文化大革命によって伝統文化や民間信仰が打撃を受けたため、例えば北京や上海などの主要都市に行っても土地神を見ることはほとんどない。
しかしこうした伝統を残す農村や中国南部(広東、福建など)、または華僑のいる所(マレーシア、シンガポールなど)に行くと今でも土地神が祀られている。しかしその祀られ方も色々あるので、ここで少しそのバリエーションに触れておこう。
以下は大体マカオで撮影・収集したものである。
1.祀り方のバリエーション
A神壇型
古来の土地神=社稷神をまつる本来の形がこの「神壇型」である。前述したように、洪武帝以来の制度に従って建設されたもので、マカオではこのように、台座の上に三方を囲む石板があり、アンティークなソファーのような形をしている。
壇の上には「(地名)社稷の神」「本坊土地神位」などの文字が書かれた石碑(神位)が設置されているが、神位を石で作るようになったのは明の嘉靖年間(16世紀)からで、それ以前は木製の神位を祭祀の時だけ表に出していたそうだ。
B土地廟型
屋根のある「やしろ」型の廟で、神壇とは区別される。神壇は基本、明清代の「社稷の祭祀」が生きていた時代に作られたものなので、現代新しく作られることはない。
とはいえ、廟と神壇の明確な線引きは現状不明。社稷の神壇は政策として作られたものなので、「官製か否か」ということか?
C複合型
廟と神壇の両方を備えているタイプもある。神壇の隣に祠があるか、祠の中に神壇が取り込まれている形になっているか、色々なタイプがある。上の写真の場合は、古い神壇の隣に後から祠を作ったケースだろう。
ちなみに神壇には「陽の気(エネルギー)」を取り込む必要があり、本来は屋根をつけてはならない。だから例えば王朝が変わると前の王朝の神壇を屋根で覆い、その力を封じ込めた(※)。
なので屋根の下に押し込まれている神壇が多いのは、清代に明代の神壇を覆ったケースもあるし、単純に時代が下ってこうしたルールが忘れられたためとも言われている。
※)社稷の神は王朝ごとに異なり、王朝が変わると前王朝の社稷を廃する必要がある。「社稷」が国家と同義語になったように、社稷の神も王朝の守護神のように見なされていたのである。 |
2.本尊のバリエーション
土地神のオリジンは社稷の神壇なので、壇上には文字が書いてあるだけだった。ただし、今では神像を置いたり色々な祀り方をされているのでそれをまとめておきたい。
人間型(単体)
土地神は人間の姿で祀られることもあり、大体は杖を持った好々爺である。土地神は死んだ人間から選ばれることもあるが、中国の幽霊観では人の魂は死んだときの姿をとるので、老人が多くなるのは自然ではある。
人間型(夫婦)
土地神は夫人同伴で祀られていることもあり、土地神夫人を「土地婆」という。(実際おばあさんだから違和感がないが、中国語で婆・老婆は妻のこと)
神位型
神像がなく「福徳正神」とか「本街土地(公)」という文字が書かれているケースもよく見かける。守護の範囲は住宅のある路地や横丁、花園=集合住宅など色々。
石ころ型
石だけが祀られているケース。姿や顔が彫ってあるわけでもなくただの石。赤く色が塗られている場合も、こういう「石そのもの」の場合もある。逆に謎めいたオーラを感じる。
NOT土地神型
土地神のようでいて土地神ではない?ちょっと毛色の違う神様たち。
A寿老人タイプ
神名としては「福徳正神」と書いてあるのでまぎれもない土地神だが、見た目は寿老人風でちょっと異質。
ちなみに中国で寿老人というと、日本の七福神の寿老人ではなく頭の長い「福禄寿」になる。本来は福、禄(富)、寿を授ける「三星」のメンバーで南極老人星(カノープス)を擬人化した神。
B包拯タイプ
包拯(ほうじょう)は北宋時代(11世紀)の名裁判官で、大岡裁きの元ネタにもなった人物。顔が黒く目が切れ長で、官服に身を包んだいかめしい風貌が特徴。
前に書いたように土地神は訴訟も取り扱うので適役ではあるが、包拯は閻魔(=東岳大帝と同ランク)になった伝説もある大物なので、土地神にするのは役不足かもしれない。
マカオではたまに包拯が道端に祀られているが、今のところ他の地域で見たことはないのでローカルな現象なんだろうか?
大所帯型
基本の土地神がいて、その周りに色々な神像が集まっているケース。割とよくみかける。大体の場合は関羽か観音様だが、とくに観音様が大量にいる場合が多い。賑やかでちょっと楽しい。
天官賜福
土地神は街角だけでなく、各家の戸口にも祀られている。土地神にも色々いて、家を守る最小単位の土地神もいるわけだ。ほとんどの場合、神像はなく赤い板状の神棚があるのみ。そして天官=天の神様を祀る神棚とセットになっている。
天官の神棚には大体「天官賜福」と書いてある。今は作品名で有名になったフレーズだが、天官というのは本来、人間に福禄寿(幸福、富、長寿)を授ける神様。土地神マニアと自称してはいるけど、目線的に撮るのは土地神よりこっちが多かったりする。
土地神以外の道端系神様
土地神の祠に一緒に祀られていたり、単体で祀られていることもあるのがこの「泰山石敢當」や「井泉龍神」。魔除けの石と井戸の龍神を祀ったものと思われる。これも色々な形があって面白いので記録しておきたい。石敢當は沖縄にもあるので、日本でも知られていますね。
こんな感じで、まずは現時点で収集量が多く敷地も狭いマカオの土地神・土地スポ記録を形にしていきたい。
土地神信仰自体についても文献を探しているので、歴史や広がりについて、ちゃんと調べてまとめたいです。
参考
文献調査中!
m.fx361.com