マカオ旅行記でも書いたように、昔から中国の死生観や葬祭文化に興味があります。
特に紙扎(しさつ)と呼ばれる紙製品の文化が面白くて好きなのですが、旅先や映画のワンシーンで見かけるだけで実はあまりよく知りませんでした。
中国の葬礼について体系だった知識・理解をしたいと思いつつもその手段に恵まれていなかったところ、折よく神保町で紙扎と葬礼に関する本を手に入れることが出来たので、内容を整理することにしました(↑右の本です)。
しかしこれ20年前の本でびっくりしてしまった。
内山書店さんには随分長いこと通っているけど、気づかずに何度もすれ違っていたんだなぁと思うと、巡り合わせの不思議にビックリする。
紙扎の歴史
中国の死に関わる儀礼では、紙扎と呼ばれる紙製品を多用する。
紙製品を焼くとあの世に届くという考え方があるので、葬式では紙銭や死者があの世で使う日用品や家を模した紙扎を焼き、また死者を祀る清明節や中元節にも紙扎を燃やして仕送りをする。
では、中国特有のこうした風習はどのように成立したのか。
紙扎はいわゆる「副葬品」だ。そして副葬品の歴史というのもまた、社会の価値観や技術水準の変化、そして生者が死者を思う心の賜物である。その道のりを追ってみよう。
古代の副葬品(~秦・漢)
「副葬品」の恩恵を受けられるのは、当初は王侯など身分の高い人間だけだった。殷墟を例にとると、殷王の副葬品としては玉器・青銅器のほか殉死させられた異民族の骨が出土している(※1)。
しかし人間を殉死させる風習は残酷だとして周代に廃れ、春秋戦国時代から「俑」という人形が作られるようになった。俑は最初は草や木で作られていたのが、陶業の発展によって陶器製の「陶俑」や「明器(※2)」が作られるようになっていく。
その真骨頂が、ご存じ始皇帝の兵馬俑である。
漢代には儒学が官学化され「孝」を重んじるようになったことから、陶製の明器や俑が盛んに作られ、副葬品も大規模化していく。
(※1)殉死については制度化もされていたようで、『墨子』節葬の章曰く、天子や大夫など身分ごとに殉葬者の人数に規定があったようだ。
(※2)死者があの世で使うための日用品。穀倉や竈を模した陶器が作られた。
漢代の俑
中世の副葬品(~隋・唐)
魏晋南北朝から隋・唐にかけては、仏教の流入や道教の体系化によって思想活動が盛んになった時代だった。その中で輪廻や霊肉二元論(※)など死生観が確立され、葬式用品もそうした考え方に合わせて変化していった。
ちなみに最古の紙扎製品と言われているのは、唐代にトルファンで制作された紙製の柩である。とはいえこれは「紙製品の作例があった」というだけで、当時「紙製の葬儀用品が普及していた」わけではない。紙扎が登場するのはその後、宋代のことである。
(※)人間は魂と肉体の2つの部分に分かれるという考え方。そして精神的な働きを担うのが「魂」、肉体の働きを担うのが「魄」であると考えられた。ちなみにこの用語は本来ギリシア哲学やキリスト教のものだが意味は同じだと思うのでご容赦ください。中国だとなんというんだ?
紙扎の登場と普及(宋~)
宋代にはいよいよ紙製の葬儀用品が登場する。背景としては紙の使用自体が日常化したことである。紙の発明自体は後漢時代にさかのぼるが、紙が社会の隅々まで行き渡り日用品となったのは実は宋代の頃であった。
さらに、この頃には霊肉二元論が浸透していたので、彼岸に渡る魂のために副葬品を焼いて送り届ける(=別世界に届ける)、という考え方も普及していった(※)。
北宋代の開封の様子を記録した孟元老『東京夢華録』にも「打紙作」「冥器作」の記載があり、中元節の段では紙銭を焼くことについても触れている。
以降明・清代を通じて紙扎を用いた葬礼の文化が整えられ、現代にいたるまで、中国(文化圏)で生き続けているのである。
(※)逆に古代は肉体と霊魂をはっきり分けて考えていなかったので、墓所に副葬品をおさめた。その材質としても、玉や陶器、青銅器などいわゆる腐らない品物が選ばれた。しかし魂が別世界に行くとなれば、こうした品物が現世にあっても意味がない。よって、燃やして届けるという発想になるのである。
喜葬というかたち
中国では、葬儀は「喜俗」として執り行われる。凶事ではなく吉事のように行うということである。
そのため柩を安置する殯(通夜)の間は演劇を上演したり、音楽を演奏したりする。死者が現世に戻ってくる中元節(盂蘭盆会)でも、香港やシンガポールでは街角で人形劇や演劇を上演する光景が見られる(※)。
清・于敏中の『日下旧聞考』に柩の傍らで歌舞を演じる子供役者についての記述があるので、清代にはすでにこうした慣例が成立していたようだ。
我々の眼にはともすれば奇異に映るが、こうするのはもっぱら「死者を喜ばせる」ことに重点が置かれているためである。
葬礼を「喜事」のように行うのは中国だけではない。バリ島の葬式も賑やかに執り行われる事で知られている。死や葬儀をどう考えるかという解釈の問題である。
(※)もちろん悲しみの表現が無いわけではなく、葬儀や葬列ではいわゆる「泣き女」が死者への哀悼を示す。これもわが国で揶揄されることもあるが、そもそも中国では感情でも序列でも「外に表すこと」が重んじられる。多様な人間が暮らす世界では、いちいち内面を推し量ってる余裕はないからだ。
葬式の過程
地域差が色々あるだろうけど、一例として紹介したい。
人が亡くなったら
・その家の、「五服」の喪(※1)に服していない者が告知する。
・戸口に「歳頭紙」(※2)を掛ける(男なら門の左、女なら門の右)。紙の枚数は上下(天地)1枚ずつとその人の享年。
※1)斬衰(3年)、斉衰(1年)、大功(9カ月)、小功(5カ月)、緦麻(3か月)。亡くなった人との関係によって服喪のしきたりや喪服も異なる。
※2)検索の仕方が悪いのか、画像は見つけられなかった。
殯(通夜)の習慣
3日間の通夜をしたのち出棺する。『礼記』に「大夫・士・庶人は三日殯をする」とあるのでそれが受け継がれているのだろうか。
柩の周りには、納棺時に墓に運んで燃やす紙扎をあらかじめ作っておいておく。
冥宅 | 死者の住まい。 |
金童玉女 | 死者の召使として彼岸行きを助ける。 |
金山銀山、揺銭樹など | 死者の財産。揺銭樹は銅銭で出来た木。 |
金橋銀橋 | 死者が冥府の川を渡るために燃やす。 |
開路神の像 | 葬列の道中、魔を払い道を清める。 |
船 | 浙江や福建など水路や海と縁の深い地域では船を作る。 |
※これらについて、画像や詳しい説明はこちらの記事にあります。
柩には神輿のような覆いを作り、その中に死者を喜ばせるための芸人の人形などを入れるそうだ(地域によっては、死=昇仙ととらえて神仙の人形を入れる)。
出棺
出棺の装いと道具
これは水都百景録の葬列が参考になるので画像を載せておく。
着ているのは麻で出来た伝統的な喪服。ちなみに中国の伝統では喪服の色は白。婚礼衣装(喜服)は赤なので、結婚式は紅事、葬式は白事ともいう。
実際の葬列ではさらに色とりどりの紙扎を運び、道中、死者の好きだった音楽を演奏したり戯曲を演じたりするそうなので、葬列とはいえパレードのような華やかさなのだろう。先に引いた『日下旧聞考』によれば、500人以上が参加し、数十軒の冥宅が運ばれる大規模な葬列もあったそうだ。
こうした雰囲気が良く描かれているのが、ドラマ紅楼夢(1997年)の葬列のシーン。名門・賈家の葬列ということで見ごたえがあるので是非見てみてください。(29分くらいから)
www.youtube.com
中国語字幕のみですが、飾りつけや衣装、道具などは映像だけでもわかると思うので是非。
埋葬後の習慣
焼七
死者を埋葬すると、魂が生まれかわる49日まで7日ごとに墓に詣でて祭祀(香を焚き紙扎を燃やす)を行う。これを「焼七」という。
【基本の日程】
頭七(7日後) | 三七(21日後) | 五七(35日後) | 七七(49日後) |
どの日を重んじるかは地域によって異なるようで、例えば南方では頭七、北方では五七を重んじるそうだ。
【ローカルルール】
(1)六七
女性のための祭祀日として「六七」を設けることがある。
(2)犯七
〇七の日にちが暦上の七日と重なる時は、「犯七」として、祭祀はするものの白紙の旗を墓に挿すらしい(死者名を書かないことで穢れを避ける?)。
(3)子供の数・七
「死者の子供の数・七」の祭祀はやらない地域もある。例えば3人子供がいたら三七の祭祀はやらないという具合。
焼百日
埋葬の百日後、親族が集まって祭祀をしたり紙扎を燃やしたりする。地域によっては宴席を設け、友人やご近所を招くことも。
焼周年(焼周年)
葬礼の節目で、これ以降は喪に服さない。命日に墓参りをして紙銭を焼く程度。
受生庫
死後、死者のために紙の元宝(インゴット)を満載した金庫を燃やす風習がある。これは以下のような考え方に由来するそうだ。
その費用は前世のAが用意して冥府に預けたもので、その金額が、来世のBが生涯で手に入れる財産の額となる。
これらのお金を管理しているのが曹判官という神様。Bが生涯で使うお金は冥府から借りていることになっているので、Bが死んだら冥府に返さなければいけない(これを「還受生」という)。
もしその額を返せなかったら、子孫が送ってくれる紙銭や食べ物は全て曹判官に差し押さえられてしまい、飢えに苦しむことになる。
だから子孫は故人が無事に還受生の手続きを終えられるように、「受生庫」を燃やして送るのだそうだ。
へー。しかしこうなると、お金を預けて返してが繰り返されて何度生まれ変わっても所持金が変わらないんじゃなかろうか?気になるなぁ。
ちなみに最後「仕送りが途絶えて飢えに苦しむ」とあるけど、中国の死生観では、死者が食べ物を得る手段は子孫による祭祀の供物だけ。しかも「正当な祭祀者」が「正当な祭祀の手順で備えたもの」しか受け取れない面倒な仕組みになっている。
正当な祭祀者とは息子であり、娘ではいけない。さらに中国には養子の風習もない。だから旧時の中国では、「家業を継ぐ」という現世的な目的にとどまらず「死後に備える」ためにも男子を設ける必要があったのである。
今でも中国では独身であることに対して日本より風当たりが強いそうだが、こうした過去の営みの積み重ねで、子孫を残さないとヤバイ!みたいな心理が深層を流れているんだろうと思う。(当人には迷惑だろうが興味深い事象ではあると思う)
なお子孫のいない霊は祭られず「孤魂野鬼」となって悪事をなす。彼らを救うためにお施餓鬼の法要をする。それを大々的にやるのが8月の中元節(お盆)で、この間は道端に食べ物を備える。
しかし、豪邸に住んで運転手付きの車に乗って世界旅行までできて、死後の世界は薔薇色だと思っても、そこには格差があるんだな。何とも不条理で辛い話だ。
以上。
いやー、こういうことを知りたかったんだ!!
中国語で検索とかもしてたんだけど、いまいち内容がとっ散らかってて全体像が見えるような記事に出会えなくて。やっぱり何かを系統立てて知りたい時は本が一番だと思う。クオリティも保証されてるし。
紅楼夢ドラマの葬儀回も、もう一度見てみたら格段に理解が深まったのでいい本に出会えてよかった。
ところで、1か月前くらいに「今日のはてなブログ」でこちらの記事を取り上げていただきました。
xiaoyaoyou.hatenadiary.jp
中国の独特な死生観や紙扎の文化を知っていただく機会が出来たのは本当に嬉しいですね。