壺中天

歴史、旅行、ごはん、ゲームなどアジアなことを色々つづります。

【2018】中国シルクロード紀行3 熱湯砂丘クライマー

前回:中国シルクロード2:虹の山脈と夜行列車
次回:中国シルクロード4 折柳の路へ

4日目 2018/08/10 敦煌
敦煌 鳴沙山・月牙泉

目覚めたら敦煌

張掖と敦煌を結ぶ鉄道は、深夜発の寝台列車所要時間は約7時間で、一晩寝て起きたらちょうど目的地、という塩梅だ。朝起きたら、既に夜が明けていた。中段寝台のいいところは車窓が見やすいこと。早速窓を覗いてみたら…

なんもない。
本当になんもない!何もないけど、山と水の多い日本ではありえない景色なので中々感動的。すごい所まで来たなぁという感じがする。地平線なんてなかなか見られるものじゃないよ。

7:30頃、敦煌の駅に着いた。ホームから階段を下りて線路下の地下通路を通り、また階段を上ると出口についた。やはりリュックで来るとこういう時に機動力が落ちないからいいね。

朝日と敦煌駅!このアングルだとエジプトの神殿か何かみたい。

朝は駅で食事をしようと思っていたけど、出口はそのまま外に繋がっていた。仕方ないので次の目的地に移動することに。

敦煌という町

ゴビ砂漠に囲まれたオアシス都市・敦煌。われわれ日本人にとって「敦煌」とは単なる地名以上に、シルクロード、砂漠、隊商、胡人……そうした異国幻想のようなものを体現した言葉であるように思う。そして事実この街の盛衰は、シルクロードと共にあった。

敦煌の歴史は漢代、河西回廊の西端に築かれた敦煌郡に始まる。古代の敦煌西域と中国の境界、またユーラシア東西の結び目として自然と人が集まり、モノや文化の伝来路、または集積地として賑わった。

シルクロードを行く商品と共にその名も西方に伝わり、古代ローマ時代のプトレマイオスが著した『地理書』にもその名が見えるという。

唐の滅亡後も敦煌漢人の豪族や西夏、元などの治下で栄えたが、海上交易の発達で陸の交易が廃れるとともにその繁栄は失われた。砂漠の街が永い眠りから再び目覚めるのは、莫高窟から「敦煌文書」が発見される20世紀のことだった。

莫高窟の予約

敦煌には8月10日から12日まで3日間滞在する。12日には国内線で西安に移動し、11日は敦煌郊外を巡る個人ツアーを申し込んでいるので、今日10日は鳴沙山(砂漠)観光、そして12日午前に予定している莫高窟見学を予約をする予定だった。

莫高窟文化財保護のために入場制限をしている。見学をするには事前予約をしなければいけない。市内で莫高窟のチケットが買える場所は以下(対面販売の場合。予約はwebでもできる)。

莫高窟数字展示中心
莫高窟の入り口となる施設(デジタル展示センターと言った意味合い)で見学の予約もできる。見学当日はここから入場、映像を見てから石窟の見学に移動することになっている。

敦煌莫高窟参観予約售票中心
敦煌市内にある見学予約センター。ホテルや夜市が集まる市内中心部からは陽関東路を東方面に歩いて20分くらい。

要は現地で買うか市内で買うか。東から①空港・駅⇒②予約センター2箇所⇒③市街地、という位置関係なので、到着後すぐ買う場合はどちらを選んでもあまり手間は変わらないと思う。

駅前に停まっていた3番バスが「市街地、数字展示中心」方面行きだったので乗り込んだ。最後の方に乗り込んできた2人組が「莫高窟は?」と運転手さんに聞き、運転手さんは「チケットは市内でも買える」と答えていたので数字展示中心には寄らないようだ。私も市内の売り場で買うことにしよう。

しばらく車に揺られ、停車したと思ったらさっきの2人が降りて行った。ここがチケット売り場?念のため「買票的嗎?」と聞いてみると周りがそうだと教えてくれたので急ぎ下車した。

左から入ると予約窓口がある。窓口上のモニターに予約状況が表示されているが、予定している8/12が売り切れになっていてヒヤッとする。ドキドキしながら窓口で「明後日のチケットを」と申し出ると、8時30分の日本語ツアーを無事予約出来た。

前に並んでた日本人の男性によると、外国人向けチケットは余裕があるそうだ。なるほど、モニターに写ってたのは中国人向けチケットのことだったのか。写真に写っていない右の方には長蛇の列が出来ていたけど、それも中国人向けの列だったんだろうか?

値段は2018年当時220元(4500円くらい)購入にはパスポートが必要なので、ホテルの金庫に預けるタイプの人は注意。

ともあれ、これで肩の荷が下りた。今日のホテルは鳴沙山の砂漠の近く。敦煌市内から5kmほど南にあり、少し離れているので徒歩での移動は難しい。センター前の大通りでタクシーを捕まえた。

車は敦煌市街地を西へ。車窓からは飛天の像やモスクが見え、張掖に比べると明らかに非中国的な色彩が濃い。南に延びる「鳴山路」に入ると、突き当りには鳴沙山の砂丘が見えた。驚いたのはその高さ。高層ビルほどもあり、まるで立ちはだかる壁のよう。砂丘というのはこんなに高さがあるものなのか。

憧れの敦煌山荘


10分ほどで今日のホテル、敦煌山荘に到着した。何で見たかは忘れたけど、泊まるならここで!とずっと思ってたのです。ホテルは唐代様式の楼閣がそびえる、堅牢な要塞のような見た目。

一方、ロビーの中は開放的。3階吹き抜けの広々としたフロアは、調度品もシルクランプや圏椅などアンティーク調の家具で統一されていてとても素敵。フロントの上には歴オタ心をくすぐる壁画も!

ところで張騫より霍去病がセンター陣取ってるのはなんでだろう?敦煌の繁栄も、同地を中国王朝の版図に加えた彼の軍功ありきってこと?(歴オタはうるさい)

それはさておき、
ホテルに着いたのは朝9:00で、まだ部屋に入れるかは分からない。とりあえず荷物だけでも預けられればと思ってフロントに声をかけた。すると有難いことに部屋はもう準備が出来ていた。鍵と朝食券を受け取り、2階の2057号室に向かった。

ここの鍵は飾り結びがついてて可愛い。


客室も中国アンティーク+中東風でシルクロード情緒全開。普段安ホテルばかり選んでるものだから、こんな部屋に泊まっちゃって本当にいいの!?って戸惑ってしまうよ。

反対側も素敵なんですよ。竹簡が飾ってあったりして。その他、備品として敦煌関連の本やパンフレットも置いてあった。

洗面所も綺麗。タオルはラクダのマークがあしらわれたホテルオリジナルのもの。調度や備品の一つ一つに上質さとこだわりを感じる。

残念ながらバスタブはなかった。砂漠の町だし、あまり水をじゃんじゃん使えないのかな?その代わりに足浴桶が置いてある。足つぼシートもついているので嬉しい。

20時間ぶりの朝食

部屋で一息ついて、まず考えたのは朝食のこと。気が付くと最後に食べたのが張掖の炒炮で、20時間くらい食事をしてない。さすがにお腹が減っていた。

ホテル内のレストランを見回ってみたところ今の時間は朝食券でのサービスしかやっていない。チェックイン時に朝食券は貰ったけど明日のもの。明日はガイドツアーの出発時間の関係で使えないので、フロントで今日使っていいか聞きに行った。OKをもらえたので晴れて朝食会場へ向かった。

4Fの屋上には摘星閣というレストランがあり、鳴沙山を見ながらビュッフェスタイルの朝食を楽しむことができる。

中華洋食問わずラインナップは豊富。目の前で作る牛肉麺(麺づくりからやってくれる!)やオムレツ、ワッフル、そのほか点心類、パン、サラダ、野菜炒め、ヨーグルトなどなど。

盛りが汚くてすみません。飢えてたんです…。砂漠を眺めながらゆっくり食事をとる。贅沢してるなぁ。

せっかくいいホテルに泊まっているので、今日は休養日に充てようと思っていた。なんだかんだ昨日は歩き回って疲れていたし、旅程はまだまだ長いので。なので、朝食後はホテル内を歩き回ったり、涼しい部屋の中でゆっくりしていた。

鳴沙山への道のり

出発は16時頃。遅いようだけど理由があった。一つは夕日と夜景を撮りたかったので、そうなると日没の20:30に合わせる必要があること。もう一つは日差しと熱さが厳しいので、そのピークを外す必要があること。

どのみち敦煌あたりは時刻と時間に2時間程度時差があるので(北京時間に合わせているため)、14時スタートと思えばそう遅いわけでもない。

行先はもちろん鳴沙山!憧れの砂漠だ。外に出るとまだまだ暑いのでバスで行こうと思ったけど、進行方向のバス停が見当たらない。まあ、そんなに遠くもないかと思って歩きで行くことにした(ちなみに後でホテルの敷地内にあったことを知る)。

いにしえの僧院【雷音寺】

少し歩くと、道路を挟んで左手に「雷音寺」の山門が見えた。

せっかくなので覗いてみる。雷音寺というと西遊記の大雷音寺を思い出すけど何か関係があるのだろうか。

入り口にあった境内の案内図。…えっ、こんなに広いの!?入口から想像する限りでは、この地図でいう7番くらいまでしかないと思ってた。しかし「待建」と書いてあるところもあるのでまだ建設中らしい()。奥の方は僧侶の居住・修行地(参観不可)のようだけどこうして見ると紫禁城の外朝と内廷の構造にそっくりで面白い。

※)あとで調べた所、雷音寺はルーツを西晋に遡る由緒正しいお寺。もともと莫高窟の近くにあったが莫高窟世界遺産登録されるにあたって文化遺産としての石窟と宗教活動の場である雷音寺を分離。寺院は場所を移して再建したのだそうだ。

山門を抜けると天王殿がある。中国のお寺では、だいたい最初の建物に弥勒仏(表側)と韋駄天(裏側)がいる。ここにもいらっしゃった。

次の大雄宝殿の中には、いい顔の羅漢さんたち

造型的には粗削りな方だと思うんだけど、しっかり描き分け・キャラ立ちしてるの凄いと思う。ヒルガイと余裕さん好き。ただし本当に羅漢さんで合っているのかは分からない。または仏弟子とか…?

羅漢さん堂の裏手に抜けると広々とした空間に出る。透明度の高い敦煌の青空に、砂色の瓦が良く似合う。建物の様式は唐代っぽい。早い話が、奈良時代や平安自体の建物に近い感じ。正面の「大光明殿」の中には立派な仏像が並んでいた。

ちなみに、このお寺で一番面白かったのはこれ。
「関煞洞」と書いてある。胎内巡りみたいなもの?と思って説明を読んでみたところ以下のような内容。

関煞洞とは敦煌地区特有の民間伝統建築で、「関」とは閉じること、「煞(さつ)」とは悪神のこと。この洞窟を三度通り抜ければ(鑽関)災いを除き息災になる。鑽関の歴史は古く、莫高窟96窟には古代の関煞洞がある

へー、莫高窟にもあるというのが浪漫だなぁ。せっかくなのでくぐってみたが、中はいたって普通のトンネルで仏像等はなかった。

雷音寺は立派なお寺だけど、建物自体は再建されたもので歴史的な見所があるわけではないので、建築や仏像に興味がある、とかでなければ無理に行く必要はないかもしれない。

建築フェチ的には見ごたえがあって満足だった。この斗拱とかなかなか見ないデザインだし、瑠璃瓦の細工も細かい!

鳴沙山

雷音寺の拝観を終え、いよいよ本命の鳴沙山へ。近くまで来るとハミウリ(メロン)などの果物を売る屋台やノスタルジックな沙滑りシート↓、ショール、帽子などの日よけグッズを売る店が増えてくる。

道路の突き当りまで来ると土産物屋、食堂が集まるエリアがあり、その先にチケットを売るツーリストオフィス(旅客中心)がある。鳴沙山には入場料が必要なので、旅客中心でチケットを購入する(120元)。
チケットを買ったら、右手の防砂袋レンタルの窓口へ。15元でオレンジ色の靴袋を借りることができる。

任意だが、あって困ることはない。ひざ下にかぶせ、上下をひもで縛って固定する。

オレンジ袋の仲間たちと共に、いよいよ鳴沙山に出発!

救いの李広杏

鳴沙山は敦煌の南、東西約40km×南北20kmに渡って広がる大きな砂漠で、その一部が観光客に開放されている。鳴沙山という名前は、人が砂丘を滑り落ちる時、鳴くように砂が音を立てるからなのだそうだ。

砂漠の内部には色々見所があるが、中でも有名なのが三日月形のオアシス・月牙泉。まずはここを目指すことにした。入り口近くの看板にはここから1600mと書いてある。コンクリートから砂地に降り立つと、砂の地面は思った以上に歩きづらい。着地した足が滑るので力も集中力も要り、普通に歩くより体力も気力も消耗する。

しかし心配無用、鳴沙山から月牙泉まではコンクリートの歩道が敷設されている。ひとまずそこを歩いていくことにした。

ちなみに写真に写っている通り、ラクダに乗って散策する事も出来る。乗り場は鳴沙山の門の右手で、100元だったと思う。どういうコースを行くのか正確には知らないけど、歩いていくのはなかなか難しい砂漠の奥の方まで行けるようだった。

足場は安定していても、気候はきびしい。17時(15時)近くとはいえ日差しは容赦なく、気温も高い(36度)。月牙泉に向かう途中には緑の茂るオアシス地帯があってお店もある。正直、日陰で休み休みでないとかなりつらい

売店には飲み物も売っている。敦煌名物の「杏皮水」というドリンクを買ってみた(しかも「李広の杏」と書いてある。歴オタは飲まざるを得ない)。味は駄菓子のアンズゼリーに似ていると思った。爽やかで飲みやすく、何より冷えていて救われる。しかしこの時間でこの有様なら、真昼間に来るのは文字通り自殺行為だな。

ちなみに後で「李広の杏」について調べたところ…「李広杏」とは敦煌特産の杏の品種だそうだ。名前の通り漢代の将軍李広()ゆかりの果物で、李が西域に遠征した際、西王母が彼らを助けるために杏の精を遣わした伝説があるという。

※)李広は中島敦の小説で有名な李陵の祖父、またキングダムの信(李信)の子孫三国志呂布のあだ名「飛将軍」の元祖など(キングダムの飛信隊の由来でもある)、何かと日本人にもなじみ深い人物。

月牙泉うらおもて

月牙泉までは15分ほどで、思ったより近かった。逆にアクセスが良すぎてちょっと残念なくらい。もっと砂漠のただなかにあって、砂丘を超えて行くのかと思っていたのでたどり着いた!という達成感はない。電動カート(有料)も走っているしな。

らくらくアクセスなだけあって、月牙泉の周りは人であふれかえっており、正直なところ風情はない。

水辺の楼閣は保護のためか下から登ることはできず、外側の通路から2階部分のみ入れる。中には土産物屋や食品売り場、また月牙泉の歴史を展示する部屋もあった。楼閣としては...そこまで眺めがいいわけでもないので、買い物に興味がなければあまり行かなくてもいいと思う。

ただし意外にもここの土産物屋はセンスが良く今風で、敦煌風(莫高窟風)のデザインをうまく落とし込んだおしゃれなものが多かった。今でも何も買わずに後悔しているくらい。この旅はバックパック1個で10日間乗り切らねばならなかったので本当に買い物できなくて。

ほかの所だとラクダのぬいぐるみとか工芸品、民族風アクセサリーとかいかにも「おみやげ」風のものが多いので買い物するならここがおすすめ。

ここまで風情がないだの楼閣の眺めがイマイチだの好き勝手書いたけど、月牙泉に魅力がないわけではない。場所を選べばその美しさをしっかり堪能できる。

具体的にいうと、舗装路が通じている泉の手前側は人が多いけど、建物の裏手に回り込んで反対側に行けば人も減るのだ。

この辺は舗装道路がなく足場は悪いが、その歩きにくさゆえにあまり人を寄せ付けないのでプラマイゼロ。じっくり月牙泉が見たい、または写真が撮りたい人にはこの辺に行くのがお勧め。

こっちから見ると、水面もなかなか綺麗に見える。しかし風景写真という観点から言うと…砂丘に人がいるのがどうしてもね。……そう、鳴沙山では砂丘の上にも登れるのです。私も行ってきましたよ!

砂丘にはそのまま登ることもできるけど、斜面に何本か梯子が作られているので、やはりそこを歩くのが楽。

しかし梯子も急勾配のうえ足元は砂で滑って覚束なく、時々よろけてしまう。しかも後がつかえているためプレッシャーもかかる。実はこれが一番きつい!

とはいえ休みなしのデスマーチではなく、休憩もできる。梯子の脇にそれればいい。結構こうして休んでいる人も多かった。きつくなったら道をそれて後ろの人を通してあげよう。

ただし、梯子の周りは丸ごと砂丘なので座ると結構体が沈み、砂まみれになる。飲み込まれることはないと思うけど…どうなんだろう。カメラとか精密機械は砂に気を付けたいところ。

リュックのポケットにはペットボトルを入れてきていた。一息ついて水を飲もうとすると、げえっ!お湯になってる!!ぬるま湯どころじゃなくて、お風呂やシャワーにちょうどいいくらいの温度!うへー、なんて日差しだ。カメラも熱くなってしまって、壊れないか心配。

ちなみに今回登った砂丘の高さがどれくらいかは分からないけど、鳴沙山の砂丘の高さは高い所で170mはあるらしい。…道理で疲れるはずだよ。

砂漠レジャーランドの是非

休み休み、なんとか頂上に着いた。へとへとになっていたが、苦労した甲斐あって上からの眺めは素晴らしい。眼下にはまず月牙泉、砂丘の向こうに敦煌市内、よく見ると雷音寺、敦煌山荘の屋根も見える。砂漠とオアシス都市・敦煌の豊かな緑が対照的だ。

…さてこの鳴沙山、市内からアクセスしやすいこと、また莫高窟の入場制限であぶれた人たちが集まるようになったことで完全に砂漠レジャーランド化してしまっているので意見が分かれると思う。

ラクダライドくらいなら砂漠に行けばどこにでもあるが、ここでは大変バリエーションに富んでいて、砂滑り、ヘリコプター・パラグライダー遊覧飛行、モーターバイクなどのレジャーがてんこ盛り。

砂丘の上でもモーターバイクのサービスをやっていて、あちこちにタイヤの跡が走っていた。

なので鳴沙山はあくまで手軽に砂漠を「体験する所」で、砂漠そのものの美しさを楽しみたいのならお勧めしない。もしくは、そういうアングルを探すしかない。

正直砂漠はわだちと足跡で汚いし、残念だと思ったけど鳥取砂丘もレジャースポットだし、砂丘に対するアプローチとしてはあんま変わらないような気はする。我々が「敦煌の砂漠」というものに特別なロマンチシズムを抱いているから、余計残念に見えるフシもあるんじゃなかろうかと思う。

鳥取砂丘は車は駄目なんだっけ?まぁ、結局それぞれのルールだからいいけどね。

鳴沙山の夕暮れ

楽しんでる人たちはまぁ楽しめばよかろうと割り切って、夕日観賞・撮影のため場所を確保。三脚を立てて、座って待機する。傘を持ってきていたので日差しは多少防げるけど、水分不足になるのだけが心配。

この日の空はすごかった。太陽は厚い雲に覆われ、その隙間から光の筋が漏れている。いわゆる「天使の梯子」というやつだ。敦煌的には、天使よりみほとけの後光って感じだけど。なんとも荘厳!

西日になる頃合いには、砂丘の上も日陰になって過ごしやすくなる。影も濃くなり、いっそう砂漠がきれいに見える。

夕陽を見に来たのか、砂丘の上には人が増え始め、同じく三脚を立てている人もちらほら。記念撮影してる人たちもいたけど、こういう↓布をたなびかせる演出が流行っているらしく旅の間によく見かけた。おしゃれ…なのか…?

ひらひらはしてなかったけど、中華ギャル二人組に声をかけられ写真を撮ってあげる。カメラに興味しんしんのようで、頼まれるままにファインダーをのぞかせてあげたりシャッターを切らせてあげたりした。

ここからはただ、日が沈むのを見届けたのみ。言葉で説明できるようなものではないのでご覧下さい。丹霞といい、今回は本当に天気に恵まれてありがたい。


鳴沙山に行くなら、夕日の時間に合わせて行くのもおすすめですよ。

日没を見届けたら砂丘を降りる。登りは苦労したけど降りるのは楽ちん。足元を気にする必要もなく、ただ前に進んでいけば、勢いに任せて下に一気に降りていける。

こんな時間になっても鳴沙山は人が多い。砂丘の途中には砂滑り場があり、スキー場のナイターのようにライトアップがされていた。河川敷で草滑りした思い出がよぎるが、ここは大人も子供も関係なく楽しんでいる。売店で見かけた砂滑りのシートはここで使うのか。なんかもう、楽しんだもん勝ちだなと思った。

砂丘のふもとまで降りてきた。さすがに帰路につく人が多いが、驚いたのはまだラクダの隊列が出発していたこと。日が落ちれば涼しいし星も見えるし、夜の砂漠の方が快適なのかもしれない。

月牙泉で少し写真を撮ったら、入口に戻る人の流れに混ざって歩く。舗装路は人でいっぱいなので、砂地を歩いた。門に戻ったあたりで久々にコンクリートを踏む。普段当たり前のように享受している、固い地面のなんとありがたいことか!

靴袋を返却し、景区を出るとすぐに敦煌山荘を通る3号のバスが停まっていた。歩いても帰れるけど、暗いのでバスの方がいいだろう。

案の定北に向かう道は暗く、ライトに照らされた部分しか見えない。ふいにラクが姿を見せて、道を横切って行った。ひえー、ナイトサファリか。危ないよ。

さて、3号の路線バスは敦煌山荘に停車する。はずなのだが、各駅停車ではなく敦煌山荘を通り過ぎてしまった。慌てて運転手さんに言うとどうして言わなかったんだ的なことを言われ、しぶしぶながらも路肩に下してもらえた。見たところ停車ボタンもなかったと思うんだけどな。うーん。ともかく下ろしてもらえたのでよし。

夜の敦煌山荘にて

ただいま敦煌山荘。

朝と同じ摘星閣で夕食を食べた。砂丘の上にはライトがちかちかしているのが見えたので、まだ上っている人がいるようだ。

丹霞の時も思ったけど、チケット販売の最終は決まっているけど退場時間あるのかな。というか入場者の管理できてるのかな。どっちも迷子になったらシャレにならなそうだけど...。

黄山に行ったときはチケットにQRコードがついてて入場時に写真も撮ったので、こういう管理システムは発達してそうではあるが。

食事は野菜たっぷりの特製ビーフンと、すっかり気に入った杏皮水。ピザなど洋食系のメニューもあった。敦煌山荘は夜のライトアップをしているけど、派手なものではなく外壁と軒下の赤いランタンが中心。星空がきれいに見えるし、唐代の夜景もこんなんだったのかな...と思わせてくれる控えめさがとてもいい。

今日は体力温存日なので、ホテルのフットマッサージサービスを受けに行くことにした。屋外で星空を見ながら施術を受けられるコースがあり、迷わずそれに!値段は1時間188元。敦煌山荘は高級めなホテルだと思うけど、それでも日本で受けるより安かった(当時はまだ1元20円くらいだから4000円しないくらい)。

担当してくれたスタッフの李さんとは少しおしゃべりした。日本での名前は?と聞かれて、珍しい苗字なんだというと「複姓だから?()」と言われた。へー、そういう感覚なんだ、おもしろい。

※)諸葛、司馬、欧陽など二文字の姓。

中国人からすると日本人は大体複姓で、しかも姓の種類もけた違いに多い(日本の姓は30万くらいと調べたことがある。中国の姓は一般的には5000くらいと言われてて、更に人口の大部分を張・李・王など特定の姓が占めているんだったと思う)。同じ漢字文化圏だけに、奇妙な感じだろうなぁ。そういう話をもっとしてみたかった。

話すのも楽しかったし、足も楽になった。なにより星空の下という環境がとてもよかった。柳の木が植えられた中庭を、虫の声を聴きながら歩いて部屋に戻る。

もう12:00近いし寝ないと、とは思うけど、寝たらここでの滞在が終わってしまうのが悲しくてなかなか布団に入れない。素敵なホテルだった。

明日は日本で申し込んだガイドツアーに参加する。7:30だからその時間にはチェックアウトしないといけないのだ。あーあ、もう一泊したかったけど敦煌山荘は市内中心からは離れているからなぁ。

つづく
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