壺中天

歴史、旅行、ごはん、ゲームなどアジアなことを色々つづります。

【2018】中国シルクロード紀行5 莫高窟に見送られ

前回:中国シルクロード4 折柳の路へ
5日目 2018/08/12 敦煌3⇒西安

今日はいよいよ莫高窟見学。早め早め、と思い6:30には目が覚めてしまった。昨日スパイスたっぷりの料理を食べたせいかおなかが痛いが、正露丸で何とかなりそう。身支度を済ませ、7:15にはチェックアウトして莫高窟に移動する。

莫高窟は市内東部、駅や空港の近くにある。今日は16時30分の飛行機で西安に発つので、見学後はそのまま空港に移動することになっていた。

莫高窟見学記

莫高窟について


敦煌観光のハイライト・莫高窟敦煌市街地の南東、鳴沙山の東麓に位置する三危山に築かれた石窟寺院だ。中国とインド・中央アジアをつなぐ敦煌はもともと仏教と縁が深く、仏教の中国伝来にも大きな役割を果たした。

西域からやってきた僧侶たちは敦煌で漢語の学習や経典の翻訳を行い、中国布教に旅立った。一方で法顕玄奘をはじめとする中国の僧侶もまた、インドへの旅の途上でこの地に立ち寄った。敦煌は自然と仏教の中心地になり、多くの寺院が築かれた。

三危山の断崖に石窟が開かれたのは、五胡十六国時代の366年。僧侶楽僔(らくそん)が三危山に差す光の中に仏の姿を見たことに始まる。

この時期の河西回廊では弥勒信仰の影響で洞窟での瞑想修業が盛んであり、石窟寺院が造られたのはこのことも関係があるとされている。実際、敦煌周辺には他にも楡林窟、西千仏洞など石窟寺院がいくつも残っている。

開山以後、莫高窟では元代まで1000年近くにわたり造営が続き、一時は「千仏洞」の異名の通り1000以上の石窟があったと伝えられる。画風や題材も時代ごとに異なり、南北朝時代の物は西域風、元代のものは密教風などそれぞれの特徴が見られる。現在の石窟は約500、仏像は2000体以上にも及ぶという。

敦煌の衰退とともに莫高窟も砂に埋もれたが、1900年に再び発見され、注目を集めるようになった。

入場と映像視聴

以前の記事にも書いたが、莫高窟見学の窓口は莫高窟数字展示中心(莫高窟デジタル展示センター)」という施設。石窟に直接アクセスすることはできず、必ずセンターを通じて行き来することになっている。

市内からセンターまではタクシーで20分くらい。料金は23元だから安いものだ。

こちらが莫高窟数字展示中心。アートな雰囲気。

早朝だが人は多く、チケット売り場に並んでいる人も多い。センターの中に入ろうとしたが…ここで一つやらかした。早くつきすぎてしまったのだ。

現地に着いたのは7:40頃。指定された入場時間は8:30莫高窟見学の前には映像を見ることになっていて、見学者はその上映開始時間によって順次入場ということになっている(ツアーの開始時間もそれに合わせて設定されている)。なので、遅くても早くてもダメなのだ。

旅では何があるか分からないので毎回余裕をもって動くんだけど、人一倍心配性だからこういうことが起こる…。センター内に入れば売店もカフェもあるし荷物も預けられるけど、入れないんじゃどうしようもない。どうせならホテル周辺で朝ごはん食べてくればよかったなー。

15分前くらいになったら、センターに入れるようになった。入り口でチケットと手荷物チェックを受けて中に入る。中は現代的。人の流れに従って、シアターに移動した。

見学の前には映像を2本見ることになっており、所要時間は合わせて1時間程度。1つは莫高窟の歴史に関するもの。もう一つは石窟寺院のバーチャル体験。視聴の前にはイヤホンを手渡され、2番に合わせれば日本語音声が聞ける。

1本目はかなり凝っていて、映画のような迫力。張騫がシルクロードを開いてから楽僔による莫高窟創建、そして莫高窟が忘れられていくまでを描く。旅の不安を和らげるために仏像が描かれ、作られていったのか。

2つめの映像はプラネタリウムのようなドーム型シアターで見る。臨場感・立体感のある映像は予想以上のクオリティだった。

見終わると石窟に向かうバスに乗り換える。乗り場近くにはトイレもあるのでここで行っておくと安心。

莫高窟見学

バスで10~15分かけて石窟へ。砂と岩だらけの道を走り、しばらくすると右手に岩山と寺院の屋根が見えてきた。

バスを降りると干からびた川があり、橋を渡って石窟のある対岸に移動する。これは橋の右手に見える景色。

いくつか洞窟が見えるけど、ここは僧侶の修行場として使われていたものらしい。それより山の上にあるお堂らしきものが気になる。色々想像を掻き立ててワクワクする光景だなと思う。

川は涸れていたけど地下には水源があるのか、莫高窟周辺は緑が多い。木立の間を歩き、ガイドツアーの集合場所に向かう。途中に行列が見えるが、こちらは中国人用ツアーの行列なので注意()。外国人には各国語ガイドによる専用のツアーがあり(予約の時に振り分けられるやつ)、集合場所はこの先にある広場だ。

※)当時のガイドブック(地球の歩き方)を読んだら、外国人も参加できるらしい。今回はチケットを予約した時に日本語ツアーに割り振られたけど、日本語ツアーの空きが無かったらここに混ざるという感じなんだろうか。

ガイドさんはすぐに見つかった。水色のバスガイドのような服を着た女性で、天下の莫高窟ガイドだけあって日本語はとても流暢。

ガイドツアーの参加者は10人弱で、グループの方もいれば、同じく一人参加の方もいた。莫高窟では500余りある石窟のうち40個が公開されているけど、ツアーではその中から日替わりで8個の石窟を回ることになっている。

全員集まったら出発。柵の向こうの石窟エリアに入る。石窟内は保護のため照明がなく、説明の際は懐中電灯で照らしながらとなる。もちろん写真撮影は禁止。なので、時間がたっている分内容はうろ覚え。

石窟覚え書き

実を言うと莫高窟の見学は義務的な感覚で、そこまでの興味はなかった。莫高窟に…というか石窟寺院というものにイマイチ萌えを感じなくて。

しかし実際見たらイメージと全然違っていて、緻密な絵画や一つ一つの文様のデザイン、千年前のものとは思えない鮮やかな色彩にすっかり魅了されてしまった。

何百とある石窟の一つ一つが作りこまれた芸術品で、何より、何百年にもわたってこれだけの物を作り続けた人々の信仰心、思いの強さ深さに驚かされた。

見学中は中々メモを取ったりする余裕がなかったけど、特に印象に残っている石窟を挙げておく。石窟内部の写真が見られる敦煌研究院のHPリンクも貼っておきました。気になった方はそちらを見ていただければと思います。

初期 ~581年 五胡十六国南北朝 西域の影響
中期 ~907年 隋・唐 中国風
後期 ~1368年 五代十国~元 パターン化・チベット仏教の影響(元)
(1)428窟(6世紀 北周

中央に仏像を安置した角柱があり、その周りを壁画が囲んでいる。ここの壁画がやたら印象的で、綺麗というより異様な感じだった。

(樊锦诗・刘永增『敦煌鉴赏 精选50窟』江蘇美術出版社より)

ブッダや飛天などが描かれているが、みな青灰色の肌に白目で正直なんか怖い。追放された邪宗の寺院みたいな、ぱっと見の印象はそんな感じ。しかしこれは変色してしまったもので、当初は普通に肌色だったらしい。

莫高窟全体でいうと初期のもの(前掲の表参照)。この頃の画風はインド色が強く、人物の露出度が高く肉感的。線画に沿って影を描き込むのもこの時期特有の描き方らしい。

428窟の壁画のテーマはブッダや、その前世であるサッタ太子とスダーナ太子の生涯。我が身を犠牲にして飢えた虎を救う「捨身飼虎」の図などが描かれていた。

壁画の彩色も赤、青、黒がメインの自然界に無い色彩感覚で、なんだか不思議な空間でインパクトがあった。
www.dunhuang.ds.lib.uw.edu

(2)61窟(10世紀 五代)

一番好きだった石窟。五代十国時代の創建。中央の本尊は失われ(盗まれてしまったらしい!)、台座と背後の壁だけが残っている。台座に獅子の尾が残っていること、石窟の壁に五台山が描かれていることから本尊は文殊菩薩であるそうだ。

とにかく壁画が美しい。細かく書き込まれた五台山(文殊菩薩の聖地)に、華麗な四天王、さらに施主(出資者)である曹氏一族の肖像画が並んでいるが、その中にホータン王女がいたのが驚きだった。

五代の頃、敦煌周辺は軍閥曹氏が支配しており、一族ゆかりの石窟もいくつかある。ホータン王女はその一人・曹延禄に嫁いできた。大名に外国王女が嫁いできたような感覚だから変な感じだけど、漢人政権とはいえ独立政権だから、曹氏は実質上の敦煌王のようなものだったんだろう。

他に曹延禄の祖父・曹義金もウイグルの王女を妻にしているので、当時のオアシス国家間の強い結びつきが分かり面白い。

ひと際着飾った王女は、緑色の宝玉で装っている。やはり故郷ホータンの玉?顔中に花鈿を貼っていたり、華やかな鳳冠など当時のファッションが分かって面白い。

この洞窟は緑色が多用されていて、ホータンの翡翠のイメージも合わせてそれが印象に残っている。本当に色が綺麗なところだった。(気になった方はぜひ↓のリンクからどうぞ!)
www.dunhuang.ds.lib.uw.edu

(3)その他

他に見たのは、331、336、16・17(いわゆる蔵経洞)と…あとは番号を忘れてしまった。すすで黒くなってしまった小さな石窟は覚えている。誰かが炊事をして黒くなった、というのが親近感あってなんか好きだった。壁画の傷みはあるけど、阿難・迦葉の年齢描写の克明さなど彫像のリアルさも印象に残っている。

ガイドブックやwebで当たってみたけど、結局見つけられなかった。これらで紹介されている石窟も一部の有名どころだけだから、一期一会なんだよなぁ…次に行ったらもっとちゃんと記録したい。

外観は写真を撮っても大丈夫なので、壁画が残っている所をいくつか。野ざらしなので大分傷んでしまっているが絵の具の色は今でも鮮やか。よく見るこの緑色(↑)が大好きなんだけど、何から出来ているんだろう。マラカイト

こういうのを見ると、昔は外壁にも絵が描かれていたことが分かる。全ての石窟がそうだったのかはわからないけど、昔は外から見てもだいぶ華やかだったんだろうな。

この四天王、可愛い顔してるなぁ…と思ったら!よく見たら四天王が琵琶を持ってる。中国の四天王が剣・傘・琵琶・動物を持ってるのは『封神演義』(16世紀成立)の影響だと読んだことがあったけど明末は莫高窟の造営が終わっているのでこれはおかしい。

と思って調べたら、正確にはこれらは元々チベット仏教の四天王の持ち物で、それが元代に中国に伝わった→封神演義もこれにインスパイアされたということのようだ。なるほどー、賢くなった。ネパールのチベット仏教寺院で見た四天王は確かに楽器と動物を持っていた(↓)。

(4)96窟(7世紀 唐)

そしてラストは、莫高窟のシンボル・九層楼にまします大仏!ここに入るまでには少し並んだ。というのも、どうしても莫高窟が見たい!という人たちのために、ここだけは予約なしで開放しているらしい。

後で見た、96窟見学のため並んでいる人たち。すごい行列…

本尊の大仏(弥勒仏)はすごい迫力。則天武后がモデルらしく、足元の竜の模様は皇帝の権力を表しているのだとか。

(大仏の写真は樊锦诗・刘永增『敦煌鉴赏 精选50窟』江蘇美術出版社より)

確かにこう見ると皇帝の衣装っぽく、仏像にはあまり似つかわしくない印象がある。竜門石窟の大仏も彼女だっけ?弥勒仏の生まれ変わりを自称して正統性をアピールしただけあって、いろんな戦略が隠れていそう。

大きさは34.5m。中国で5番目に大きな大仏…ってことだったと思う。張掖の大仏が35mだからその下?1番はやっぱり楽山大仏だろうか。

そういえば、雷音寺で見た関煞洞、この96窟にあるって書いてあったなぁ。それらしいものは見えなかたけど地下にあるんだろうか。人込みで見えなかったのか。

そしてこの96窟でツアーはおしまい。見学時間は1時間30分くらい、映像2本と合わせたら3時間くらいだった。

莫高窟周囲の見どころ

九層楼の前でガイドツアーは解散。これ以降石窟には入れなくなるが、莫高窟周辺には資料館や美術館もあるのでまだまだ楽しめる。むしろ見学時間や場所が制限され、見られなかった分をこれらの施設で補えるのだ。

(1)院史陳列館
莫高窟の向かって左には敦煌研究院の院史陳列館がある。研究員の住居だったものか、土塀に囲まれた古民家風の建物。展示内容はおもに研究院による保存活動の歴史や保存に功績のあった人物の事績など。

左⇒右でビフォーアフター。かなり修復の手が入っているんだなぁ。意外に思ったのは、1960年代から共産党政府も復元に力を入れていたこと。封建的迷信の牙城を破壊せよ!とかならなかったのか。よかったよかった。

(2)美術館
もう一つ、九層楼の右手側にある美術館は本当にオススメ!本物の壁画は保護の観点からあまりじっくり見ることはできないが、ここではパネルやレプリカで莫高窟の世界を細部まで楽しむことができる。

展示はファッション、動物、日常生活などテーマ別に分かれていて、ディテールをじっくり見たりアニメで壁画の解説をしていたり、壁画の仏塔を立体で再現した模型があったり…。細かく見ていると結構時間がかかった。

(3)塔林
見学を終え、バスが出る駐車場に戻る。でもその前に、もう一つ面白いものがあった。駐車場の右手、ちょうど石窟の対岸にあたる場所には石塔の立ち並ぶ荒野がある。現地の地図には塔林と書いてあった。

これは莫高窟側から見た景色。手前は干上がった川で、土手の上にあるのが塔林。

これらの石塔は僧侶を供養するものらしい。莫高窟の北側には僧侶の居住地もあるし、かつては雷音寺もこの辺りにあったそうだし、これも多くの僧が暮らしていた名残なんだろう。

頓悟

この辺りは石窟周辺と違って、敦煌らしいカラッカラの荒野。ちょうど昨日、郊外で見た景色と似たような……

……あっ。
そうか、だから莫高窟があるのか。

陽関で見た、果てしないタクラマカン砂漠を思い出した。行く手が無慈悲な荒野でも、旅人は行かなければならない。厳しい自然はコントロールできず、いつどんな危険に見舞われるか分からない。そうなれば後は神仏に縋るしかない。石窟を埋め尽くす装飾の美は、心の拠り所を求める旅人達の祈りが姿を変えたものだったんだな。

旅の安全を祈って、ということは見学前の映像でも説明があった。でもそれは情報でしかなかった。莫高窟の価値とは何か、この時初めて実感を伴って理解できた気がする。石窟の中ではなく、こんなところでというのが不思議であり、だからこそ嘘じゃないんだろうなと思った。

振り返ると、木々の隙間に莫高窟が見えた。ありがとう莫高窟。行ってきます。

空港へ

14:30頃には空港に行こうと思って、数字展示中心に引き返し荷物を受け取る。空港が近いのは分かっていたけど、疲れていて足も痛かったのでおとなしくタクシーに乗る。

タクシーだまりに声をかけ、空港までいくらか聞いてみたら20元。最初聞き取れず25?と聞きなおしたら運転手のお兄さんが20と訂正してくれたけど、仲間たちにお前正直だな、という風に笑われていた。

えー?市内からここまで23元だったのに絶対そんなにしないだろーと思ったけど、初乗り料金なんだろうか。それでも日本円にすれば安いので、言い値で乗っていく。案の定、あっという間に空港に着いた。

早く重い荷物を手放したいのでさっさとチェックイン。ここでまたも一つミスをしてしまった。UVスプレーを持っていたんだけど、よく使っていたのでうっかり手荷物の方に残してしまい、荷物検査のゲートで引っ掛かってしまった。

係のいかついおっちゃんに下で預け荷物に入れてこい、といわれたけどそれを説明する自信がないのとめんどくさいのでそのまま捨ててしまった。もったいないことをした…

夏にはありがちかもしれないので、お気を付け下さい。

西安到着

飛行機のことはあまり覚えていない。2時間ほどで西安についた。無事に荷物を受け取り、市内に移動するため「GTC」に移動。

GTCというのはGround Traffic Centerの略称で、バスやタクシーなど陸上交通の拠点となる施設のこと。市内行きのエアポートバスや長距離バスもここから出ている。空港から西安市内にアクセスするバスは「西安賓館」というホテルが終点となっている。

西安賓館行きのバスのチケットを買い、間もなく乗車。時刻は19:45頃。西安は甘粛よりちょっと早く、この頃が日没時間のようだった。

空港から市内中心までは大体1時間くらい。しかしこの時間帯は帰宅ラッシュなのか渋滞に巻き込まれることが多く、なかなか進まずもどかしい。

市内に近づくにつれ高層ビルが増えてきた。空はすっかり暗くなり、高速道路沿いの建物は華やかなネオンやマッピングの広告で激しく自己主張し始める。さすが西安は都会だな。長いこと不毛の荒野にいたから久しぶりの感覚…。

西安賓館に着いたのは21:00頃。ホテル1階には西安系ファストフードのお店が入っていたので、時間が遅いけどここで夕食にした。

なにぶん夜遅いので、カフェ風の小綺麗な店内にはほとんど人がおらず、私を含めて2~3人くらい。頼んだのは、肉夾饃、涼皮、ドリンクの「三秦套餐」18元(西安料理のポピュラーなセット)。日本だと1000円はするので安いなぁ。

ここの涼皮はつるっとしていた敦煌のとはまた違ってグミのような弾力のある歯ごたえ。小ぶりな肉夾饃(通称「西安バーガー」)は層状になったパリパリの生地がおいしい。早速西安らしいものが食べられてよかった。

ホテルまでは地下鉄で1駅。「南稍門」駅から乗ってすぐ隣の「南門(永寧門)」で降りる。出口を上がると早速目の前に城門が!!

もう、完全にしびれた。
光の速さで全身に回る興奮と畏怖。天安門でもこんな気分にはならなかったのに。東夷よこれが中華帝国だ!って、皇帝諸氏のドヤ顔が透けて見えるような感じもする。

西域帰りだからなのか、遣唐使のDNAのせいなのか。それとも二千年の都として、土地にしみ込んだ威光のような物があるのか。城壁だけでこんな気分にさせるんだから、やっぱり天下の長安はすごいや。

城門の正面は通れないので、向かって左の入口から城内に入り、少し歩くと今日から泊まる天閲酒店。回転ドアをくぐってチェックイン。ロビーには兵馬俑現代アートが飾られていた。

640号室に入り、ようやく一息。この狭い部屋も、都会に帰って来た感があるな…。大通りに面した窓から見える夜景も実に華やか。右の方には城門も見えるがちょっと距離があり、見切れてしまうのが残念。

身体的には疲れているはずだが、城門様のおかげですっかりハイになっていたのですぐ寝るのはもったいない気分。せっかくなので、バス停の場所を確認しに行った。兵馬俑行きのバスが出る西安駅に行くなら、南門からだと603番のバスがよさそうだった。

いにしえの朱雀大街(朱雀大路のモデル)・南大街には横断歩道がなく、渡るには地下通路を通らねばならない。通路では若者が弾き語りしていたりと遅い時間でもにぎやかだった。城門見学の入口も、この通路の先にあるみたい。

いよいよ最後の西安観光。無理はせず楽しみたい。
明日はいよいよ兵馬俑!本当に、毎日がクライマックスだ。

つづく
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