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今日は西安の本命・兵馬俑観光!人気で人も多いと思うので、9時に現地到着を目安に7時にホテルを出た。
屋台かコンビニか
まずは朝食を買うためにホテル近くのコンビニに立ち寄る。ここは外資系ではなく中国独自のチェーン。
中国のコンビニといえば、レジカウンターにそびえる巨大なスチーマー。幅が日本のコンビニの2倍はあるし、点心類の種類も豊富。しかも値段も2元くらいで、パン(10元くらい)を買うよりずっと安い。それを楽しみにしていたんだけど、早朝は点心が蒸しあがっていないそうだ。ええー?朝型の中国でそんなことある?
仕方がない。昨日下見したバス停の方に行くと軽食の屋台が出ていた。扱っているのは「菜夾饃」ということで、肉夾饃のベジ版といったところか 。
見てみると、屋台のワゴン車の上には丸いバンズと、プラスチック容器に入った野菜料理がサラダバーのように並んでいた。美味しそうだな、これにしよう!
バンズが3元、あとは好きなおかずを挟めるシステムで、ニンジンのマリネと、豆腐干の炒め物、ナスなどここぞとばかりに詰め込んだ。当時の日記が間違っていなければ、パン代だけ払えばあとは詰め放題。安くてボリュームも栄養もたっぷり、なんてすばらしい!!
…もしかしたら、朝はこういう屋台が多く出てるから、コンビニの点心を買う人もそこまで多くないのだろうか?
兵馬俑行きバス比較
朝食を済ませ、2階建ての603号バスで西安駅へ向かった。バスは駅前のバスターミナル付近で停車。兵馬俑方面行のバスはバスターミナルではなく、西安駅(西安火车站)の東広場から出ているので、下車したら城壁をくぐって駅の敷地内(写真奥)へ向かう。
(これは帰り際に撮ったやつ。朝は人が多いので流れについて行けば大丈夫)
東広場に着いてみると、さすが兵馬俑行きの游5バスの乗り場には長蛇の列。げんなりしていると、右の方で青い服を着た職員さんが呼び込みをしていた。
切符を切ってもらい、あっちへと促される。良く分からなかったので書いてもらったら「915番の緑のバスに乗れ」ということだった。こちらのバスは並ばずすぐ乗ることができた。游5と違ってこちらは指定席だし、いくぶん高級なバスなんだろう。
バスに乗り、料金は中で徴収。兵馬俑までは8元だった。
……あれ?
高級なバスだと思ってたけど游5が7元だからほとんど変わらないじゃん!満員のバスで1時間揺られていくより断然いい。ラッキーだったなぁ。
***
というわけで、当時は西安駅から兵馬俑に行くバスは2タイプあった。1つは游5(306路)バス。こちらは座席が満員になっても立ち乗りできるのと、観光用路線で停車駅が少ないので所要時間が短くてすむのが強み。兵馬俑まで行くと7元。
もう1つは指定席の914・915路バス(上の写真に写ってる、青と緑のやつ)。運賃も8元で游5とほぼ変わらず空調もきいており、指定席だから確実に座れて快適…でおすすめだったんだけど2021年に2つとも廃線になってしまったらしい。そんなぁ。
兵馬俑・華清池までは距離があるので、時間が短い游5でも1時間以上かかる。行列も長く、座れるタイミングで乗れるかは読みにくいので、あまり快適な道行きは望めないかもしれない。代替の路線があるんだろうか?
永遠の玉座の夢 ~秦始皇帝陵博物院
兵馬俑・華清池があるのは西安の東方約20km。小高い驪山のふもとに、始皇帝の眠る驪山陵や温泉の華清池がある。
バスは西安駅を7時50分に出発し、途中華清池周辺のホテルなどに停車しながら9時頃に兵馬俑に到着した。
降車地点からチケット売り場までは少し歩かねばならず、兵馬俑観賞用の双眼鏡などを売る商店街を抜けた先に、驪山陵へのバス乗り場やチケットセンターがある。入場したら絶対高くなる!と思って今のうちに水を買っておく。5元だった。
「兵馬俑」と書いているがここの正式名称は「秦始皇帝陵博物院」。内部は西の陵墓公園と東の兵馬俑博物館の2つのエリアに分かれ、シャトルバスで10~15分ほどで移動できる。
始皇帝の陵墓は始皇帝が13歳で即位した頃からすでに造営が始まり、『史記』の記録するところによると70万人が建造に駆り出されたそうだ。労働者の墓所を調査した結果、陵墓の造営に駆り出されたのは被征服国の人間が多かったらしい。これも後々秦が反感を買う一因になったのだろう。
始皇帝の副葬坑は全部で600以上あるが、発掘されているものは限られ、そのうち公開されているのはわずか3つのみ。その理由の一つは、『史記』の記述通り土壌から水銀の成分が検出され、発掘が危険なためだ。
もちろん、始皇帝自身の墓室も発掘されていない。始皇帝の作り出した地下世界は、今も主を守り続けているのだ。
現地にあった地図。兵馬俑博物館エリアには、メインの博物館のほかいろいろな施設がある。オレンジ色・水色の辺りはアミューズメントエリア。レストランや劇場がある。
左下の四角形が並んでいる所は秦俑村とあるが、博物院の施設ではなく地元の村。開発でこんな名前になったんだろう(たぶん、最初に水を買った所)。兵馬俑に来た観光客向けの宿泊施設や飲食店が集まっている。
それより標識でトイレや兵馬俑博物館と並んでKFCとDicosの存在をアピールしているのが謎。スポンサーか何かなのか。
人気観光地だけあってチケット売り場も巨大。人は多いが窓口も多いので、チケットは割とすんなり買うことができた。入場ゲートは売り場の奥。先程の地図を見てもらうと分かるように、ゲートから兵馬俑坑までは10分くらい歩かねばならない(有料で車のサービスもある)。
大した距離ではないが、とにかく蒸し暑く、乾燥した敦煌と違って日陰にいても全然楽にならないのがしんどい。蝉も泣いているので、気候は東京あたりと近いのだろうか?
驚異の一号坑
公開されている兵馬俑坑は3つあり、写真等でよく見るのは一番大きな1号坑だ。
兵馬俑も、さんざん本やらテレビで見てきたし今更驚くか?と思ったけど、
やっぱすげーっ!!
巨大な体育館みたいだなぁと思ったら、後で本を読んだら約230m×60m、サッカー場2個分以上とあった。スポーツに疎いので、分かるような分からんような。ちなみに兵馬俑坑の中には柱を建てられないそうなので、これだけ大規模な坑に屋根を渡すというのも結構大変なんじゃないか。
なお現在発見されている兵馬俑の総数は8,000体あまり、戦車は100台余りという。陵墓の陪葬坑からは兵馬のほか芸人や馬丁の像も出土しており、つまり始皇帝が生前所有していたもの全てを、死後の世界に写し取ろうとしたのだと考えられている。
よく知られているように兵馬俑は1体1体実際の人物をモデルに作られている。規格化せず個性を持たせたのには、先に書いたように「再現」という狙いがあるからなのだそう。
しかし秦には殉葬の風習もあったので、本人が埋められなくてよかったというべきか…(始皇帝の埋葬時も子供のいない宮女は殉死させられ、陪葬墓が見つかっている)。
1号坑の兵士たちはみな東を向いている。秦の対立国がみな東に位置しているからだけど、始皇帝が早くから墓所を作らせていたことを考えると、この配置が決まった時には統一の確約も無く、六国はまだ現実的な脅威だったのかもしれない。
兵馬俑観察
兵馬俑見学の肝はディテールにあると思うので、面白いと思ったポイントやお気に入りのメンズをいくつか書いておく。ズームレンズを持ってきてよかった。
おっ!と思ったのは意外と彩色が残っていること。(↑中央の兵士に注目)特に白目が残っている俑がちらほらいて、目のついたモアイみたいなゾワッと感がある。
こちらは、一号坑奥にある発掘地区。俑の復元などが行われているようで、番号札を付けた俑や研究員のデスクなどが見えた。
立っている兵士たちをよく見ると、パズルのように破片が貼り合わせられている。番号のついている俑は比較的パーツが揃っているようで、奥にいる俑ズは結構スカスカ。ビニールでパッキングされているのは接着中?こうやって地道に復元作業をしてるんだなぁ。おっ、肌色が残ってる俑もいますね。
しかしモノはすごいんだけど、人が多いから前に出るまでが大変。場所を確保してしまえばじっくり見られるんだけどそれまでは根気がいる。チビだから、人の頭越しにみるというのもできないし。
さらに一号坑は、とにかく汗をかく。ただでさえ暑いし、そこまで通気性の良くない建物に人がぎっしり詰まっているのでひどい熱気がこもっている。何もしなくてもどんどん汗がわいてきて、常に汗を拭き続けていないといけないくらい。
地味にしんどいのが、汗が(特に長くもない)まつげを伝って目に入ってくること。バトル漫画とかでよく「血の目つぶし」がよく出てくるけど、あれと同じでかなり視界に影響が出るし何より煩わしい。
年々猛暑の度が増してきている日本でも、こんなひどい湿度は経験したことがなかったので中々ショックだった。(一番近いのは夏の香港かな…湿度90%とかだった)
というわけで、あんまり長居はしていられない。一号坑の裏側に出るとレストランとショップがあった。ここのショップは兵馬俑や刀剣のレプリカ系など渋いものが多い。「秦の刀剣」素敵だったなぁ....持って帰れないけど。
肝心の兵馬俑レプリカは結構高価。15cmほどの小さなものでも200元(当時4000円ほど)はしてびっくり。昔日本の東博で中国文明展やってた時に買ったけど絶対そんなにしなかった(だったら買ってない)。
二号・三号坑
そのほかの見どころ。2号坑は彩色された俑が出土したことで知られている。
2号坑もなかなかの大きさ。しかし1号坑に比べるとバラバラの俑が多い印象。ちなみに一号坑とは兵種が違って、歩兵が中心の一号坑に対して二号坑からは弓兵や戦車隊、騎馬兵が見つかっているんだそうだ。こちらの方が精鋭かな?
ポーズからすると弓兵…というより弩兵か。左上にあるムキムキの腕みたいに見えるやつは馬?破片も色々想像を掻き立てられて楽しい。
こちらが3号坑。御者がいますね。結構保存状態がよさそうに見えるのに首なしくんばっかり。体は綺麗に残ってるのに頭だけ壊れてる?色々不思議。
坑のサイズは大分小さいです。これを見るとよくわかるかも…
なんか面白いサービスがあった。
推し俑はいずこ
そうそう、2015年に東京で兵馬俑展をやっていたので見に行ったんです(3度行った!)。その時に展示されていた「軍吏俑」が推し俑で、つぶらな瞳としもぶくれな顔がお茶目な顔つきで気に入っていたんです。
しかし陳列館にはおらず、会えなくて残念~と思っていたんだけど、帰国後に展覧会図録を見たら折り込みページに1号坑・2号坑の見取り図と、来日した俑の発見地がちゃんと載っていた。くだんの俑は1号坑にいたらしい。
えー、見に行く前に気づくんだった!しかも今回は左回りに見学したけど、彼がいたのは右回りルート。今度行ったら双眼鏡持ってって探さなきゃ。幸いバードウォッチングにハマってた時に良い双眼鏡手に入れたし。隊列から探し出すのもまた楽しいかも。
www.tnm.jp
ここに載ってるけど斜めアングルで、可愛さがイマイチ伝わってこない。
陳列館
陳列館には銅車馬をはじめとした出土品や兵馬俑と関連する品物の展示がされている。かなり混雑しているので、一号坑よりこちらを朝一で見たほうが本当はいいらしい。
銅車馬は驪山陵の西の銅車馬坑で発見されたもので、西向きに埋められていたため始皇帝が西方の死後の世界(崑崙山?)に行くための馬車だと考えられている。2台あって、一台は始皇帝が乗るための物、もう一台はそれを先導するための物。
しかし銅車馬周りは恐ろしいほどの人込みで近づけないほど。3年前に日本で兵馬俑展やってた時に見ていたからスルー出来たけど、この人気っぷりを見ているとよく貸してくれたものだと思う。
ハイライトの銅車馬以外にも、陳列館の展示は面白い。秦・漢の俑の比較展示があったり、
企画展もやっており、この時はポンペイ展や雲南の古代国家・滇国展をやっていた。個人的には、漢委奴国王印の双子みたいな「滇国印」を見られたのが嬉しかった。
中国王朝が朝貢国に下賜する金印も冊封のランクや出身地によって材質、つまみのデザイン、綬(紐)の色など色々な違いがあるんだけど、滇国印はつまみの部分が蛇で奴国の金印と似てるんです。
国 | 皇帝 | 大きさ | つまみ | 重さ |
奴国の金印 | 後漢の光武帝 | 一辺2.3cm | 蛇 | 108g |
滇国の金印 | 前漢の武帝 | 一辺2.4cm | 蛇 | 90g |
一号~三号坑・陳列館の見学を終え、出口方面に向かう。その辺りにはもう1つショップがあり、ここは渋い一号坑ショップと異なり皇帝や兵馬俑をキャラ化したファンシーグッズ系が多い。
初めてのビャンビャン麺
劇場近くのレストランで昼食をとることにした。マックやスタバなど外資系の飲食店、串焼き屋台、トルコアイス屋台などいろいろ立ち並んでいる中、せっかくなので西安料理の店に入った。ここでは前々から気になっていたビャンビャン麺を注文。
ところで、注文カウンターのディスプレイに表示されているメニューが中英併記なんだけど、「面(麵の簡体字)」の英訳がsurfaceでウケてしまった。いやまぁ、間違いではない...ないけど...。
きしめんの進化形のような、幅広い面が特徴のビャンビャン麺。ここのビャンビャン麺の具はトマト、麺筋、セロリ、ほうれん草、ニンジン、ピーナッツ、豚肉、ジャガイモ、ネギなど野菜たっぷり且つ辛くないので食べやすかった。
ビャンビャン麺も今でこそ街のスーパーで普通に買えるくらい身近になったけど、当時はそんなこと夢にも思わなかった。
いつでも食べられるようにはなるけど、こういう旅先で食べるからこその感動もあると思うので、「現地でないと食べられないもの」は残っていてほしいと思う。朝の菜夾饃みたいな超ローカルフードがそのポジションになっていくのかな?
驪山陵と水商戦
レストラン街を抜けると出口だけど、その前に始皇帝陵=驪山陵を見学しなくては。驪山陵は兵馬俑坑から少し離れていて、出口の手前にシャトルバス乗り場がある。
乗車時間は10分くらい。駐車場から驪山園の入り口までは少し歩く。炎天下に露店が並んでいるが、競うように水を売っており、1本2元、3本5元だよー!という呼び込みが飛び交っている。
兵馬俑博物館に入る前、町の商店で「中に入ったら観光地値段だろうから」と1本5元の水を買ったけど何たる誤算。よく考えたら最初に水を買った場所も兵馬俑の城下町で観光地の一部だったんだから、その作戦にもあまり意味がなかったんだなと思う。喉は乾くし、お得だから3本買った。
ゲートでチケットを通し、驪山園に入園。ここは正直、単に陵墓があるというだけで具体的な何かがあるというわけではない。昔は陵墓に登れたそうだけど今は眺めるだけだし、ただの公園という感じ。
この向こうになだらかな三角形の驪山陵があるんだけど…ちゃんと見えないですね。
陵墓が造られた当初は亡き始皇帝の世話をするための建物(※)とかいろいろ施設もあったらしいけど、遺跡が見られるわけでもない。
※)驪山陵の周りには儀式用の宮殿があり、帝の死後も、食事を運ぶなど生前と同じように世話を続けたという。 |
後は想像の翼を羽ばたかせるしかないけど…それも日差しのキツさと湿気を前にしてはイカロスの翼のごとき儚さ。あまり長居したい気候ではないので、小高い陵墓の姿と石碑を確認したら早々に引き上げてしまった。
ちなみに、西安行きのバスはここからも出ている。次は華清池に行く予定だったので、ここからバスに乗ってもよかったんだけど、兵馬俑のシャトルバス乗り場周辺で「華清池無料バス」というブースを見たのが気になっていたので一度引き返した。
結局無料バスは見つからずに二度手間になってしまったわけだけど。なので、驪山園からそのままバスに乗るのがおすすめです。だいたい華清池までは近いので、運賃を惜しむような距離ではない。
永遠の愛の夢 ~華清池
兵馬俑と並ぶ西安観光のハイライトその2、玄宗と楊貴妃のロマンスで知られる華清池は秦始皇帝陵博物院の少し西、西安から見て手前側にある。
都に近いうえ、風光明媚で温泉も湧き出るこの地には、早くも周代に離宮が築かれたという。その後始皇帝や漢の武帝も離宮を築き、唐代には太宗李世民が湯治に訪れている。その後玄宗が離宮の拡張工事を行い、施設を整えて華清宮と名付けた。
兵馬俑からの華清池までの移動時間はほんの5分ほど。正直兵馬俑・華清池合わせて半日観光くらいのイメージだったのに、完全になめていた。気が付いたらもう14時。驪山のロープウェイも乗りたかったけど、ちょっと無理そうだな。
華清池入り口前の広場には、伏羲と女媧みたいになってる玄宗と楊貴妃像があり、なにかシュール。
反対側。後ろに見えるのが驪山。標高1300mで結構高い。緑の合間に点々と建物が見えるので、登山路も整備されているんだろう。もちろんロープウェイで登ることもできる。
そんなことより暑い!日陰がない!照り返しがつらい!!
異国のノスタルジー
さて、華清池(華清宮)は結構広いので見所を整理しておきたい。華清池のエリアは見どころによって大体次のように分かれると思う。
①は大きな池の周りに唐代風の建物が再現されたエリア。史跡というより、観光向けに整備された庭園という感じがする。離宮の再現なのかもしれないけど、厳密な復元ではないと思う。綺麗で散策や写真撮影にはいい所だけど、時間がなければ飛ばしていいと思う。
②は華清池で一番外せない所だと思う。玄宗や楊貴妃が使った唐代の浴槽の遺跡が残っている。唐代風の建物が再現されているが、これは後世のもの。
③は西安事件の時に蒋介石が滞在していた建物。当時の攻防戦で出来た弾痕等が見られる。建物自体は割と地味で、「ここであの事件が!」と興奮できる人向け。近現代史に興味があれば。
④華清池の背後にそびえる驪山には、華清池内部からロープウェーや徒歩で登ることが出来る。驪山老母(※)の廟などがあるが、時間があればという感じ。今回は行けなかった。
※)強力な女仙で、孫悟空の姉とされたり、『楊家将』の女傑穆桂英や『白蛇伝』の白娘子の師匠とされることもある、中国民間伝承の女傑の元締めみたいな存在 |
入り口を入るとまず庭園エリアに出た。池の周りに蓮や柳が植えられており、池には金魚や鯉も泳いでいて涼やかな雰囲気。しかし不思議なんだけど、全然異国にいる気がしないんですよねこの辺。
そう、奈良や京都の古い建物によく似ている。
しかし平城宮跡の大極殿や東大寺大仏殿を見て「唐代中国様式」だと思う人は中々いないだろう。中国建築というと原色を多用した北京紫禁城的イメージが先行して、江南と華北の様式の違いや、時代による違いもあまり意識されていないように思う。
別にそれがいい悪いというわけではなく(関心が低いという点では残念だけど)、外来のものだという認識がないほど自分の一部になっているってことだろうと思う。そして、日本文化と唐文化の深い結びつきというのも、両方見ないと分からないもんだなぁと思った。
夏の猛暑を、金魚が少し和らげてくれた。
浴槽ランキング
兵馬俑の時点で大体予想はしてたけど、中は案の定人だらけでツアー客も多く、人アレルギーの自分はこれだけで疲弊してしまう。とりあえず、玄宗と楊貴妃が使った浴槽の跡、あとは西安事件の舞台になった五間庁だけは見ておこうと決めた。
温泉の湧く華清宮は玄宗朝には避寒地として用いられ、玄宗は10月になるとこの地に移り、春を迎えると再び長安へ帰還したそうだ。安史の乱により華清宮の建物は破壊されたが、浴場の遺構は当時のものが残っており見学することができる。
それぞれ専用の浴槽があって、
①楊貴妃の浴槽、海棠湯。花形っぽくて可愛い。
②玄宗の浴槽、蓮花湯。まぁ皇帝用だし大きいのも当然。
で、3つ目が③太宗の星辰湯。
でかーっ!皇帝専用と言っても限度があるだろ!
なんかこう、長恨歌の聖地なのに無関係なヤツの浴槽が一番デカいというのに若干の空気読めなさを感じて、中国人もそう感じるのか楊貴妃と玄宗の浴槽にはぽいぽい投げ込まれていた小銭がここにはなく、農夫山泉の赤いペットボトルの蓋があるくらい…(小銭を投げるなとどの浴槽にも書いてあるので正しいことではある)。
でも、失礼なことを言ったけど離宮を構えたのは太宗の方が先だし彼も驪山の温泉が大好きだったのだ。
太宗の時代、ここには「温泉宮」という離宮が造られた。勤勉な帝は体調を崩すと温泉宮に来て湯治しながら政務をとっていたそうだ。驪山温泉について記した碑文『温泉銘(※)』は彼の書道作品としても知られている。
説明によると星辰湯は644年に太宗が造った浴槽で、7つの浴槽が北斗七星に見立てて作られている…とあるので繋がって1つの浴槽に見えるけど元々仕切られていたということなのか。
※)原本は失われ、その拓本は敦煌莫高窟の蔵経洞で見つかったそうだ。色々タイムリー。 |
温泉エリアには、楊貴妃の入浴像もありました。温泉水滑らかにして凝脂を洗う…だっけ。背後の建物に浴槽の遺跡がある。
触らないでね!って注意書きもあった。ということは不届きものがいたらしいな…
さて、華清池のもう一つの歴史的見所「西安事件」の舞台・五間庁は敷地の一番奥まったところにある。場所はこの門を抜けた所。
1936年、共産党討伐のためこの地に滞在していた蔣介石は、日本軍の侵略に一致団結して対抗すべきだと説く張学良と楊虎城に捕らえられ、共産党との停戦に合意した。
ここが五間庁。個々の建物は新しいのか唐代建築風ではない。宮殿のような外見だが中は洋風のつくりで、蒋介石滞在時の書斎、レセプションルーム、浴室、寝室などいろいろな部屋があった。弾痕など当時の爪痕が生々しく残っている。
襲撃された蒋介石は驪山に逃げ込み、その隠れていた場所などもあるらしいけどあまり遅くなりたくないのと、ちょっと疲れていたので今回はそこまで行かなかった。
ちなみに、華清池でも中国お得意のショーを上演しているけど、ここでは長恨歌と西安事変の2種類やっている。演出モリモリの浮世離れしたショーにあまり興味がないので、意外と西安事件の方が歴史劇として楽しめるかもしれない。しかし260元か…。日本の舞台チケットと変わらんなぁ…
適当なところで切り上げて出口方面に向かう。出口の手前には広いショッピングエリアがあって、エアコンもきいていて快適。ここのグッズはバリエーション豊かだしデザインもお洒落で、意外と時間をかけてしまった。
漢詩や年画をデザインしたノートとか、楊貴妃をイメージしたソープ・アロマ、唐代風アクセサリー、あとは玄宗・楊貴妃の可愛いマスコットグッズ。その他唐代に飲まれていた固形茶、中華菓子(横浜中華街に売っているような感じ。唐菓子ってやつ?)などなど、予算があれば色々買いたかった。
華清池帰りの難しさ
見学を終えて外へ。帰りのバス乗り場は華清池から少し離れていてわかりにくい。出口の対面にあればわかりやすいんだけど、ちょっと西安寄りに進んだところにあるんだよね。とりあえず人の流れを追いかけてバス停に辿り着いた。
しかし!
西安行きのバスは大体兵馬俑が始発なので、満員で乗れないこともしばしば。指定席ではない游5バスなら乗れそうだけど満員電車状態だからこれで西安まで1時間というのはちょっと嫌…。
バス乗り場には 包車(乗り合い車)の勧誘も来ていて、「西安行き2名いるかー?」と呼び込みをしていた。これも場合によっては結構便利なんだけど、2名募集じゃ入れないな。
商魂たくましい中国では色んな隙間産業が発達していて、正規のルート(公共交通機関)以外にも色々な手段・選択肢があり、その時々で自分で考えながら動いていかねばならないのが難しくかつ面白い所。
運よく空席多めの指定席バスが来てくれた。こういう時は先を争って前に出ないと損するばかりなので、入り口近くでスタンバって座席を確保。指定席バスが座席が埋まってしまったらそこまでで立ち乗りは出来ないので、何人か入りきれずに下ろされてしまっていた。
19:30頃、ちょうど夕暮れの頃合いに西安駅に帰ってきた。
鐘楼と鼓楼
夜景を取るのが好きなので、旅に出ると大体夜景撮影に出かける。今日も疲れていたけど、せっかくだから鐘楼と鼓楼の写真を撮りに出直した。というか、そのために鐘楼に近いホテルに宿をとっていたのだ。
三脚をもってホテルを出た。まっすぐ南大街を北上すると、突き当りのロータリーに鐘楼がある。
王朝時代、都市の中心には鐘楼と鼓楼が建てられ、住人達に時を告げていた。張掖の鎮遠楼のように「鐘鼓楼」として一体化している場合もあるが、これらは通常対で造られ、かつて人々は朝の鐘の音とともに行動をはじめ、夜の太鼓(暮鼓)が鳴ると一日を終えていた。
現在の鐘楼は明代の1384(洪武十七)年の建設。創建当初の長安城は現在より小さく、街の中心に建てられた鐘楼も今より西側に位置していた。長安城の拡張に伴い、16世紀の万暦年間に現在の場所に移転したそうだ。
鐘楼のあたりは西安の交通拠点の一つで、四方に道が通じているだけでなくロータリー沿いにバス停も沢山ある(西安駅から帰ってきた時もここでバスを降りた)。地上に横断歩道はないので移動はもっぱら地下通路。鐘楼に入場する際も地下からアクセスすることになっている。
ちなみに、撮影の際は南側(南西 ↑の写真)からの方がおすすめ。北側(↓)だと広告や建物がかぶってしまうので個人的にはイマイチ。
もう一つの鼓楼は鐘楼から西の方に500mほど行ったところにある(↓右側、月の下にある建物)。鐘楼の西側はお店が集まっていて人も多く、警察の車も出てきていた。
見返してもうへぇとなる人の多さ…しかも蒸しあっつい
鼓楼も1380(洪武十三)年の建設。内部には1996年に復元された巨大な太鼓が収められ、外周には24節気の名前が書かれた太鼓が並んでいる。
唐代の長安では暮鼓以降の外出が禁じられていたが、現在の鼓楼周辺は商店や飲食店が集まる繁華街になっており、夜でも賑やか。
とくに鼓楼の北には「回坊風情街」というB級グルメストリートがあり(回というのはムスリムのこと)、気にはなるけど人が多そうだし疲れていたので諦めた。
夕食は鐘楼近くの餃子の老舗「徳発長」でいただいた。小麦粉料理もシルクロードを通じて渡来したもので、餃子も西安の名物の一つ。趣向を凝らした餃子のコース「餃子宴」が有名。
餃子宴を出しているのは2階のレストランで、1階は気軽には入れる大衆食堂っぽい感じ。
餃子宴を食べたかったんだけど、食べきれるか不安なのでおとなしく1階でひと皿だけ食べることにした。
メニューは酸辣餃子、蒸し餃子、牛肉餃子などなどいろいろあり、頼んだのは野菜餃子。
予想に反して、具はお肉なしの野菜だけ。栄養が取れてよかったけど正直肉も食べたかった。
水を買い、ホテルに戻った。明日は阿房宮跡や大雁塔の見学を予定していたけど…まったく予定通りに行かない日だった。