古今を問わず、中国人(というか漢族)の日常生活には中国固有の信仰である道教が密接にかかわっている。そのため水都百景録にも道教由来の建築、風習、神々が登場するが、わが国では道教について意外と知られていないことも多い。
というわけで、
本記事ではそもそも道教とは何かというところから始まって、道教や民間信仰とかかわりのある建築について少々解説したいと思います。
【道教とは】
道教 Taoism
中国の民族宗教(キリスト教、仏教等の世界宗教に対する、民族固有の宗教。日本だと神道)。民間信仰に道家の思想、儒教・仏教が混ざり合って成立。自然発生的に生まれたため、特定の教祖は持たない。【道教の特徴】
・目標は現世利益を得ること …現世での幸福・富貴や不老長生、不死を追求
・多神教
…願いに応じて神が生まれる・地域独自の神々もいるので信仰される神の数は非常に多い。さらに観音菩薩や孔子など他宗教の神も取り入れている。
・道教の寺院は道観、聖職者は道士と呼ばれる(女道士は道姑)
★道士に該当する住民は李白(道士の資格を得たことがある)、魚玄機、黄道婆、羅素月、丘処機。あとは知府の友人湯七。
【道教の歴史】
(1)春秋時代 …原型となる思想の誕生
老子や荘子が説いた思想。人為を否定し、万物の根源である「道」に従う無為自然の生き方を説いた。
②神仙道
永遠の生命を求め、仙人となることを目標とする考え。その手段としては丹薬の服用や導引(体操のようなもの)、祈祷などが考えられ、とくに丹薬の錬成をめざす錬丹術が発達した。
神仙道は歴代の権力者の心も捕らえ、始皇帝や漢の武帝が仙薬や仙境の調査を行わせたほか、道教が盛んだった唐代には皇帝が丹薬を服用し崩御する事例もあった。(丹薬の原料は水銀・砒素等の鉱物であり、人体には有毒)
(2)後漢時代 …初期教団の発生
後漢末の2世紀後半になると、前述したような思想を奉じる教団が成立。
三国志でお馴染みの太平道(By張角)と五斗米道(By張陵)が登場し、王朝末の動乱の中、貧民救済・相互扶助の組織として人気を集めた。このうち太平道は鎮圧されたが、五斗米道は生き残り「天師道」として後世の道教教団の母体となった。
(3)魏晋南北朝 …思想の整理と教団の成立
漢代は儒教の影響力が強い時代だったが、その衰退と内乱により、知識人の間で老荘思想が流行。その影響を受けた哲学議論、いわゆる清談に興じる者も多く、例えば竹林の七賢が有名である。
また、この時期には4世紀の道士・葛洪が『抱朴子』を著して道教の教理を理論化するなど、道教の体系化が進んでいった。5世紀には天師道の道士・寇謙之が宗教改革を実施。彼は北魏の皇帝に仕えて重んじられ、本格的な道教の教団が成立していく。
(4)隋唐 …道教の隆盛
唐代には帝室と老子の姓が同じ「李」であることから皇帝の保護を受け、老子が教祖とされるようになった。唐代は道教の影響が強い時代であり、皇帝の中にも玄宗をはじめ道教に傾倒する者がいたほか、李白や杜甫、白居易など著名な詩人たちも錬丹術に関わっていたという。
(5)宋~元 …道教の民間普及と二大教団の成立
経済発展に伴う庶民文化の成熟と共に、道教が民間に流布。この間、今でも現役の二大教団が成立した。
①正一教
天師道が発展したもので開祖は張陵。南部に多く、道士は在家で飲酒や妻帯も可。
在家ゆえにその活動は民衆の日常生活と密着しており、民間で儀礼を請け負ったり呪符を発行したりする。
★知府の友人・七は正一教の道士。江南という土地柄の反映か、明の時代性ゆえか。(後述)
②全真教
開祖は王重陽。儒仏道の調和を説く。北部に多く、道士は出家して道観で暮らす。
修行や瞑想による自己鍛錬を重んじる。
★丘処機は全真教の道士。
(6)明 …正一教一強の時代
明の太祖洪武帝は、二大教団のうち正一教を優遇し全真教を排斥。明代には皇女が正一教の「天師(教主)」に嫁いだことすらあったそうだ。歴代皇帝の中でも特に道教に熱中したのが嘉靖帝で、宮中に道士を呼んで儀式を執り行わせる、丹薬を服用するなどしていた。
⇒以降は少々煩瑣になるので省略。中華人民共和国では毛沢東政権で宗教活動が規制されたが、現在は復活しつつあり、中国道教協会が道教を統括している。
【水都に見る道教文化~建築解説】
【道観】
寺院や道観の壁は一般の建物と区別するため、黄色や赤で塗られることが多い。いずれも特別な色とされていたためだ。黄色は中国を象徴する黄土や黄河の色であり、五行思想では中心の色、また皇帝のみ着用が許されるなど、古くから高貴な色とされてきた。一方の赤も富貴や荘厳を象徴する色であり、周代には宮殿を赤く塗っていた。紫禁城など宮殿の壁が赤く塗られるのもこれに由来する。(州府が赤いのも、たぶん同じ理由)
【丹薬炉】
丹薬を錬成する炉のこと。三層の炉の上に鼎を置き、丹薬の材料を入れた容器を入れて加熱する。鼎は古来祭祀に使われる神聖な容器であり、錬丹の成功を神に祈る目的で反応容器として使われるようになったそうだ。鼎の三本足は「天・地・人」を表し、足の長さは春夏秋冬を表す四寸であったという。
剣と鏡が置かれているのはそれぞれ魔除けと獣除けのため。手前にある高低差のある器具は水銀の蒸留器。丹薬の錬成は、清浄な山の中で行うべきだと考えられていた。
「八卦炉」は『西遊記』では太上老君(老子を神格化した神)の丹薬炉として登場し、天界で暴れた孫悟空が八卦炉で焼かれるエピソードがある。
【祠堂】
祖先を祀る施設(位牌に注目!)。漢民族には祖先祭祀の伝統があるが、祖先は子孫を庇護し、福をもたらす存在と考えられていた。ゆえに祖先祭祀は単に死者を偲ぶ儀式ではなく、彼らに現世利益を祈るためのものだった。
そのため清明節や中元節には祖先祭祀を行うほか、紙銭や紙製の日用品を燃やして冥界に贈る。祖先の方もこれらの「仕送り」によって生活しているため、両者は相互依存的な関係にあると言える。そのため、中国では「祖先」の一員になった時に備えて、子孫を残すことが非常に重視されてきた。
ちなみに、徽州府の祖廟も同様の施設。中国南部では同姓の氏族集団(宗族=徽商一族のモデル)が集まって住む村落が多いが、そこには必ず一族の祖先を祀る祠堂が置かれ、一族の結合のかなめとしての役割を果たした。
【葬儀店の品物について】
日本では葬式と言えば仏教だが、中国の葬祭文化は道教の影響も強いため日本と大きく異なり、葬儀店に描かれている品物もイメージしづらいものが多い。以下、水都の「葬儀店」(日本的には「仏具店」と考えるとしっくりくると思う)に並んでいる品物を紹介してみます。同定については、自信はありますが公式に答えが出ているわけではないので、参考程度に。
【~Lv.4】
①冥宅?
祖先祭祀の所でも触れたが、中国では死者に紙製品を贈る風習がある。冥宅もその一種で死者の住居として使われる。②呪符
黄色い紙に朱筆に書かれたお札。魔除け等色々な意味がある。
③紙銭
机の上にある品物のうち、正方形で中央が金色をしているものが紙銭。死者が冥界で使用するお金で、これも燃やして死者に届ける。④線香
色合い的におそらく線香。屋根の上にある円盤状のものは、中国南部で見られる渦巻き線香だと思われる。
【Lv.5】
⑤桃木剣
葬儀店のカウンターに置かれている剣は、おそらく魔除けの桃木剣。桃の木は古来魔除けの木とされており、(桃taoと逃taoが同音のため)正月に門に貼る魔除けの門神も昔は桃の木でできた人形だったという。ちなみにこの考え方は日本にも流入し、古事記のイザナギ・イザナミ神話や桃太郎に影響を与えたと考えられている。
⑥紙船?
人が死ぬと、60日目に冥府の川を渡る。そのため紙の船を燃やして橋を届ける習慣があった。また、中元節の夜、行き場のない魂を冥府に送り届けるため、船を浮かべて燃やす風習も。橋がないので後者かもしれない。
【葬列について】
①色彩
中国ではめでたい色は赤、不吉な色は白。なので現代中国でも結婚式などめでたい行事は「紅事」、葬儀等は「白事」という。
白=不吉というのは陰陽五行思想に由来。白は五行の「金」の色とされたが、金は陰に属し、方角は西(日没の方角=死者が赴く方角とされた)、秋(衰退の季節)に対応。そのため白虹、白虎など白いものは不吉とされた。
②喪服
中国の伝統的な喪服。麻で作った粗末な衣に縄の帯を締めている。
③紙銭
最後尾の人物が撒いているドーナツ状のものは紙銭、つまり霊のためのお金。葬式の道中で紙銭をまくのは、霊たちに進行を邪魔させないため。そのためこれを「買路銭」ともいう。つまり、霊を買収するわけだ。
【醮祭大典】
醮とは道士が祭壇を設けて祈祷を行うことで、この「醮祭大典」は寺院ではなく儀式のための仮設の祭壇。前述した正一教の在家道士が執り行うことが多い。彼らの職務内容の一例として、以下のようなものがある。
①元宵設醮
元宵(上元)節に行う福招きの儀式。一年の運勢がかかっているため、最高のお供えをして臨むという。
②聖誕設醮
神々の誕生日を祝う。
③誦経普度
死者の祭り・中元節に、身寄りがなく彷徨っている霊の成仏を祈る「普度勝会」を執り行う。
画像再掲。建築「醮祭大典」に描かれているのはおそらく以下のもの。建築説明文は下元の儀式だが、装飾の内容的には中元の普度勝会の祭壇に見える。(あくまで推測です)
①紙馬
祭壇向かって右側にある騎馬像で、天帝への伝令役を果たす。儀式の際には紙馬の口に飼葉代わりの野菜を差し込み、儀式が終わったら焚き上げる。②八爺?
祭壇向かって左に立っている黒い神像。手に持っているのは羽扇。白色の「七爺」とペアで冥府の番人をつとめ、死者の魂を冥府に連行する。「白無常」「黒無常」などとも呼ばれる。なので、祭壇の反対側には七爺がいるのかもしれない。
③大士爺?
八爺?の隣にある大きな神像推測。大士爺は旧暦七月、中元節の際に飾られる神像。この時期は死者の魂が現世に戻ってくるため、その監督役を担う神。鬼のようないかつい風貌をしている。
④紙銭
赤い敷物の上に散らばっているドーナツ状のものは、銅銭を模した紙銭。前述したとおり、死者が使用するお金。
【参考文献】
坂出祥伸『道教とはなにか』中公叢書 2005
東洋文化研究会編『中国の暮らしと文化を知るための40章』明石書店 2005
今井弘『古代の中国文化を探る』関西大学出版部 2011
今回は以上です。道教については、第二弾として神々や仙人についてもまとめられたらと思ってます。