ようやく6章を終えて、イベストクリアしたので。世界観とメインキャラの考察ですが、専門が中国だからホンルくらいしかまともに考察できないっていうね!後は感想レベルだけど許してください。
モチーフ
・19世紀イギリス(『嵐が丘』とつながる)
・産業革命と階級闘争(資本主義-資本家⇔社会主義-労働者)
・エンデ『モモ』(所有時間による格差、時間泥棒=時間殺人鬼)
・切り裂きジャック(時間殺人鬼の英名がTime ripper)
産業革命と階級闘争
イベントの舞台であるT社では時間が通貨のように扱われ、その所有の多寡によって格差社会が生まれている。発想の元は『モモ』の他に、産業革命を象徴するフレーズとしての「Time is money」も関係しているのではと考えている。
T社はモチーフ、ビジュアル等様々な面で19世紀のイギリスを彷彿とさせる。そして「Time is money」という言葉が生まれ、人間(主に労働者)が時計で分刻みで管理されるようになったのは利潤追求を至上とする資本主義の台頭、ひいては産業革命以降のこと。(労働時間が収益につながるということ)
19世紀以降、産業革命による工業化・生産システムの変化に伴って社会の構造も変化し、新しい階級が登場した。
資本家 | 工場主、企業主。貴族や地主に対して「小金持ち」の中産階級(ブルジョワジー) |
労働者 | 資本家に雇用され工場で働く無産階級(プロレタリアート) |
「時間殺人時間」のイベントでは資本家階級⇒バンブル(※)、労働者階級⇒工場労働者とユロージヴィが代表していると思う。イベストやダンジョンイベントでも工場が登場する。
※)T社は企業だけど実質上国家機構なので、資本家階級ではない気がする |
しかし、産業革命直後の工場では利潤追求を優先するあまり、労働環境は劣悪だった。さらに労働者は参政権も認められず、ヨーロッパ諸国では19~20世紀初頭を通じて、労働環境改善や参政権を巡る資本家・労働者の戦いが繰り広げられた。
(というか日本も含めて産業革命を経験するとどこの国でも同じ展開が起こる)
そして、労働者たちの精神的支柱になったのが「社会主義」。利潤追求・自由競争とその結果としての格差を肯定する資本主義への批判として生まれた思想で、平等な富の分配を目指した。
名称 | 特徴 | 支持者 |
資本主義 | 機会均等、自由競争(スタートの平等) | 資本家 |
社会主義 | 均等配分、格差是正(ゴールの平等) | 労働者 |
時間殺人鬼の第2形態が使ってくる「時間共同分担支出」は社会主義がモデルなのだろう。
マルクスの『共産党宣言』 のパロディもあるしね。(元ネタは「万国の労働者よ、団結せよ」)
ロシア風のユロージヴィがここで登場するのも、ボリシェヴィキ等マルクスに影響を受けた革命勢力がモデルになっているからなんだろう。マルクスは単なる労働者の待遇改善や法的な平等を目標にするのではなく、革命によって資本主義社会自体を変革するべきだと考えていた。
というわけで、ビジュアルだけでなく世界観まで実に19世紀らしい話だったと思う。
ロージャ(自己肯定感の低さ、英雄願望)
これまでリンバスのロージャと「ラスコーリニコフ」がイマイチ重ならなかったけど、今回のイベントで初めてしっくり来た。というか、2章ではまだ全然掘り下げられてなかったんだな。
自分を特別な人間だと思っているが自己肯定感が低い、というのはまさに『罪と罰』のラスコーリニコフの特徴。
原作だと「特別」を証明したいがゆえに殺人に手を染め(これが彼の「ギャンブル」だと思う)、罪の重さに悩み続けることになる。が、リンバスロージャは殺人後も特別に執着しているのが原作と違う所?老婆に「お前は特別じゃない」と言われたから?
普段のムードメーカー的振る舞いは「特別な人間らしい態度」を演じているんだろう。普段の彼女が、原作におけるロージャの親友ラズミーヒンに似ていると言っている人もいたし、そういうロールモデルがあるのかもしれない。
T社ロージャが彼女の本来の顔なのかな。
ドンキホーテもロージャも、明るく見えて陰鬱なものを隠してるタイプだと思うのでそういうチョイス?
ホンル(価値観の不在、荘子、渾沌)
イベントだとロージャの変貌がインパクトあったけど、個人的にはそれに劣らずホンルの印象も変わったと思ってる。彼は適応力高くて強メンタルなんだと思ってたけど、そう単純な話じゃないんだなぁと思った。
彼は多分、無なんじゃないか?執着をしない、抵抗をしない、自分の価値観を持たない、そういう意味での無。なんでも容れられるけど、何も持っていない。博愛・楽観は彼の性格的特徴だけど、それは価値観を持たないためとも言える。(ホンルの言葉を借りれば、世界を理解するための物差しがない)
例えば他の囚人のように拒絶や怒りを表現するのも、自分の中にはっきりした価値観があるから可能になること。ホンルには多分それがなくて、だから懐が深いしいつでも悠々として見える。何にでも肯定的、好奇心を持つのは一見能動的なようだけど、何でも受け入れてしまう受動性とも言える。この辺りが彼の弱点なんだろう。
こうした彼の性格は、原作を考えると納得が出来る。というのも、賈宝玉は道家の信奉者で『荘子』を愛読している。そして、価値観の放棄、対立の否定(同一化)、自由な精神、それこそが荘子の理想とする精神の在り方。今のホンルはそれに近い境地にいると思う。
是非にとらわれて他を非難するのは、にこやかにすべてを受け入れるのには及ばず、にこやかにすべてを受け入れるのは、推移のままに身をゆだねるのに及ばない。
ちなみに『荘子』っていうのは究極の相対主義で、これにハマると何もかもメタ的に解釈しちゃって、逆に自分の物差しが持てなくなる……そういうタイプの思想で、イベストでホンルが言っていた「兄と姉に殺されそうになった時に、相手の気持ちが分かるから抵抗しなかった」というのもこういう行き過ぎた相対主義に見える。
ヘルチキのファウストとの会話を見ていると、まさにこの「私を手放す」ことに触れられている。でもそれは後天的に作られた価値観で、以前の彼には何か信じる軸があったのだろう。黛玉かなと思っていたけど、今のところ何も触れられていないので「家族」の崩壊を指すのかもしれない。
今思ったけど、もしかして「虚幻境」の発動台詞「幻想の中に入る」というのは自分を手放して現実逃避することなのかも。憂鬱資源沢山使うし。
『紅楼夢』に出てくる太虚幻境の牌楼(ホンルの人物紹介イラストの背景)に「仮(うそ)の真となる時、真もまた仮」「無の有となる処、有もまた無」という対聯があり、対立する価値観の同一化、相対化という荘子的な思想を感じる。
渾沌と時間、鴻璐
価値観がない状態=『荘子』に出てくる、のっぺらぼうの神「渾沌」のイメージにも重なる。渾沌というのは全てが未分化の状態で、価値観、道理が存在しない状態とも言える。そうなると、ホンルの名前の「鴻」というのは、渾沌の別名「帝鴻」からという可能性もある?と、ふと思いついた。ねじれになるなら見た目は渾沌っぽくなりそう。
もしホンルが荘子や渾沌を意識して造型されているとしたら、渾沌のエピソードに登場する「儵(しゅく)」と「忽」が短い時間・スピードの速い常識的世界・人間の儚さを象徴しているので、ホンルが時間殺人時間に抜擢された背景にはこれもあるかもしれない。
叔母さんと塩
これは賈宝玉の叔母=賈敏で、賈敏の夫・林如海(林黛玉の父)は揚州で巡塩御史を務めていたから…っていうのを海外wikiで読んでなるほどー!となった。
そうそう、揚州と言えば清朝最大の製塩地であり塩商人の聖地じゃないか。
5章の蛹とかもそうだけど、些細な台詞でもしっかり原作準拠してるから油断できない。上から2番目の叔母というのが気になっているけど、賈赦の妻(邢氏)も含めるってことか?それとも、何人かは関係なく単に叔母=塩という情報にだけ意味があるのか。
1000時間の意味
ところでここ、
演技だけじゃないように感じた。「1000時間の経過」によって彼が望むことがあったんじゃないか。その前の良秀との会話を踏まえると、長時間経過による「家族」の死=解放?
声がついたらどんな感じだったのか、聞いてみたかった。
いずれにせよ、ドンキホーテの7章が終わったら彼の番なので、今回のイベントはその前振りも兼ねていたのではないかと思う。
良秀(ついに出てきた家族観)
良秀が家族に言及したのでおっ?と思った。原作的に。
E.G.Oギフト「灰は灰に」「塵は塵に」(灰になった人のように見える)からの、合成ギフト「鎮魂」(能面で露骨に日本要素)が良秀絡みではないかと言われてるので、娘に当たる人物が焼死した事実は原作通りあるんだろう。
ワープ特急の方でも親子の話に反応してたし、後半章の展開に向けて少しずつ掘り下げが始まっているなと思う。ただ、「勝手に親子と呼ぶ」「子供の行動に親が責任を負うことはない」的な発言を見てると家族がいても情はなさそうで、『宇治拾遺物語』の方のサイコで芸術至上な良秀の方なのか
そもそも家庭を築くような性格に思えないので、芸術のために必要だから子供持ってみた…くらいの動機でも驚かない。
つかみどころのない良秀が、今回のイベントだと結構真人間に書かれていたなと思った。いつも本当に、無駄を省いてるだけなんだな。
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どうでもいいけどムルソーきみさあ…
ヘルチキといい完全にシリアスな笑い芸人になっているじゃないか……
眼鏡ムルソーに惚れて推し始めたけど本格的にファンになる
あと、ヒューバート代表の台詞がいいね。考えさせられるものが多かった。お気に入りは↓
「感情が変わるから時間が流れていく」。