壺中天

歴史、旅行、ごはん、ゲームなどアジアなことを色々つづります。

死者の夏祭り:中元節の世界

夏の祭りと言えば……やっぱり中元節である

中元節は鬼節()、盂蘭節、盂蘭盆会とも言われ、死者を供養する中華圏のお祭りだ。狭義の「中元節」は旧暦七月十五日(今年は8/18)となっているが、祭りの期間は七月いっぱい(8/4~9/2)。

中国では南北朝時代頃まで遡る由緒ある祭りだが、中国本土は毛沢東政権による伝統文化破壊の後遺症が残っているので、今では主に香港、シンガポールなどの南洋中華圏で体験することができる。

要するに日本でいう「お盆」のことで、死者の魂が帰ってくるという考え方も同じ。しかし中華圏の「お盆」は、精霊流しに迎え火送り火…のようなしめやかな和の雰囲気とはだいぶ異なる。(と思う)

中国の葬式は死者を楽しませるのが第一なので「吉事」として行う…とは以前も書いたが、中元節もその例に漏れない。この時期は街中に特設会場が設置されたりカラフルな紙製品が飾られたり街角で劇が上演されたり、町全体がお祭り会場のような、華やか且つ超現実的な雰囲気になるのだ。

本ブログでも何度か中国の葬式・死者関連の風習を取り上げてきたが、この中元節も本当に好きで好きで、毎年旧暦七月が近づくとソワソワし出するほど。

というわけで、本記事ではシンガポールやマレーシア、香港等での体験をもとに、中元節の魅力について紹介していきたい。あくまで自分の体験をもとに書いているので、地域や情報が偏っている点についてはご了承いただきたい。

※)中国語で「鬼」は幽霊のこと。英名もGhost Festivalという。

簡単に中元節


中国(文化圏)では、旧暦七月には冥府の門(鬼門)が開き、死者の魂が現世に解き放たれると考えられている。ここは「お盆」とも共通しているが、そうでない部分もある。日本のお盆は主に「ご先祖を迎える」行事だが、中国ではやってくるのはご先祖だけではないのだ。

中国では、人は死ぬと冥府に行って閻魔王(または東岳大帝)の裁きを受ける。無事通過すると晴れて冥府に住むことができるのだが、冥府では生活必需品を自給できず、子孫のお供え物に依存しなければならない。だから子孫を残さず死んだ霊()は食べ物すら手に入らず、苦しみ続ける羽目になる。

冥府の門が開くと、こうした身寄りがない霊=「孤魂野鬼」も現世にやってくる。彼等は生者に害をなすこともあるので、七月の間、現世の人々は彼等のために食べ物を供えたり娯楽を提供したり、さまざまな形で供養を行う。

逆にいうと、祖先祭祀なら個々の空間で完結する。路上も含めて町全体にお祭りムードが広がるのは、彷徨える孤魂野鬼の存在があるからで、中元節の面白さは彼らあってこそと言えるだろう。

※)華僑の多い東南アジアでは中元節が盛んだが、初期の華僑の中には単身移住して病に斃れたり虎に襲われたり、孤独に亡くなった者も多かった。東南アジアの中元節は華人コミュニティの基礎を築いた先人に敬意を払うという意味合いも強いのだそうだ。

中元節の風景

中元節の非日常を演出する素敵な風景、素敵なオブジェの数々。主にシンガポールを例にご紹介。

1.中元テント(仮称)

中元節には、街のあちこちに仮設テントが作られる。中元節で使う品物や設備がここに集められており、実質ここが中元節の会場と言えるだろう。

見た限りでは、同郷団体(華僑の出身地別グループ)や同業団体が設置しているようである。団体の規模によってテントの規模もそれぞれで、例えば上の写真はシンガポールのチャイナタウンの「商聯会」のものでさすがに立派。こういうのは、同業団体が発達した中国社会ならではという感じがする。

内部には大士爺像(後述)や祖先に送る「仕送り」の紙扎製品などが置いてあり、さらに法要や直会?の会場にもなるようで、祭壇があったり椅子や円卓がセッティングされていたりする。

中元節を象徴するものがぎっしり詰まっているので、ディープに行事を体験してみたい時は、まずはこのテントを探してみよう。

2.供物台


先程も述べたように、中元節の時期には、路上に身寄りのない霊「孤魂野鬼」がいて悪さをすると考えられており、彼らを供養するためにお供え物をする。見たところ、置いてあるのはオレンジやリンゴなどの果物やピーナッツ、小袋のお菓子が中心。ビールもあった。

ちなみに、孤魂野鬼じゃない霊はどんな食べ物がもらえるのか、テント内の位牌の前にあったお供えを見てみた。果物、中華菓子、白米、マントウ、きくらげ、春雨、干し肉?などが写っていた。調理されていない・保存のきくものが中心で豪勢な料理ではないが、やはり格差はある…。

もっとダイレクトに置いてあるケースもある(inマカオ)。線香やろうそくは霊たちに向けて「ここに食べ物があるよ!」という道しるべになる。

ちなみに中元シーズンでは、こうやって路上で何かを燃やしている人を見かけることもあると思う。この女性が焼いているのは神霊に供えるお金。金箔を貼った「金紙」と銀箔を貼った「銀紙」があり、この場合は銀紙のようだ。

調べてみた所、金紙・銀紙には以下の違いがあるそうだ。

種類 意味 対象 使い道
金紙 吉祥 神界 神仏を祀る時に使用。金貨と同等の価値
銀紙 厄除け 冥界 祖先・孤魂野鬼を祀る時に使用。線香代程度の価値

というわけで、彼女は孤魂野鬼の供養をしているのだろう。これまで見た限りでは、祖先に送金するなら紙銭の入った袋を燃やすのが一般的のようだし。

これが金紙。金紙にも種類があり、状況によって使い分けるそうなのだが、これは福禄寿三星)の版画に見える。

……というか、神様ってお金使うの?お賽銭や寄進と思えばまぁ分かるけど、イメージ的に…。

※)ここで気づいたんだけど、中元テントの中にはどこも福禄寿三星の画像が飾ってある。だから中元節と縁が深いのは確からしいんだけど、理由は分からない

3.舞台


街を歩いていると、唐突に人形劇が上演されていることがある。これは生きた人間ではなく幽霊のために上演されるもので「神功戯」と呼ばれる。人形劇の場合もあるし、人間が演じることもある。

中国にはもともと葬式(通夜)で故人のために劇や音楽を上演する伝統もあるので、死者のために出し物をする、というのは別に不思議なことではない。

シンガポールを訪れた時はこの音に誘われてテントに辿り着いたのだが、音は幽霊を喜ばせると考えられているので、敢えて大きな音を出すのだそうだ。

東南アジアでは、今だと歌やダンスなど現代的なパフォーマンスをやることもあるらしい(「歌台」という)。確かに、ペナンの中元テントの横では夜にステージで女性が歌っていた。会場のポスターには「カラオケ大会」とあったので、自分たちの娯楽も兼ねた現代的な出し物も増えているんだろう。

死者の世代も変わっていくので理解はできるけど、それでも「観客のいない人形劇の不思議さ」に病みつきになった自分としては、神功戯がなくなってしまったら悲しいなぁ。

部外者の需要でしかないってのは分かるけど、部外者を引き付けるほどのものを持ってるってことでもあると思うんだ。

4.面燃大士(大士爺)


中元節につきものなのが「面燃大士(大士爺)」という神様。現世に戻ってくる死者の先導・監督役を担っており、中元節シーズンに各地に設けられるテントには大体この大士爺がいてインパクトを放っている。

お寺や廟ではあまり見かけない神様だが、由来は仏教らしい。観音菩薩の化身とも言われるし、元々餓鬼で、顔が燃えて苦しんでいたのを仏弟子のアナンダ(阿難)に救われ護法神となった伝説もある。

基本的には鬼のような顔で中華風の甲冑を着ている。それ以外のビジュアルは、自分が見た限りでは地域によって色々異なっていた。華僑も広東系福建系などルーツによって文化習慣が異なるので、こういう違いは「どの国か」ではなく「どの地方出身か」で生じるんじゃないかなと思っている。

香港 白い顔 「分衣施食」の札と「善悪分明」の紙
シンガポール 青い顔 斧と金輪/南無阿弥陀仏の札
マレーシア 色は様々、舌が長い 「分衣施食」の札
※)シンガポールの大士爺は、シアン・ホッケン寺院など他の場所で見た時も青い顔だった。シアン・ホッケン寺院も福建人の創建なので青いのは福建式なのか?他に面白いのが、ベトナム語wikipediaに載っていたベトナムの大士爺が舌を出したマレーシアのに似ていること。


中元節の締めくくりとして、役目を終えた大士爺像は焚き上げられる。大士爺の横にはよく「金山銀山」が置いてあるが、これも含めてテントの紙製品はこの時全て燃やすんだろう。

5.紙扎製品(仕送り品)

前述のように、冥府の死者たちは子孫が送る供物がないと生活が出来ないので現世から送ってあげる必要がある。

冥府に物資を届ける際には、「紙扎」と呼ばれる紙製品を焼いて届ける。紙で作った模造品を焼くと、あの世で本物になるというメカニズムだ。(詳しくは以下の記事で)
xiaoyaoyou.hatenadiary.jp

祖先供養の祭りである中元節でも大量の紙扎製品が用意され、祭りが終わる=旧暦七月が終わると燃やしてあの世に届けられる。それまでは会場内に置いてあるので、旅行者も見ることができる。

左はおもちゃのようにも見えるが、もちろんすべて紙扎製品。右の写真に写っている箱はよく見かけるが、「男」「女」と張り紙がしてあるのを見たので衣装箱かもしれない。パンパンの紙袋には紙銭(ハイパーインフレ紙幣)がぎっしり入っている。

これは死者の住まい、冥宅。青白い電飾がたまらない。

紙扎製品のこの、いかにも「この世のものじゃない!」って過剰さと色彩感覚がいいんだよね。

燃やす前提の省エネが理由でもあると思うけど、こういう拙い造型も、現実との距離を広げてくれてすごくいい。明らかにこの世の存在じゃないもん。

6.普渡勝会の祭壇


中元節では身寄りがなく彷徨っている霊の成仏を祈る「普度勝会」(施餓鬼法要)を執り行うが、これはそのための祭壇。単独で設置されている場合も、中元テントの中に収まっている場合もある。

シンガポールでは夕食帰りに、こういう仮設祭壇で僧侶が読経しているのを見た。慣習として、法要は夜に行うんだそうだ。

全体像はこんな感じ。向かいのテントのゲートには八仙が描いてあり、神仏習合している。

……というか、そもそもが中元節は仏教と道教フュージョンしたイベントなので以下、その成り立ちについて書いておく。

中元節の成り立ち

起源①仏教の盂蘭盆


語源はサンスクリット語のウランバナ()。地獄に落ちて苦しんでいる亡者を供養し、その苦しみを取り除く法事を指す。

ルーツは釈迦の十大弟子のひとりである目連(目犍連)が餓鬼道に落ちた母を救った「目連救母」の伝説と言われる。

目連救母の出典である『盂蘭盆経』によると、釈迦が目連に「7月15日に僧侶に食べ物を施せば母を救える」と助言したので、この日に盂蘭盆会・施餓鬼法要を行うことになっている。

中国では仏教が根付き始めた南北朝時代盂蘭盆会が流入。仏教クレイジーの梁の武帝盂蘭盆会の法要を導入し、以降の王朝にも受け継がれたそうだ。

ちなみに今の日本の「お中元」は、盂蘭盆会で仏前に備える品物を贈答する習慣が変化したものである。

※)Ullambanaとは「逆さ吊り」という意味がある。地獄に落ちた亡者が逆さづりにされているから、らしい。

起源②道教の中元節

道教には「三元(上元・中元・下元)」という考え方があり、上元が一月十五日(元宵節)、中元が七月十五日、下元が十月十五日にあたる。

三元はそれぞれ「天官」「地官」「水官」という神の誕生日とされている。彼らは玉皇上帝(天帝)直属の高位の神々で、古代の理想の王とされた「堯」「舜」「禹」が神格化されたものとも言われる。

この三官の役割は人間を監督し、その行いの善悪によって運勢を定めること。特に三元の日は三官が天帝に報告を上げる日と考えられていたので、この日には三官に供物をささげて罪を懺悔し、幸福を祈った。

三官がもたらす恩恵については以下の通り。

上元 一月十五日 天官賜福=天官が福を授ける
中元 七月十五日 地官赦罪=地官が罪を許す
下元 十月十五日 水官解厄=水官が厄を払う

三官信仰は後漢頃からあったそうだが()、今に伝わるような「三元」が確立されたのは6~7世紀(南北朝~唐)と言われ、仏教など外来文化の影響や、唐の帝室が道教を重んじたことが関係しているそうだ。

※)『後漢書張魯伝に、五斗米道では病を癒す祈祷をする時、病人の姓名を書いた紙を天・地・水に捧げて「三官手書」と言った…という記述がある

中元節も仏教の盂蘭盆会の影響を受けて成立したが、中元が地官赦罪の日であることから「地官に祖先の罪の許しを祈る」習慣がもともとあり、これが亡者の救済という盂蘭盆会のイメージと習合したものと考えられている。

三官大帝の写真を見つけたけど……なんか新キャラが混ざってた。火官大帝って誰だよ。祝融

起源③儒教の祖先祭祀

直接原型となる行事があるわけではないが、仏教の盂蘭盆会や中元節が中国社会の中にスムーズに馴染んでいったのには、もともと儒教の影響で祖先や孝を重んじる伝統が根付いていたからだと考えられている。

なので、中元節とは中国の三大宗教すべてを取り込んで生まれた「中国的死生観の集大成」とも言うべき祭りではないかと思う。

中元節見聞記

1.シンガポール(2014/8)

2014年8月23日、シンガポール

この日は市内北にあるバレスティア・ロードを訪れた。バクテーやチキンライスなど地元グルメで有名な通りなのだが、目的はビルマ寺院とチベット仏教寺院を見ることだった。

(チキンライスも食べた)

目的を果たしていざホテルに戻ろうと思ったが、この時はクレジットカードの利用額が上限に達してしまいATMキャッシングができず、かといって日本円もほとんどなく懐事情がかなりシビアだった。

なので、乗り物代をケチって黙々と歩いていると、なにやら京劇のような歌声と音楽が聞こえてきたのだった。

音に誘われて脇道に歩いていくと、紅白の横断幕で囲まれたテントに行き当たった。見ると、お供え物や祭壇がある。

チラチラ様子を窺っていると椅子に座っていたおじさん方が「写真撮る?」と声をかけてくださったので、お言葉に甘えることにした。

「劇をやってるんですか?」と聞いてみたらおじさんはそうだよ、と指を指す。その方向に向かっていくと、テントの突き当り、小ぶりな舞台で人形劇をやっていた。

観客は誰もいない……と思ったが、よく見れば紙の位牌が並んでいた。位牌には写真も貼ってあり、ちゃんと顔が舞台を向いていた。

この「生きた観客のいない人形劇」というのは当時中々のインパクトで、これが中元節、さらに華やかさと不気味さが同居する中国の葬祭文化にハマった原点だと思っている。

ところでこういう公演では、最前列は死者のために空けておくのが習わし。この時は物珍しさで舞台の真ん前まで行って見ていたので、今思うとマナー違反だったな。

*****

一通り満足して元の場所に戻ると、再びおじさんたちに招かれた。座らせてもらい、ちょっとほろ苦い菊花茶をごちそうになりながらお話をした。

これは何?と聞いてみた。知識として知っているが、現地の人たちの言葉で聞きたいと思った。以下、この時聞いた内容。

これは「Celebration of Seventh month, To control Hell」。旧暦七月の一か月間は冥府の門が開き、そこから死者がやってくる。彼等は1か月地上に出てきて、その後また戻っていく。今日は終わりから2日目で明日には門が閉まる。だから霊たちは急いでいるんだ。明日(最終日)祭りが終わって、全部片付けることになっている。

……おお、臨場感のある話が聞けた!あまり考えたことなかったけど、門限に間に合うよう自分で帰らなきゃいけないのか。引率の大士爺も30日目が終わると帰っちゃうし。

その後話題は日本のお盆や何故か給料とか東京の家賃とか生臭い方面に及び、やがておじさんたちは中座しご飯を食べに行った。

一人になったので見学を再開する。ここのテントにあったのは大体以下。
①死者に送る紙扎製品(冥宅、金山銀山、日用品)
②大士爺の像
③人形劇の舞台
④位牌の祭壇
⑤中元の祭壇(福禄寿や十王が祀られている)
⑥普渡勝会の法会会場
直会(たぶん)会場(↓ 円卓と椅子が並ぶ)

許可を頂いたうえで、じっくり見学させていただけるのは有難い。ここは中元会場としては中規模だと思うけど、チャイナタウンやベサール・フードセンターなどの規模の大きいテントを見ても構成はどこもこんな感じだった。

いきなり、「ニホンジン!」と呼ばれた。なんとご飯を食べさせてもらえることに。

「ジャパニーズウドン!」「ウドンメン!」と嬉しそうに勧めてくださるおじさま方。白湯スープと野菜の優しい味で美味しかった。some more!と言われたけどほどほどに、お礼を言ってテントを後にした。

たのしかったー。
外に出て気づいてみたらこの建物は「福清会館」。つまり、福建省の福清出身の華僑のコミュニティセンターだ。近くには「福州大厦」というビルもあり、福建系華僑が多いエリアなのかもしれない。

色々貴重な体験をさせていただいた。この時から中元節について意識的に関心を持つようになったと思う。

2.マレーシア(2017/8)

2017年の8月にマレーシアを訪れた。

クアラルンプール、マラッカ、ペナンのジョージタウンと3つの町を訪れたが、一番中元節の雰囲気を感じたのはペナンだった。華人が多い所らしいので、その関係なんだろう。

クアラルンプールやマラッカでの滞在では全然それらしき光景を見なかったので、中元節の時期だという自覚もなく歩いていたのだが……ふと、強い線香の匂いがした。もしかして?と匂いにつられて歩いていくと、やはりあった。中元テント!

大士爺像の前に、線香とろうそく、フルーツが供えられた祭壇が置いてある。両脇には、竹に紙束がくっついてる七夕飾りみたいなものが立っている。これは魂を招く魂幡だろうか?よく見たらシンガポールのテントにもあるな(チャイナタウンのテント参照)。

シンガポールと違うのは、「大士爺の祭壇」と「イベント会場」が分離していること。このアングルだと分かりにくいけど、大士爺像の左にはやはりトタン屋根の仮設空間があって、そこに関係者がゆるく集っていたり紙扎製品が積んであったりする。

見たところ、本来路地であるところを祭りの期間中は中元テントに変えているんだな。ペナンはシンガポールに比べて広々使えるスペースがあまりないのかも。

お祭りのときにガレージが御神酒所になってるのを見てワクワクしてたタイプなんで、こういうの見るといつまでもワクワクする。


夜はブラックライトに蛍光色が妖しく光り、ちょっとホラーだ(上の中元テントの写真が青みがかっているのもこれ)。この強烈な異界感は、祭壇と会場が分離してるペナン式だから演出できるものだと思う。自分史上、中元節の最高の景色の一つ。

ちなみに、祭壇の前には巨大な線香がある。これはシンガポールでも見かけた中元節の定番アイテムの一つ。先程も書いたが、線香は霊を導くために使われる。

龍が巻きついたデザインが定番。サイケデリックなスプレーアートや脱力系な龍の顔が癖になる。

結構いっぱいある。遠目で見るとちょっとロリポップ風。

これはペナンで見かけたもう1つのテント。トタン屋根に青いシート、祭壇の前に魂幡?とお供え卓があるのは1つ目と共通。左のショップハウスのアーケードの下に金山銀山が見えるので、ここが中元テントにあたる空間なんだろう。

ペナンの中元も盛大みたいなんだけど、この時はあまり中元らしい光景に沢山出会えなかった。また8月に訪れたい。

3.香港・マカオ(2014/8)

2014年8月に合わせて訪問。

香港では、あまりそれらしい風景を見かけなかった。中元節らしい空気を感じたのは香港島の北帝廟だけで、ちょっと不格好な大士爺の人形と、位牌とお供えが並ぶ部屋があったくらい。

後で写真を見返したら、北帝廟では盂蘭盆会の法要をやっていたみたい。とはいえシンガポールのように町中が中元節会場という感じではなく開催地は結構ピンポイントみたいで、見たいなら事前にリサーチした方がよさそう。

一方のマカオでは夜になると道端で金紙を焼いたり、ろうそくを灯して死者を供養する光景が見られた。ここでも供物台ではなく路上じか置きスタイル。別の場所で見た放置式のお供えと違って、パック詰めされたしっかりした食事もあった。

結構あちこち歩いたが、テントや祭壇などの公共の施設は見かけなかったと思う。マカオも移民が多い街だけど、東南アジアほど同郷組織の影響力が強くないのか。

最後に

中華圏の死者の祭りにおける華やかさや騒々しさというのは、全て「死者への敬意や愛着」が姿を変えたものだ。冥府や霊といった舞台設定は別にして、そのベースにある「人間同士で成り立つ感情」が普遍的だからこそ真剣に、盛大に続けられているのだと思う。

祭りや行事というものは、行動のための「大義名分」という側面も持っていると思う。人間社会を運営していく中で何か大事なものがあって、その実践を促したい時に祭りや行事が生まれるのではないかということだ。

では「お盆」というのも、霊を信じるか否かとは関係なく、身近な故人を思い出したり、ご先祖に感謝してみたりする「機会」として我々に与えられているのではないか。中華圏の盛大で切実な「お盆」を見て、自分も少しその時間を持とうと思った。

日本でも華僑のいる所では中元節(普渡勝会)をやっているようだ。例えば8月には長崎の崇福寺神戸の関帝廟、10月には京都の萬福寺で開催される。気になった方はぜひ。