劉松年「西園雅集図」(南宋)
風雅の小道 | 囀りの川辺 | 題詩壁 | 参天の巨松 |
竹林腰掛け | 双子峰 | 坐禅石 |
ゲームでもおなじみ「雅集」というのは文人たちが開く風流な宴のこと。参加者は書画や詩吟、品茶などを楽しんだ。
王羲之や謝安の「蘭亭雅集(曲水流觴)」、曹操父子や建安七子の「鄴下の遊」など歴史上有名なものも幾つかあり、こうした雅集の故事は画題としても好まれていた。
この「西園雅集」は北宋代、駙馬(公主の夫)であった王晋卿が自邸の「西園」に蘇軾・蘇轍兄弟、黄庭堅、米芾、入宋僧の円通大師など名だたる文人たちを招いて開催したもの(実際はフィクションらしいが)。
大元となる記録があるので、「書をしたためる蘇東坡」「石に詩を書く米芾」など「誰が何をしているか」基本の描写は決まっている。
「風雅の小道」「囀りの川辺」はゲームでは杭州の限定娯楽建築となっているが、これは蘇軾との関係か、それとも劉松年が杭州出身者であることも関係しているかもしれない。
劉松年「茗園賭市図」など(南宋)
茶芸雅座 | 露店茶屋(一部) | 闘茶露店 | 人形劇場 |
中国の喫茶文化と言えば急須で入れる・工夫茶などのイメージが強いが、実は宋代までは抹茶で飲むのが主流だった。茶葉を固めて砕き、泡立てて飲む「点茶法」は言うまでもなく日本の茶の湯の原型になっている。
明代になると洪武帝が固形茶の製造を禁止して葉茶の飲用を普及させ、今我々がイメージするような急須で入れる喫茶のスタイルが生まれた。ちなみに禁止令の理由は、茶葉を固形に加工する労力と費用を問題視したため。貧民出身の洪武帝ならではの発想である。
これらの建築の原型は宋代の絵なので、抹茶スタイルの茶芸道具が描かれている。ちなみに闘茶というのは、茶の淹れ方や茶器を競う遊戯。庶民も上流階級も楽しんだ。