壺中天

歴史、旅行、ごはん、ゲームなどアジアなことを色々つづります。

【水都で中国文化】中国の年中行事

・中国のゲームである水都百景録では、イベントも当然中国の祝日や年中行事に基づいています。日本では意外と知られていない、中国の年中行事についてまとめてみました。今後実装されそうなイベントや人物が見えてくるかも?

・しかしこういうの書くと、カササギの橋とか重陽閣とか季節ものの建築ちゃんともらっとけばよかったという気分になるんだけども、仕方ない、文章でも伝わるさ…。

 

【前提】

・中国では太陰暦(旧暦)に基づく年中行事が息づいている。これらの行事は中国本土のほか、香港、台湾、シンガポール、沖縄など外部の中国文化圏、また各国のチャイナタウンでも祝われ、世界各地の社会で今でも大きな意味を持っている。というわけで、以下主なものをご紹介します。日付は旧暦に基づくものです。

 

《1.正月一日 春節  英名:Spring festival , Chinese new year》

太陰暦の元旦で、中国で最も大事な祝日。太陽暦でいうと1月中旬~2月中旬にあたる。
・現在の中国では1週間の休暇が設けられ、官公庁や企業、学校も休みになる。

 

春節の迎え方・過ごし方】

・年が明けると爆竹を鳴らしたり、花火を打ち上げる。音や光で災いや邪気を払う意味がある。そのため、爆竹が禁止された時期には爆竹の音を収録したCDを流すこともあったとか。

・お年玉(圧歳銭)

日本と同様、中国にも大人が子供にお年玉をあげる習慣がある。ただの小遣いではなく、子供たちの無病息災を祝い、凶事を吉事に変える意図があるという。中国南方では、子供にの枕元にミカン(桔子=吉)を置いて幸運を祈る風習も。

・拝年(新年のあいさつ)

訪問の際は、「年礼」と呼ばれる手土産を持っていくのが通例。縁起の良い果物やお菓子が用いられる。

・拝廟

いわゆる初詣。

・お祭り

春節の期間は各地で獅子舞・龍舞の披露、縁日(廟会)、劇の上演、市場の開設など様々なイベントが設けられる。

・獅子舞の披露:爆竹と同様、魔を払う意味がある。ちなみに華北式の獅子舞と江南式の獅子舞はデザインが違うので気になった方は調べてみてください。↓は勿論江南風。

春節の飾りつけ]

年画 …神の姿やめでたい図柄を書いた紙で、吉祥を家に招くために貼られる。歴史や物語のワンシーンから縁起の良いデザインまで色々なものが描かれた年画は、教育を受けられない人が学ぶ手段でもあったそうだ。

去年手に入れたもの。多分太和公の調理画面の元ネタですね。

ちなみに蘇州桃花塢は年画の名産地ですよ!


春聯 …めでたい対句が描かれた張り紙。通常、扉の両脇に貼る。中国では家の戸口や門は福や災いを吸い込む入り口だと考えられていたので、扉の周囲にはこの春聯や次の門神のように、様々なまじないがかけられた。ちなみに、門の上に貼られる横書きの紙は「横批」という。ちなみにこの家の春聯は破れかけているが、春聯や門神には神霊が宿るとされているため、傷んでも一年たつまで張り替えない。

門神 …扉に貼る守り神。

魔を払う時は武将、福を呼び込む際には文官が描かれることが多い。またこれとは別に、鍾馗の絵を貼って魔除けにすることもあった(絵ではなく像ですが、この習慣は日本にもありますね)。ちなみに、元々は桃の木を削って作った人形や桃の枝を門に飾っていた。桃=逃と同音で魔除けの植物とされていたため。

ちなみに、これらの紙は一年ごとに張り替える。戸口に注目。よく見ると春聯や門神が貼ってありますよ。レベル3民家の庭には書きかけの春聯もありますね。

《2.正月十五日 元宵節  英名:Lantern festival 》

・一年で最初の満月で、上元節ともいい(※)、春節最後の日にあたる。長崎などで開かれる「ランタンフェスティバル」はこの元宵節を祝うもの。

・起源は前漢で、北極星を祀る祭日であった。前漢の文帝が反乱を平定したのが一月十五日で、その戦勝を記念したものとも言われる。この日は街中に灯籠が飾られ、唐代まで禁じられていた夜間外出も、この日だけは許された。

 

・旧時は灯籠になぞなぞを書いた紙を貼って、謎解きを楽しむ習慣もあった(灯謎)。灯謎は『紅楼夢』など中国の小説にしばしば登場。


・元宵節には満月にちなんで湯圓を食べる習慣も。丸い形から、一家団欒を願って食べられる。

【※上元・中元・下元】

中国の伝統では、一月十五日を上元、七月十五日を中元、十月十五日を下元とし、それぞれ天官大帝、地官大帝、水官大帝の誕生日だと考えられていた。この三神については古代の帝王である堯、舜、禹とされることがあり、水都の下元灯会で大禹治水像が配布されたのはこのため。ちなみにこれらの日に、天官は福をもたらし(「天官賜福」)、地官は罪を許し(「地官赦罪」)、水官は厄を払うとされている(「水官解厄」)。

 

《3.新暦四月頃 清明節》

・春の行楽シーズンに合わせた行事で、冬至から105日目にあたる。清明二十四節気の一つでもあり、この時期を過ぎると気候が温かくなり、農耕シーズンが始まる合図でもあった。清明節の前には、火を使った食べ物を食べない期間(寒食節)がある。もともとはこちらが主体で、清明節は寒食明けの祭りだった。

 

伝統的にピクニック(踏青)や墓参りをする習慣があるため、今でも墓参りシーズンになっている。墓をきれいに掃除して祖先を祀り、また、紙銭を燃やしてあの世に届けることも行われる。

 

・その他ぶらんこをしたり、凧あげをする習慣もある。

 

・ちなみに、宋代の名画「清明上河図」はこの時期を描いたものと言われている。


《4.三月三日 上巳節》

・中国では、一から九まで奇数の重なる日を祝う習慣がある。これらの日は基本的には魔除けの節句で、上巳節では水辺で厄払いや禊の儀式を行う。日本では「桃の節句」として祝われるが、中国では桃との関連性は低い。

 

清明節と同様郊外に出かけたり墓参りをする習慣があるため、「小清明」ともいう。

 

文人たちはこの日に水辺で詩吟を楽しみ、「曲水流觴(日本でいう「曲水の宴」)」を催した。代表的なものが王羲之の会で、「会稽山陰」から始まる建築シリーズのモチーフ。

 

《5.五月五日 端午節  英名:Dragon boat festival》

・魔よけの節句で、菖蒲や蘭を家に飾る、ヨモギで作った人形を門にかけるなどして祝う。
★日本で男子の日とされているのは、「菖蒲」と「尚武」をかけた語呂合わせ。中国では逆に「女児節」と言われる(三月三日、五月五日、七月七日すべて女子の日)。

 

英名は、この時期南方で行われる競渡(ドラゴンボート・レース)に由来端午の頃は田植えが始まる時期であり、競渡は水神である龍に雨乞いの祈願をするものとされている。日本でも端午の時期には横浜でレースが開催される。

 

南方では無念の死を遂げた楚の詩人・屈原を供養する日とされ、競渡は彼の魂を鎮めるための催しとも言われている。

 

端午の食べ物としては「ちまき」があるが、これも屈原の伝説と関係があり、水中に身を投げた彼の身体を魚たちが食べないよう、ちまきを蒔いた故事に由来するという。また一説には、春秋時代には牛の角を使って神をまつる習慣があったため、牛の角を模したちまきを作るようになったとも。ちまきの味は中国の各地方によって異なっている。

 

《6.七月七日 七夕節》


牽牛と織女の伝説から、恋愛に縁のある日でもある。恋人の日と言えば西洋ではバレンタインデーだが、中国ではこの日が「情人節」=恋人の日とされている。かつては織女にちなんで、女性が裁縫の上達を願う「乞功奠」という習慣もあった。

 

・ちなみに、二人が会うための橋を架けるのがカササギで、梁山伯と祝英台をテーマにしたカササギの橋の建築は七夕=恋人の日に合わせたもの。なお牽牛織女と梁祝はどちらも中国四大民間伝承(あとは白蛇伝と孟姜女伝説)。

 

《7.七月十五日 中元節 英名:Ghost festival》

先祖や死者を供養する祭りで、鬼節ともいう。仏教の盂蘭盆会(お盆)や道教の中元節が民間信仰と混ざり合ったもので、香港では盂蘭節、台湾やシンガポールでは中元節と呼ぶ。


旧暦七月は冥府の門(鬼門)が開き、死者の魂がこの世に解き放たれ地上をさまようと考えられている。そのため、人々はさまざまな形で死者への供養を行う。

★だから冬に鬼門が実装されたのが不思議だったのよね…


・街中では死者の食べ物を備える台が設けられたり、霊たちのために劇を上演したりする。

★中元節の時期には、路上に鬼(中国における「鬼」は幽霊。野鬼、孤魂野鬼とも呼ばれる。事故死や戦死等をすると「正常な死」とはみなされず、冥府の裁きも受けられず彷徨うとされている)がいて悪さをすると考えらており、彼らを鎮めるために食べ物を供える。

 

・中国には、紙製品を燃やして死者に送る習慣がある。祖先の魂が冥界に帰る時には、紙銭(冥界で使うお金)や紙製の日用品を燃やし、あの世に送り届ける。

 

《8.八月十五日 中秋節 英名:Mid-autumn festival 》

・月をめでる祭日。月餅を食べたり、キンモクセイを観賞したりして楽しむ。日本よりも盛大に祝い、中国では3日間の連休が設けられている。「中秋」はもともと「仲秋」であり、春夏秋冬をそれぞれ三か月ごとに分け、「孟」「仲」「季」と呼んだ(孟、仲、季は一番目、二番目、三番目の意。旧時は兄弟の名付け等にも使われた)ことに由来。8月は秋の真ん中であるため仲秋と呼ばれた。

★中国では、金木犀は月原産の植物とされ、満月が金色に光るのは金木犀が満開だからと考えられていた。


中秋節を代表する食べ物に月餅がある。中秋に月餅を食べる習慣は唐代から始まり、宋代には民間にも普及した。明代になると家族や友人、世話になった人に月餅を贈る習慣が始まり、現在でも続いている。
★その他、中秋節に食べるものは月を模した円形のものが多い。


・夜を楽しむイベントということで、元宵節と同様、中秋節には街中に大小のランタンが飾られる。

 

シンガポール中秋節ライトアップ。

《9.九月九日 重陽節》

・「菊の節句」。中国の陰陽五行思想では奇数が陽、偶数が陰。最も大きな陽数である九が重なることからこの名がある。

 

上巳や端午と同じ魔よけの行事で、疫を払うために菊の花を浮かべた菊酒を飲んだり茱萸(ぐみ)の実を身につけたりした。菊の花を愛でる習慣もある。


別名は登高節。空気が澄む時期のため、山など高所に登って景色を楽しむ習慣があった。

 

《10.十二月八日 臘八節》

・もともとは祖先や神々を祀る行事。仏教流入後は、仏陀が悟りを開いた記念日として祝われるように。雑穀を煮込んだ「臘八粥」を食べる。

・また、この日にはニンニクの酢漬け(臘八ニンニク)を作り、除夜に餃子を作るまで取っておくことになっている。

 

《11.十二月二十三日 祭灶節》

・年末年始の行事の起点となる日で、竈神(灶君)信仰とかかわる祭日。竈の掃除をするため掃塵節ともいう。伝統的な台所にはこの灶君が祀られており、家の守り神として篤く信仰されている。灶君は家の様子を見守る天帝の使いともされており、年末には天帝に一年間の家の様子を報告し、それをもとに天帝が翌年の一家の寿命や幸福の配分を決めると考えられていた。

この日には竈を掃除し、一年間使った灶君の像を燃やして天帝のもとに送る(この儀式を「送灶君」と言う)。さらにこの時、像の口元に水あめを塗ることもあった(悪い報告が出来ないよう口をふさぐとも、飴をご馳走していい報告をしてもらうためともいう)。ちなみに灶君は大晦日の夜に帰ってくるので、これを迎える「接灶君」という儀式も行う。

以降、年末の習慣は以下のようになっている。

24日:大掃除

25日:豆腐を作る

26日:豚肉を刻む

27日:鶏を絞める

18日:饅頭・包子を蒸す(饅頭は具がないもの)

29日:祭壇を清めお供え物をする

30日:正月の飾り物(門神、春聯、年画、切り絵等)を貼り、餃子を食べ、家族共に徹夜で過ごす(守歳)

《11.十二月三十日 除夕

旧正月の前夜は「除夕」や「除夜」、「(大)年三十」などと呼ばれ、家族が集まって団欒し、朝まで過ごす(守歳)。

・年末には家族で集まり食事をとる習慣があり(団円飯)、遠い地方に住んでいるものもこの時だけは里帰りし、一緒に食卓を囲むことになっている。除夕に食べるものとしては以下のようなものがある。

(1)魚

除夕の食卓に欠かせないメニュー。魚は「余=お金が余る」と同じ音なので、縁起がいい食べ物。」

 

(2)餃子

北方では餃子を食べる習慣がある。理由には諸説あり、「歳更交子=子の刻に年が改まる」とかけている)説、貨幣の一種「元宝」に似ている説、「交子=子供に恵まれる」にかけた説など。財神くんが持っている&地面に撒いているのがのが元宝。

餃子を作る時に中に貨幣や豆腐、落花生などを入れ、運試しをする風習もある。引き当てたものは新年の運に恵まれるという。ちなみに中国の餃子は基本的に水餃子か蒸し餃子。焼き餃子は余った餃子を処理するための調理法だったそうだ。

 

(3)年糕

南方では年糕という餅を食べる。もち米ではなく上新粉白玉粉で作るもの(トッポギに近い)糕は高gaoと音が同じなので、向上を意味する縁起物でもある。

 

「除」は「疫病をもたらす悪霊を除く」という意味で、かつて宮廷や民間では「駆儺」という邪気払いの儀式が行われた。儀式の執行者は仮面をつけて鬼神に扮し、楽器を鳴らしながら悪霊を追い払った。

 

【参考文献】

周国強著・筧武雄・加藤昌弘訳『中国年中行事・冠婚葬祭事典』明日香出版社 2003

東洋文化研究会編『中国の暮らしと文化を知るための40章』明石書店 2005