ゲームの重要な設定として、万暦四十四年、董其昌の家が放火され、彼は作中の舞台『江南水都百景』を含む蔵書と美術品、そして愛する妻を失ったとある。
この事件について詳しく調べてみたら、結構とんでもない話だった。
以下はwikipediaや百度百科、また中国の歴史サイトを中心に、あらましを整理したもの。
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・万暦四十三(1615)年、董其昌(当時62歳)は官を辞して故郷の松江に帰ったが、彼はそこで子供らと共に横暴に振る舞い、住民に危害を加えることもあってあまり評判は良くなかった。
・そんなある日、董其昌は知識人の陸紹芳に雇われている小作人の緑英に懸想し、彼女を妾にしようと考えた。そこで二人の息子に命じて陸家に押し入り、彼女を攫わせた。
・ほどなく松江ではこの事件を風刺する『黒白伝』というパンフレットが流布するようになった。董其昌はこれを范昶(はんちょう)という知識人の作だとして彼を詰問するが、范はこれを否定し、城隍廟で潔白を誓った。ほどなく、范は病で急死する(董家の度重なる詰問に心身衰弱したためとも言われる)。
・范の母親はこれを董家の責任だとし、喪服を着、范の寡婦や家内の女性たちを引き連れて董家の門前に来て泣き訴えた。董家側は取り合わず、逆に不法侵入だとして彼女らを攻撃(下衣をはぎ取るなどして彼女たちを辱めたという)。范家の者たちは役所に訴えたが、董其昌の名望をはばかり審理を進めようとはしなかった。
・この出来事は松江一帯に大きな怒りを招いた。知識人は董其昌を「獣宦」と罵り、民間では「物価を下げたくば董其昌を殺せ」という民謡も広まった。
・万暦四十四年春、大勢の知識人や民衆が董家に押し入った。騒擾の中で火が放たれ、董家の屋敷や所蔵品はすっかり焼けてしまった。
これが、董其昌の家を燃やした「民抄董宦」と呼ばれる事件である。
である。
であるのだが……
……愛妻家の悲劇どころかスケベジジイの因果応報話じゃねーか!
実際の董先生は、あまり性格のいい人ではなかったようである。
色々な記事を読んでいると、董家の悪逆非道を糾弾する立場のもの、逆に董其昌の立場に立ち批判者の行動を咎めているもの等、色々あってわからなくなる。かと思えば百度百科には「この逸話における董其昌の悪者イメージは地主階級を排斥する人民共和国(というか毛沢東政権)のもとでさらに醸成された(意訳)」なんてことも書いてあってなかなか興味深い。この事件の真相をめぐっては、歴代いろいろと議論されているようだ。
今後開放される(であろう)松江府の探検は董夫妻がメインらしいけど、この辺どうアレンジされているんだろう。天主教コンビも登場するみたいだし、今からウッキウキである。
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