壺中天

歴史、旅行、ごはん、ゲームなどアジアなことを色々つづります。

【水都百景録】二次創作事始&世界観について考える

ついに二次創作に手を出し始めたのですが、水都の二次はなかなか難しいですね。以下、それについて語る。

・絵を描こうと思ったら、ビジュアル的な情報は立ち絵(と作中のちびキャラ)が全て。鄭和みたいに持ち物で前が隠れていたり、阿朶とか立ち絵が見返りアングルだったり、唐伯虎に至っては合わせ技で攻めてくるなど非常に悩ましいのである。

・あと水都の絵、シンプルな画風かと思いきや書き込みがものすごい!描いてみて初めてデザイナーさんの凄さに気が付いた。

・文章や漫画を書こうと思ったら、人物像については現行の住民プロフィール・建築テキスト・転居台詞から推測するしかなく、探検に出演でもしない限り中々掘り下げが来ない。例えば↑は徐先生主役の実世界⇒水都世界モノ漫画の表紙として描いたんですが、この人ときたら一人称も分かってないし。どう見ても僕の顔なんだが見た目に反して気が強いので俺だったらどうしよう。

・世界観もまたざっくりしていて、分かっているのは

 ・作品の舞台「江南水都百景(江南百景図)」は女神・女媧が創造した神宝であること。

 ・絵巻の中には別天地が広がっており、そこに描かれたものは実体を持つ。生き物には命が宿る。

 ・絵巻の中にいる人物は誰かが描き込んだものか、文徴明のように魂が宿ったもの。(蘇州府探検より)

 楊貴妃や建文帝のように、流浪の果てに絵巻に迷い込んだ人もいる模様(李師師紹介文より)。

 ・絵巻の中に転生した人物は断片的に記憶を失っている(呉黎のケース、武則天の紹介文等)。

 ・万暦四十四(1616)年、董其昌宅の火災によって絵巻は燃え、作中世界が荒廃したこと。

これくらいか。

・そうなると気になるのがこういうところ。

 ・絵巻が燃えた万暦四十四年以降に活躍した人物はなぜ絵巻の中にいるのか。描き込みようも迷い込みようもないのではないか。

・文徴明が描いたとしても、絵巻の中から外の世界を知るすべはあるのか。

 ・絵巻は焼失したが世界は生きている=絵巻はあくまで出入り口で百景世界はその存在に依存しない、だから入ることもできる?

 ・本人が生きているうちに絵巻に描いたらどうなるのか。人格がコピーされてパラレルな存在になる?

 ・過去の人物を描き込む⇒オリジナルの魂を呼び戻すことになるのか?あくまで画中のイミテーションなのか?

 ・江南水都百景ということは、絵巻の世界には江南しかないのか。でも任務で「順天府(北京)からの依頼」というフレーズがあった。

 ・知府がいるが、朝廷はあるのか。

 ・各キャラクターの紹介文は水都時空と現実世界、いつの時系列のものなのか(どちらもあると思うけど)。

逆にそのファジーさが想像を掻き立てて、面白くはあるのだけれど。

そんな細かいこと気にしないで好きに書けよ!全部女媧様のお力でいいじゃん!と言われそうだけど、理屈が通ってないと安心できないのが私の悪い癖。

・まあそんなこんな考えた結果を作品に落とし込んでいる。ちなみに漫画、シナリオ書くのに1週間くらいかかって、ネーム切ったら30ページ以上あって呆然としている。どうしようお前これ描くの……?漫画家さんとか同人やってる人は本当にすごいと思った。

・あとは5ページ位の軽いやつで、詩聖・詩仙とか大明建国チームとか、おっさんの友情モノばかり描いている。