壺中天

歴史、旅行、ごはん、ゲームなどアジアなことを色々つづります。

【2018】黄山旅行記4 菜の花の古鎮


いろいろあった黄山への旅を終え、ようやく上海へ。

前回:
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4日目 4/1 宏村・屯渓老街

曙光亭の朝日

疲れていたはずだけどあまり眠れず、4:50には目が覚めてしまう。今日は朝日を見る予定はなかったけど、これも天命と観念して見に行くことに決める。不思議と昨日の朝よりは頭がすっきりしている気がした。

部屋の外に出ると、昨日より人の気配がする。ホテル前の広場でテント泊をしていた集団もすでに出発していた。光明頂とか、少し離れた朝日スポットに行ったのだろうか。

今更遠出する元気はないので、ホテルから近い「曙光亭」に向かった。

清涼台に登る石段の途中には分岐があり、右=東に進んでいくとあずまや=曙光亭のある展望台にたどりつける。北海周辺では一番東にある展望台だ。

清涼台や猴子観海方面に登っていく人はちらほら見かけたが、日曜だというのに曙光亭にはまだ誰もいなかった。まだ暗く、月明りでうっすらと山の稜線が見える。時刻は5:20頃。

展望台の先端で、三脚を立てて待機する。反対側の空に、松の木にかかる月が見える。黄山の夜は星もキレイに見えるんだよね。

しばらくたつと、東の空が白んでくる。昨日は靄が厚く中国画みたいな印象の景色だったけど、今日は晴れているのか空がクリアな感じがした。

松がかぶり気味なのと(昨日との)差別化のために、今回は望遠メインで撮影した。

少ししたら続々と人が集まってきた。週末の家族旅行だろうか、小さい子供の声も聞こえる。6時近くなってくると雲が茜色に色づき始め、また真っ赤な太陽が顔を出した。

この日の朝日はギラギラ燃えるような輝きで、アップだと迫力が出てよかったなと思う。

朝日撮影比較(清涼台/曙光亭)

さて、せっかくなので昨日の「清涼台」と朝日撮影条件を比較してみる。結論から言うと「どちらがいい」というのは撮りたいもの次第なので単純に比較できない。「それぞれの向き不向き」という観点で書いていきます。

まず、広角で朝日のランドスケープを撮りたいなら清涼台の方がおすすめ。というのも、清涼台は谷に向かって突き出ているので障害物がなく、見晴らしがいいからだ。

一方、曙光亭は広角撮影には向かない。

上の写真でもわかるように、松が多くて人によっては邪魔だと感じてしまうと思う。

……とはいえ、松といえば「黄山四絶」にも数えられる黄山の名物。曙光亭の魅力の1つはこの「松と組み合わせた写真が撮れること」。

曙光亭のもう1つの利点は、山と太陽の距離が近いこと。清涼台だと日が昇る地点に峰が少なく、こういう風に(↓)、黄山らしい切り立った峰と太陽を切り取った絵のような写真は曙光亭でしか撮れない。

「朝の黄山」全体を取るなら清涼台、朝日をクローズアップした写真には曙光亭の方が向いていると思う。

ちなみに曙光亭全景はこんな感じ。清涼台に比べて広めだけどやっぱり障害物は多いかな…

まとめ

清涼台 曙光亭
特徴 見晴らしがいい 松が多い、山と太陽が近い
写真 広角向き 望遠向き
場所 展望台が狭い 展望台が広い

*****

日が昇ってしまったらホテルに戻り、朝食会場に向かったが行列ができている。昨日は8時頃に行ってガラガラだったけど、やはり朝イチの方が混むようだ(日曜だし)。とはいえ行列は単に開場直後だったからで、入ってしまえば席には座れたし空席もあった。

メニューは昨日と変わっていて、点心類が減っていて悲しい。もち米団子とトースト巻き(サツマイモのペーストを食パンで巻いて揚げたやつ?おいしい)、豆腐花などを食べた。

地上への帰還

今日は上海に戻ることになっている。……今度こそ、飛行機で。ただし上海行きの飛行機は22:05発でかなり遅いので、観光の時間はまだたくさんあった。

しかし、黄山にこれ以上いる気にはならなかった。景色はだいぶ堪能したし、昨日から人がどっと増えてちょっと疲れていた。なにせ日曜なので、山の上は昨日と同じような感じだろう。

もともと黄山周辺の古鎮に行ってみたかったので、早々に下山し、そちらに移動することに決めた。

8時には北海賓館をチェックアウト。100元のデポジットを返してもらい、雲谷ロープウェイ駅に向かう。この時間帯はすでにツアー客がやってくる頃合いで、たくさんの人とすれ違う。やっぱり今日は、黄山山上は避けたほうがよさそうだ。逃げるようにして駅に進んでいった。

今日は雲が多い天気で、切れ間から光が差し込んで神々しい空模様。帰りはひたすら上り階段。息を切らしながら登り切り、ロープウェイ駅に到着した。

駅前の広場ではツアー客が集まってガイドさんの説明を受けている。その間をすり抜けてロープウェイに乗り込んだ。今回は一人だけで、前後のゴンドラにも誰も乗っていなかった。

少し加速して、ロープウェイが空中に飛び出す。下りだと眼下一面に視界が開けるので、空を飛んでるみたいな気分になって楽しい。

行きには気づかなかったけど、よく見たらロープウェイに近い松は枝が選定されていて、色々配慮されていることがわかった。

左側を上っていくゴンドラとすれ違うと、たくさんの観光客が乗っていた。

*****

晴れて雲谷寺駅まで降りてきた。ロープウェイ乗り場には長蛇の列ができている。30日にすんなり乗れたのは、平日ということもあるだろうけど、午前中に乗る人が多いためかもしれない。

おそろいの帽子をかぶったツアー客もたくさんいるし、

登山口にもバックパックやストックを持った健脚たちや挑夫さんたちが続々と向かっていく。

彼等をしり目に、行きと同じ道を通って湯口のバスターミナルに向かうバスへの乗り換え地点に向かった。下山したので少し暖かくなり、花木も花をつけている。バス乗り場へはまた昇り階段だ。ももが重くしんどいが、あと一息!

駐車場では湯口行きバスのチケットを買って、すぐに乗れたけど人数が揃うまで出発しないのでしばらく車内で待ち、9時頃に発車。

また行きと同じうねうね道だが、今回はトラベルミンを飲んでいたので酔わずに済んだ。次回も忘れないようにしよう…。

宏村古鎮を目指して

バスは2・3回停車したのち目的地のツーリストセンター(游客集散中心)に到着。そこからバスターミナル内に進み、宏村古鎮行きのチケットを買った。事前に調べていたよりたくさんの便が出ていた。

さて、安徽省には歴史の古い古鎮がいくつもある。いずれも特定の一族が集まって作られた村で、一族ぐるみの人材育成や商業活動の拠点にもなっていた。中国では江蘇、浙江、安徽など南部を中心にこうした村が残り、明清時代の街並みを楽しむことができる。

※こういう安徽の古鎮や歴史に興味のある方はこの記事をどうぞ。
xiaoyaoyou.hatenadiary.jp

黄山に近い代表的な古鎮には宏村西逓があり、どちらに行くかは最後まで迷っていた……が、迷う必要はなかった。西逓行きは9時半のバスしかなく、もう間に合わなかったからだ。

というわけで、次の目的地は宏村に決めた。10時30分の便はもう満席だったので、11時30分のバスのチケットを買った。

時間があったので湯口の散策でも……と思ったが出口はなさそう。よく考えたら、中国の駅やらバスターミナルやらって、入るにも荷物や身分証検査する高セキュリティエリアだからホイホイ出入りできないんだよな。仕方ないので写真整理とかしながら待つ。

ターミナルの1階は黄山風景区へ行くバスの発着所。入口近くのカウンターでは黄山に行く旅行者向けに、荷物預かりのサービスもやっていた。建物内には安徽省の観光地のポスターがあったりモニターで映像を流していたり、今まで全然知識のなかった安徽省の見どころについて知ることができた。

映画「グリーン・ディスティニー」のロケ地になった翡翠や徽州古城がある歙県とか、どこも素敵だなぁ。安徽省のこと、全然知らなかったけどこんなに魅力的な所なんだな。

……と、のんきに過ごしていたが一つ疑問があった。1階の乗り場はみんな黄山方面行き。宏村行きのバスの切符を買ったと思しき人々も何度かフロアで見たけど、待合席からいつの間にかいなくなっている。彼等はどこに行ったのだろうか?

と思ってチケットを見返すと「検票口ー二楼(2階)」と書いてあった!あっぶなー!!

しかも、座ってた席の近くの階段は封鎖されているから2階には行けないもんだと思ってたんだよ。危うく乗り損ねる所だった。小さな違和感、大事。

というわけで、湯口のバスターミナルを利用する時は、1階はおそらく黄山発着専用フロア、その他の場所にアクセスするバスは2階から出るようなので覚えておきたい。

2階待合室に移動し、しばらくすると11:30のバスの呼び込みが始まり、ゲートを抜けて駐車場に出た。小型の金色っぽいバスだった。席は通路側だけど仕方ない。

黄山を離れ、バスは一路宏村へ。

安徽省というところ

車窓の景色はとてものどか。ビルのような高い建物はあまり見当たらず、なだらかな青い山並みのふもとに緑豊かな田園風景が広がっている。新幹線の車窓から見えるような、日本の郊外の風景にも似ていると思う。

安徽省というところは、これまであまりイメージがなかったけど豊かな自然に恵まれ牧歌的な、いい意味で田舎っぽい所だと感じた。渓流ラフティングの看板もあり、自然系レジャーが盛んなんだろうか。

菜の花畑や農作業をしている人たちの姿も見えた。「秀里電視城」の看板もあり、ロケセットもあるようだ。

道中印象に残っているのが、ちらほら見かけた「現殺田鶏」という看板。新鮮なカエル(田鶏)料理ということだろうけど、字面が物騒だな。他に養蜂場なんかもあった。

今日も早起きしたので眠いけど、バスが頻繁にクラクションを鳴らしてうるさいので眠る雰囲気でもない。ぼーっと外を眺めていると、宏村が近付いてきた。

バスターミナルから宏村までは1時間弱。いわゆるターミナルの建物はなく駐車場があるのみ。降りると、帰りのバス時間が書いてあったので控えておく。

次に目に入ったのは、一面の菜の花畑!まずはこれに感動してしまい、しばらく花畑内をうろついていた。

澄んだ水が流れる用水路があったり牛や馬がいたり、本当~にのどか。そして、本当に自然が綺麗。

中国の山といえばそれこそ黄山みたいな切り立った山をイメージする人が多いと思うけど、水墨画のイメージや観光地としてそういう場所が宣伝されるだけで、全てではないんだよね。

これとか、日本の山村風景です、といってお出しされても違和感ないと思うし。「中国の山」に対する印象が結構変わったと思う。

黄色い花の間を歩く。ハチや蝶が飛び回っているかと思えば、エンジン付きのグライダーがたまに上空を飛んでいく。さらに花畑では女性向けグラビアか何かか、半裸の男性モデルが撮影をしているのにも出くわした。だんだんカオスになってきたな。

花畑を抜けて道路に出ると、豆か果物か、黒っぽい球形の農作物を売りに来る人たちもいた。何が名産なんだろう?

無念の宏村


菜の花畑から宏村の駐車場に戻る。その奥に古鎮の入場券売り場がある。中国では古鎮は大体文化遺産・観光地として管理されているので外と隔てられているのだ。チケットを買って門をくぐると、目の前には湖(南湖)が広がっていた。

南湖のほとりで


うーん、ここの景色はとてもいいね。
開放感があるし、湖を間に挟むことで村全体を一望できる。白い壁と黒い瓦、赤いランタンと緑の木々、水面と地上が好対照をなしつつ調和していてとても素敵。

岸辺と村を結ぶのは、一条の細い石橋だけ。防衛上の工夫だろうか?途中にはアーチ状の小さな橋がある。

なんとも絵になるなぁ。

しかし……当時の私はそれほど上機嫌ではなかった。日曜日だから覚悟はしてたけど、ツアー客もひっきりなしに来るし、とにかく人が多くて落ち着かない。上の写真も、人通りが少ないタイミングまで待って撮影しただけで結構忍耐の賜物だし。

なのですぐには村に入らず、しばらく岸辺にとどまって、ツアー客の抜けていく隙間を縫って撮影したり景色を眺めたりしていた。

宏村は山を背にして建てられている。こういう古鎮は風水に基づいてデザインされていることが多いそうだけど、この「山を背にする」というのにも風水的な意味があるそうだ。平城京とか平安京も、確か似たような発想で場所を選んでたような。


一通り満足し、人が少なくなったのを見計らって村の入口に向かった。

*****

さて、宏村は「汪氏一族の村」だ。中国の伝統社会では世帯ごとに住居を分けずに一族がまとまって居住し、都市であれば『紅楼夢』の賈家のように巨大なお屋敷、郷村であれば一つの村を形成して集団生活をする。

なので村内の見所も基本汪氏関連で、汪氏の祠堂(祖先を祀るみたまや)や科挙受験のための書院、汪一族の商人の邸宅などがある。まずは、入ってすぐ左手、湖のほとりにある「南湖書院」を見学することにした。

書院というのは私塾のこと。昔は「学校」というと府や県ごとに朝廷が設立した公立学校(府学や県学)を指し、郷村には一族や個人が私塾である「書院」を建設して科挙合格を支援した。

この南湖書院も、汪一族が子弟の科挙合格のために作ったものだ。科挙に合格すれば富と名声、人脈が得られ一族全体が潤うので、各村ではこういう塾を作り、教師を招いて熱心な教育が行われたのだ。

特に安徽省は教育・学問に熱心な土地柄で「儒学の里」とも呼ばれ、明の洪武帝朱元璋が人材確保のため安徽の攻略を重視した話もあるし、明清を通じて活躍した安徽の新安商人(徽商)たちも高い学識とモラルを兼ね備える点が評価された。

もちろんそこには、商業が盛んな土地柄ゆえに高いレベルの教育を施せるだけの資金があったのも関係しているんだろう。

書院には立派な藤の木がある庭を中心に幾つか建物があり、回廊で繋がっている。回廊には宏村を描いた絵が展示されていた。

あんまりじっくり見学した記憶はなく出来の良い写真もないので、多分疲れてたんだろう…

でも、こんな風光明媚な所で勉強するならはかどりそう。

祖廟と「牛の胃」

外に出て、細い路地を抜けていく。功利主義強めの中国ではメジャーな古鎮は観光用に開発されてしまっているので、路地の両側もお店になっている。お茶、米酒、布靴、木彫りなど屯渓でも見たようなラインナップが軒を連ねていた。

この辺も、ちょっとテンションが下がっていたのであまり覚えていないし写真もあまり撮っていない。だらだら歩いて、町の中心にある月沼に到着した。

正面にあるのが、汪氏の宗祠(祖廟)一族の祖先を祀り、村の団結のシンボル且つ、祭祀など行事の場にもなる大事な場所だ。

その前に広がるこの「月沼」は生活・防火用水を蓄える貯水池。宏村は村全体が牛の形をしていると言われ、「牛形村」という別名もある。村の中心にある月沼は「牛の胃」に例えられることもあるそうだ。

安徽の建築は独自のスタイルを持ち「徽派建築」と呼ばれるけど、確かに同じ白壁・黒い瓦でも、反り屋根の多い江蘇や浙江の優美な建築とは少し雰囲気が違う気がする。

階段状の馬頭墻を多用して直線的、あとは壁が高くて堅牢で開口部が少なく、家というより蔵のような印象がある。商人の里だからセキュリティを意識しているんだろうか?

この湾曲した形が「月沼(英語ではCrescent pond)」という名前の由来なんだろう。周りの建物は軒並みお店やホテルになっていて、金華ハムがぶら下がっていたりするので美観的にはイマイチ。

結局人込みを避けるために祠堂には入らず、月沼を後にして路地に入った。宏村は水利の面で工夫が凝らされており、南湖や月沼のような貯水池があって、そこから各家に生活用水が流れ込んでいる。

村の小路の脇にも、細い用水路が流れており、中には座って絵を描いている学生さんもいた。南湖書院の絵画は彼等の作品だろうか。

路地の奥に承志堂や樹人堂など商人の邸宅があるのだが、江南の旅で似たようなものは見てきているので、真新しさは感じずさっさと出てしまった。最後に北の雷崗山に行こうとしたけど、雨が降ってきてしまったので引き返すことに。

そうこうしているうちに、雨はどんどん激しくなってくる。商店やレストランが集まっている、二つの木のある広場を抜けて村の外に出た。

というわけで、宏村滞在はあっさり且つあまりいい思い出のないまま終わってしまった。

今思うと勿体ないことをしたと思うけど、すでに黄山を歩き回って疲れが溜まっていたのもあるだろうし、人の多さにも参っていた。

でも、人については日曜の観光地にわがまま言っても始まらない。今度は平日でもっと人が少なそうな時に、じっくり見学しに来るとしよう。

*****

入ってきたゲートから外に出て、窓口でバスのチケットを求めた。中国の常としてこの辺には包車(乗合車)の呼び込みもいて、場合によってはこちらを利用したほうがお得かもしれない。

とりあえず今回は普通にバスのチケットを買うことに。この時は15:00ちょっと前。屯渓バスターミナル行きは次が17:00で遅いので、15:55の黄山北駅行きのを出してもらった。

雨は通り雨だったようで、少し待つとおさまってきた。もう少し古鎮にいればよかったかな……と思ったけど結果論だ。

バス発着場には建物はなく駐車場とカウンターがあるだけで、ベンチや待合室のような場所はない。ふたたび菜の花畑を散歩しつつ待つ。

1時間ほどして、バスは時間通り出発。途中西逓古鎮に立ち寄ったけど、そこから乗ってきた人はいなかった。車窓から見たところ宏村よりは規模が小さそうだ。村の周りには古民家スタイルの建物が並ぶ観光用のエリアがあった(宏村付近でも見かけたなぁ)。

宏村から黄山北站までは大体1時間ほど。湯口から来た時と同じく、高速道路等はなく普通の道を通っていく感じ。

「整備された道路」という感じではないので、途中バイクや人力タクシーで道が埋まり、バスが通りづらくなっているところもあった。道路沿いには地元の人が集まって憩っている姿もちらほら。

途中には道教の聖地・斉雲山を通り過ぎたがここもちょっと気になった。

ふたたび屯渓の夜

黄山北駅はいかにも新興開発地といった風の、市街地から離れただだっ広い空間にあった。周囲には中国でよく見る、規格化された集合住宅も目立つ。バスは駅手前の観光センターのような大きな建物前で停まった。

駅前にはバス・タクシー乗り場があるが、時間はあるので今回はバスにする。現在地はさっぱりわからないけど、屯渓老街まで行く21番のバスがちょうど来たので飛び乗った。

予想通り、駅は市内中心部(というより、観光拠点)からは結構離れていて、外の景色や地名にも全然見覚えがない。10駅以上行ったところで湯口行きのバスに乗ったバスターミナルが見え、現在地が分かってホッとする。ここからは土地勘もあるから大丈夫だ。

予定通り「老街一号(2日目に泊まったホテルに近い、西側の入口付近 ↑)」のバス停で降車。予定では20:00頃にホテルに荷物を取りに行くので、その間に老街で買い物と食事を済ませることにした。

屯渓老街を歩く

老街のお店を今度はじっくり回る。お茶や文房四宝、骨董、木彫り細工、焼餅(シャオピン)など安徽を代表する品物が色々売っているんだけど…予算は200元ほどしかなく、日曜でATMが使えなかったし上海での交通費も残しておかないといけないので、買うものはかなり絞り込まねばならなかった。

とりあえず安徽はお茶どころなので、茶葉の形が珍しくて気になっていた太平猴魁、あと目に良いという花茶。あとは50元のチャイナシューズ(お店ごとにラインナップは少しずつ違っていた)を買い、木彫りや骨董はあきらめる。木彫りの筆掛けが欲しかったけど、最終日の上海でも買えそうなのでまぁいいか。

老街の東の突き当りには小ぶりの牌楼があり、その前の広場にはマックなど外資の店も。古い町並みが残っている老街とは違って、そこから先は都会っぽい雰囲気だった。

買い物をしているうちに日が暮れかかってきた。
この日は夕日が綺麗で、黄山にいたらどんな夕暮れが見えるんだろう……と考えたのを覚えている。

夕食は老街沿いのフードコート風レストランで食べる。安徽名物の「毛豆腐」とワンタンの小碗を頼んだ。

毛豆腐は発酵して綿菓子みたいな毛に覆われた豆腐を揚げたもので、外はカリッとと、中はふわふわでおいしい。臭豆腐みたいなイメージだったけど特に癖は感じなかったと思う。ワンタンはシンプルなワンタン。八角がきいていておいしかった。

毛豆腐については、後で調べたら発酵食品で、安徽出身の明の洪武帝朱元璋にゆかりのある料理らしい。
baike.baidu.com

徽州を攻略した朱元璋の労をねぎらうため農民たちが豆腐を贈り、食べきれなかった分が発酵して白い毛まみれになってしまったが、勿体ないので揚げて食べたら美味しかった……という冒険的なエピソードが伝わる。

この毛が何なのか分からないけど、最初は衣だと思っていたのでこの話を知った時にはショッキングだった。

朱元璋は他にも、空腹で行き倒れそうな時に農家のおかみさんにスープをご馳走して貰ったとか、こういう庶民的な食べ物にまつわるエピソードが多くて面白いと思う。農民出身で苦労人の皇帝なので、正確には「エピソードが多い」というより「話が作りやすい」んだろうなとも思う。

日が暮れてから、川沿いに出てもう一度お気に入りの文峰橋を見にいった。もう少し夜景を見たかったけど、そろそろホテルに行かなくては。黄山のおまけではなく、屯渓という町自体も好きだったな。

さて、歩きなれた川沿いを通って華山賓館に戻り、スーツケースを受け取る。フロントには泊まった時にもいたお姉さんがいて、私のことや部屋番も覚えていてくれた。荷物整理をし、スタッフさんに別れを告げホテルを出る。いいとこだったなぁ。

空港へ

川沿いに出てタクシーを待っていると、ちょうど橋のたもとで客を下ろすタクシーが停車した。そのまま乗せてもらい、行き先を告げると「35元だよ」と言われる。

最近は人力タクシーや包車などに乗る時、あらかじめ料金を言ってくれることが多くて助かる。(昔は痛い目見たのであらかじめ値段交渉してたけど、その必要がなくなったのは嬉しい)

運ちゃんは結構気さくな人で、色々話しかけてくれた。空港まで遠いのか聞くと、市内から10kmくらいの模様。バスターミナルの方面で、大体15分で到着。新しくきれいな建物だった。

飛行機は22:05発。チェックインカウンターには列ができているが、上海行きの手続きは20:35から。まだ30分ほど時間があるので座って休みつつ待つ。待合室の座席はマッサージチェアがあって、wechatでQRコードを読み取って動くようになっているようだ。というか、待合室の座席はほとんどこれだった。

時間になったのでEチケット画面を準備して手続きに向かった。ちょっと緊張していたが、上海と告げるとEチケット自体は見せなくてもOKだった。とりあえず、ちゃんと飛行機に乗れそうで安堵した。行きはどうなることかと思ったけど、なんだかんだ無事に黄山の旅程が終えられて本当によかった。

ゲートはすんなり通過し搭乗口へ。しかし、とにかく眠い!朝早かったし飛行機も遅いので、激しい睡魔に襲われていた。それでも飛行機に乗るまでは、となんとか起きていたが、搭乗して席に着いてからの記憶はほとんどない。気が付いたら上海だった。

焦りのタクシー道中

到着したのは虹橋空港。スーツケースをピックアップし、タクシー乗り場へ向かうとすごい列!前にもあったけど、上海って大都会の割に終電早いんだよな…。10~15分くらい並んでようやくタクシーに乗れた。

23時過ぎは夜間料金なので、ちょっと割高になる。初乗り料金+1kmごとに3元加算だったかな。山深い安徽とは打って変わってビルの立ち並ぶ都会の夜を走っていく。

途中静安寺地区を通り、高級ホテルのシャングリラやプリ・スパが見えた。しかし夜ということもありメーターの料金は結構高く、現在手持ちが110元くらいしかない身としてはそればかり気になって安心して車窓を楽しめない。

なんとか人民広場の地下鉄駅が見えて安心した時には料金は90元くらい。結局91元かかった。手持ちで間に合ったものの、結構ぎりぎりだったので肝を冷やした。宿がいつもの豫園外灘方面じゃなくてよかったかもしれない。


今回の宿は租界時代の面影を残すクラシックなホテル、「金門大酒店」(写真は翌朝のもの)。入口は2階にあり、階段を上っていかねばならないのがちょっと大変。スーツケースを持ち上げ回転式のドアをくぐると、クラシカルな洋風のロビーに出る。

チェックインを済ませ部屋に案内してもらうが、部屋は「中4階」でエレベーターを降りた後にもう一度階段を降りなければならず、思いのほか大変。一人になってようやく一息。ようやく上海に帰ってきた……。

部屋は綺麗で品がある。窓の外は建物しか見えないけど、一晩しかいないのがもったいない良いお部屋。バスタブもあったし。

もう24:00回ってるし眠いので、今日はそのまま就寝。

翌日は買い物とかマッサージとか個人的な用事が多く、特に第三者が見て面白いこともないと思うので、簡単に総括を書いてラストです。

つづく