壺中天

歴史、旅行、ごはん、ゲームなどアジアなことを色々つづります。

【リンバス】第7章感想・考察メモ【下編ネタバレ有】

※現在下編途中(ラスボス攻略中)なので最新版ではありません。

7章ストーリーを読み進めて考えた事気づいたこと原作ネタなど、色々書き留める用のメモ代わりの記事です。

ドン・キホーテ』で吸血鬼??とか思っていたけど、そういう細かい要素を取っ払ってみると「主観的な善意が災害をもたらす」という状況があり、間違いなく『ドン・キホーテ』らしい話だなと思った。

※ネタバレを多分に含みます。未プレイの方はご注意ください※
※いつもながら、あくまで原作に照らした考察で過去作は未プレイ、その点不完全な所があります。※

底本:会田 由訳『才智あふるる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(筑摩世界文学大系15『セルバンテス』所収)

ストーリー整理

P社は「都市悪夢」級の災害・「ラ・マンチャランド」に脅かされていた。ダンテ一行はP社より「ラ・マンチャランドの討伐」と、「その創造者の引き渡し」を依頼される。

ラ・マンチャランド」は200年前に誕生した「遊園地」。楽しげな音楽や雰囲気で人を誘い込み、多くの犠牲者を出している。各地のフィクサーによる討伐隊が組織され、ダンテ一行もその一員としてランドに突入することになった。

今のところ、こんな感じ。

【10/24追記】人物整理(重大ネタバレあり)

P社やフィクサー勢はいったん置いておいて、ラ・マンチャランドとドンキホーテの過去絡みを中心に。

サンソン

血鬼。自称ラ・マンチャランドの「案内人」。黄金の枝の効果による催眠術を使う?「ドンキホーテのために奸悪な策略をめぐらせようとしている」と自称。
地獄と化したラ・マンチャランドに「黄金の枝」をもたらす。ドンキホーテ一家と戦った血鬼の一族で血鬼戦争関連で因縁がある?

シンクレアへ・からの言及、青いシンボルカラー=デミアン一派の関係者?

【原型:村の学士サンソン・カラスコ=鏡の騎士=銀月(白い月)の騎士。ドン・キホーテの冒険を終わらせるため暗躍】

≪重要人物≫
第一眷族ドンキホーテ

サンソンが語った「王」でドンキホーテ=サンチョの「父」。長年孤独と虚無に苦しんできたが、「白い月の騎士」との友情・彼女からの見聞を経て感化され、人間との共存という夢を見る。

血鬼との戦争で人間側に立ち勝利を収め、その後理想郷「ラ・マンチャランド」を作るが、彼が旅に出ている間にその理想は崩壊。血鬼たちの反乱に遭い、杭を打ち込まれたのち黄金の枝が刺さる。

直向きで夢と理想に燃えていたが、現在(下編開始時)は原作ラストと同様、夢想を手放しこれまでの行いを失敗と認めている。

【原型:原作の主人公ドン・キホーテラ・マンチャの村の郷士で、騎士道物語に取りつかれ冒険の旅をする。最終的には、サンソンの変装「銀月の騎士(ゲームでは白い月の騎士)」に敗れ、騎士道の夢から醒めて死去。】

サンチョ

囚人「ドンキホーテ」の正体。第一眷族「ドンキホーテ」が生んだ第二眷属。原作通り、主の理想に対して冷めた態度を取っているが、これまた原作通り次第に感化されていく?

原作通り父と旅立つが(※原作のサンチョもドン・キホーテに親愛をこめて「息子」「せがれ」と呼ばれている)、ラ・マンチャランドの崩壊によって逃げ延び、忘却の川の水を飲み記憶を消す。

遺跡の中でフィクサー雑誌を読みふけり、夢想に取りつかれていたがヴェルギリウスの到来によってリンバス・カンパニーと契約。
【原型:ドン・キホーテの相棒の農夫サンチョ・パンサ。無学で俗物だが素直で善良、忠実。「一人が好き」と言っているが、原作では妻と子供たちがいる】

ロシナンテ
本来のロシナンテドンキホーテが履いていた靴。ドンキホーテ曰く「どこにでも行ける」、サンチョはこのロシナンテを履いて逃げ延びた。靴には持ち主の名前が書かれていたため、記憶を失ったサンチョはヴェルギリウスにその名を名乗った。

【原型:ドン・キホーテの愛馬ロシナンテ。「かつての痩せ馬」という意味。】

・白い月の騎士 バリ

ドンキホーテと戦って友人になったフィクサー。本名はバリといい、都市や遺跡を訪ね歩いて「花」を探し歩いている。

孤独のうち虚しく過ごしていたドンキホーテを夢と希望に目覚めさせ、血鬼戦争に参戦させる。ラ・マンチャランド崩壊後もサンチョに雑誌を届けるなど父娘を見守り続けている。

【原型①:サンソン・カラスコの変装】
【原型②:韓国の神話に登場するバリ公主。捨てられた王女だが、両親の病気を治すため男装して旅立ち、薬を探して二人を救う。月は陰で女性の象徴。バリ公主は儒教に象徴される男権社会に対し、女権とシャーマニズムを象徴するという。】

ラ・マンチャランド≫
原作『ドン・キホーテ』の村人キャラ(ラ・マンチャの住人)は大体ここにいる。

理髪師 ニコリーナ

ラ・マンチャランドの管理人血鬼。第三眷族だが「親」は不明(ドゥルシネーア?)。カセッティの仮面は彼女作。というか、ランドの血鬼たちの仮面は彼女が作って縫い付けたもの(だからカセッティが痛がっている)

【原型:村の床屋ニコラス(男性)。司祭ペロ・ペレスとともにドン・キホーテことアロンソ・キハーノの親友で準レギュラー。アロンソの「発狂」後は司祭と二人で騎士道物語を焚書したり、連れ戻しに旅立ったりと奔走する。】

神父 クリアンブロ

ラ・マンチャランドの管理人血鬼。第三眷族だが「親」は不明(ドゥルシネーア?)。

【原型:村の司祭ペロ・ペレス。作中での動きはニコラスと同様。第2部ではインテリ同士、サンソンとつるんでいる場面も多い。クリアンブロという名前は原作終盤、ドン・キホーテが「今度は皆で羊飼いになろう」と提案した時に彼がペロ・ペレスのため考えた名前。】

ドゥルシネーア

ラ・マンチャランドの管理人血鬼。第二眷属=サンチョの姉妹。自分の美貌や高貴さに自信を持っているようだ。

【原型:ドン・キホーテの思い姫ドゥルシネア(エル・トボーソ村の百姓娘アルドンサに勝手な設定を盛った想像上の人物)。ドン・キホーテの旅の目的は彼女の美しさを世に知らしめ、彼女に武勲を捧げるため……ということになっている。想像上の存在なので、(アルドンサも含め)原作で生身の人間として彼女が登場することはない。】

ロレンツォ
血鬼の一人。神父曰く、抑圧に苦しみ頭が破裂して生きながら埋められた。原作ドゥルシネアの「本名」はアルドンサ・ロレンソというのでドゥルシネーアの原型かと思ったが関係はなかった。残念。

シーチュン

次はホンル章なので、彼周りの掘り下げも来て紅楼夢ファン歓喜


今回登場したシーチュンは『紅楼夢』の賈惜春。画才があり潔癖な性格で、仏門に惹かれている。(静かに行動するのが好き、気難し屋、等々性格も原作からこんな感じ)

原作キャラの中で彼女が抜擢された理由は、たぶん原作ラストで出家するのと、父親の賈敬が仙人志望の道教クレイジーなので、「僧侶・道士⇒キョンシー(吸血鬼)退治」ということからかもしれない。(※もっと大事な理由があった。次の項目で書きます

お付きの「ウェイ」については今のところ元ネタが分からない。

【10/18追記】宝玉との関係性

ホンルはシーチュンについて「他の兄弟より僕に一番懐いてた」と語っている。原作だと宝玉と惜春は血筋的に遠いし接点もあまりない。最初は不思議に思っていたが、しかし原作の宝玉と惜春にはある共通点があるのに気づいた。それが

「俗世・家から離れる」

という点。
原作ラストにおいて、賈宝玉は「道士・僧侶」と共に俗世を去り、仙人的な存在となる。()。賈惜春も前述のように潔癖なタイプで、物語の最後では出家する。

なのでシーチュンがホンルに好意を寄せているのは原作で価値観が近い、ゲームでいうと「家」に対して懐疑的・距離感のあるスタンスが似ているためなのだと思う。

※)道士と僧侶は『紅楼夢』内でたびたび登場し、仙界と現世の橋渡し役をする。「下界を見たい」という仙界の石の頼みを聞いて、「通霊宝玉(たぶんホンルの左目のモデル)」に変身させ下界に送ったのも彼等、「鏡」を持ってくるエピソードもある。

階層的な大家族制(血鬼/賈家)


上図のシーンでは血鬼の生態が語られているけど、これは紅楼夢の賈家をはじめとする中国の大家族制や礼教秩序にもよく似ている。

「上位世代を頂点とするピラミッド状の血族集団」「上位世代に逆らうのは不孝行という感覚」「家族は絶対」というのはいかにも中国的で、今後のホンル・シーチュン周りや8章に関係する話でもあるのだろう。

「バオユ若様」


ついに「バオユ=宝玉」の名前が出てきた。やはり「賈宝玉」としての名前を持っているんだな。「ホンル」と名乗っているのは賈家との離別のためか。

7章と紅楼夢の共通点

7章ではホンル周辺の事情が掘り下げられているが、理由の1つとして7章の内容がかなり『紅楼夢』…というより王朝時代の中国社会?と重なっていることが考えられる。これについて整理してみた。

7章 8章
血縁で結びつく集団 血鬼社会 賈家(中国の氏族制)
「孝」による階層性 眷属間の序列 「孝」の重視、上位世代優先
家族を残し旅に出る ドンキホーテ父娘の冒険 ホンルの家出?/賈宝玉の出家
大義」優先・個の抑圧 共存の強制・血の禁止 家の方針?/儒教的秩序
不老不死 不老長生 精神の不死を探求
風車、観覧車・回転木馬 運命の輪?(

感心する一方、8章の布石を置きすぎてロメロとかカミーユとか、シーチュン以外のキャラクターが雑な扱いだったのはちょっと勿体なくも思った。キャラデザも良かったのに。

※)ホンルと関係のありそうな「J社の運命の輪の噂」。観覧車・風車のイメージにも通じる。下の記事で考察してます。

賈家関連について詳しくはこちら
xiaoyaoyou.hatenadiary.jp

サンチョとドンキホーテ


中編ラストにて明かされた衝撃の事実だけど……ヒントは色々あったなと思った。

原作のサンチョ・パンサ

ラ・マンチャの村に住む農夫で、恩賞目当てにドン・キホーテの旅についてくる。妻テレサと息子サンチョ・娘サンチャがいる。色んなものに正直で善良、忠実だが自立した性格(ずけずけ物を言うし、主君の無理強いには抵抗)。

ABCも知らない無学な人物だが知恵はあり、「領主」の仕事を任された時は意外な名君ぶりを発揮。ことわざに異常に詳しく、やたら連発してドン・キホーテを呆れさせるが終盤ではドン・キホーテにも伝染する。

主君の「狂気」については織り込み済みで、第2部では旅についていく理由について、恩賞のことだけでなく「彼の無邪気さが好きだから」と言っている。

主の「思い込み」にも最初は一々ツッコミを入れていたが、第2部では思い込みの激しさを逆に利用したり、逆に主の空想的な言い分や魔法を信じるような場面も。

これまでの伏線らしきもの

・「おちびちゃん」=サンチョは小男、ドン・キホーテはのっぽ
※父と並んだシーンでも身長差が強調されていると思う

・食欲旺盛(ヘルズチキンで生鶏を食べたり5章でアイスクリームに執着)

シ協会人格(豪放に笑い、くだらない冗談を楽しむ)

・E.G.O.「一生シチュー」(原作第2部でサンチョが煮込み料理に言及)
「給仕頭がこさえてかまわねえものは、煮込み料理って呼ぶあれで、ぐつぐつ煮込みゃ煮込むほど、匂いもよくなるし、あれになら、食えるものでさえありゃ、何でも好きなものを入れることができるし、わしもそいつをありがてえと思うし、いつかは、給仕頭にそれだけのお礼はするつもりよ。」(第2部49章)

E.G.O.「電気哀鳴」・人格「提灯」の羊=サンチョは村で山羊飼いをしている

E.G.O.「電信柱」=サンチョがドン・キホーテによく「けだもの」と呼ばれているから?雷については覚えてないけど探してみる

剣契人格=マナーがなってない(サンチョは粗野な庶民、ドン・キホーテは教養ある紳士で立ち振る舞いは品がある)

T社徴収職人格=血鬼で時間持ちだから?と思っていたけど、「領主=徴税権」もあるかも

・「当人の夢863つ」(5章)=これ、「パンサ」の語呂合わせだったりする?

・独特な発音(ヴェケイション、とか)
最初は芝居がかった物言いをしているのかと思ったけど、原作のサンチョは学がないためよく言い間違いをする(Ex.ベネンヘーリ(『ドン・キホーテ』の想像上の作者、第2部には彼が書いた伝記として『ドン・キホーテ』第1部が登場する)。とベレンへーナ(茄子)、とか)「発音がズレている」可能性も?

割とどっさりある…。これ、丁寧に情報拾い集めたらすぐ分かる話だったんだな。

「サンチョのドン・キホーテ化」


ちなみに、以前原作の解説を読んで(岩波文庫版だったかな)『ドン・キホーテ』原作、特に第2部ではドン・キホーテの夢想主義とサンチョの現実主義が相互に浸透して、お互いがお互いに近くなっている」との指摘があった。

具体的には、サンチョが魔法を信じるようになったり、ドン・キホーテがことわざを言うようになったり、理性的な側面を見せることが増えたり。

サンチョの回想で、父やバリに感化されて「夢を見る」ようになった……というのも原作のこういう部分を踏襲しているのだと思う。

なので、「サンチョのドン・キホーテ化」というのは原作から見てもそこまでおかしなことではなかったりする。

セリフ出典



眠りに関するこの台詞は、原作のサンチョの台詞から。
場面はドン・キホーテが「銀月の騎士(サンソン)」に敗れ、失意のうちに村に引き返す途上。

夜、ドン・キホーテは寝入っているサンチョを起こして「こんな辛い時にお前はなんで寝てるんだ、苦しみを分かち合え恩知らずめ」的なことを言う。その後の台詞。

「ただ、わしにわかっているこたあ、わしは眠っている間は恐ろしさも希望も誉れもなんにもないということだけでさ。
この人間のもの思いというもの思いを覆ってくれる外套、空腹を取り去ってくれる食べもの、のどの渇きを追っ払ってくれる水、(中略)
もっとも眠りにもただ一つきずがあるし、わしは人の話で聞いてるだが、そいつはよく死ぬってことに似ていることで、現に眠っているやつと死んでいるやつとはほとんど似ているからでさ」(第2部68章)

ドン・キホーテはこの発言を聞いて「これまでお前がこんなに上品に話すのを聞いたことがない」と驚いており、その後には自分が、サンチョのお得意であることわざを盛り込んだ台詞を言う。

夢破れた後、かつ前述したドン・キホーテとサンチョの同化」が感じられる印象的なシーン。なので、それも踏まえると絶妙なタイミングに絶妙な台詞を持ってきたな…と思った。

この後のドン・キホーテの台詞も面白いので引用しておきたい。これはただの趣味。
「おぬしは寝るがよいぞ、サンチョ」「なにしろおぬしという男は眠るために生きてきたのだから。わしは、そこへいくと徹夜するために生まれてきたようなものだから。」

サンチョとして生まれたからには

原作でサンチョが何度か「サンチョとして生まれたからにはサンチョで死ぬつもり」と言っているので、ラストは本来の彼女になるのか?囚人名の問題もあるし、どう着地させるのか…。

ヴェルギリウスの台詞的に、ドンキホーテを名乗るのは会社の契約で決まってそうなので、囚人としての役目を終えたら……ということになるか。とりあえず、今後の展開に関わって来そうな話なので書いておいた。

バリ公主(鉢里公主)


「白い月の騎士」…というか、「バリ」のモデルになっている女神・バリ公主について。

彼女は韓国神話に登場する女神で、韓国土着のシャーマニズムや死生観と関連がある

バリ信仰は儒教の規範に基づく父系社会にとっては都合が悪いので朝鮮王朝時代には規制されたが、現在に至るまで根強く、主に女性に信仰され続けている。

言わば女性原理のシンボルのような存在で、特に東アジアでは「月」も「女性」も陰陽説では「陰」に属するので「白い月の騎士」のイメージにも重なる。

彼女にまつわる物語は次のようなもの。

朝鮮王朝時代、ある王に子供が生まれたが、男子という予言に背いて女の子だった。この七番目の姫は玉の箱に入れ川に捨てられてしまうが、金の亀が彼女を助け、釈迦の導きのもとで老夫婦に育てられる。

(※バリとは朝鮮語で「捨てる(バリダ)」に由来し、バリ公主とは「捨てられ姫」のような意味。ベリテギ(捨て子)などの別名もある)

やがて王夫妻は姫を捨てた罪のため不治の病にかかり、15歳になったバリは両親を治すために「薬水」を求め、男装して旅立つ。神仏の助けを得ながら様々な冒険を経て、父母を生き返らせ、神として祀られるようになった。

西遊記』(冒険の旅と仏教、三蔵は赤子の頃川に流され、僧に拾われた)や桃太郎(川を漂う、老夫婦に拾われる)との共通点も見られるように、各地の神話や昔話によく見られる「英雄譚」の典型を数多く含んでいるのが特徴。

彼女は両親を生き返らせ、また旅の途中でも亡者たちを浄土に導いたことから「魂を極楽へ導く神」として信仰され、各地で営まれる「死霊祭」でも彼女が祀られる。(霊を極楽へ導き、一家の繁栄を祈願する祭り)

儒教は『論語』に「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」とあるようにあくまで現世にフォーカスした思想であり、バリ公主は儒教がカバーしておらず、且つ人間にとっては避けられない「死生観」を扱う神として、儒教社会を補う存在でもあったと言える。

ちなみに彼女は旅の途中でムザンスンという男性と結婚し7人の子をもうけている(子供たちは冥府の十王になったそうだ)。ムザンスン、の音がちょっと「サンソン」に近く、イメージカラーも同じ青なのが気になっているんだけど縁者なのだろうか?

彼女が第七王女であることについては、モンゴル~朝鮮のシャーマニズムでは「天が第七層(または九層)ある」と考え、「一番高い七層目に達することができる=力のある巫女」という意味合いなのだそうだ。ちょっと『神曲』の世界観に通じるものがある(神曲の天は10層)。

参考文献
村上祥子「韓国における女神の様相ーバリ公主ー」2017

いろいろ整理

人間関係(血鬼社会)

第一眷族

「王」=本来の「ドン・キホーテ」(太初の血鬼から生まれた?孤独に悩む:ちなみに原作ドン・キホーテは独身で姪と暮らしている)
※『ねじれ探偵』には「都市の長老」を除く血鬼は眠りについたとあるが、彼も都市の長老?

第二眷属
①サンチョ(原作で「息子」「せがれ」とも呼ばれる)
②ドゥルシネーア(原作では「ドン・キホーテが頭の中で作り出した思い人」)

第三眷族
理髪師、神父

サンソンは原作だと彼等と同じ村人だが、このグループとは別の所属のようだ。(実はサンチョは昔サンソンの父に奉公してたことがある)

時系列

ドンキホーテの孤独と眷属の誕生

「白い月の騎士」バリの訪れによる外界へのあこがれと共存への夢想

③血鬼戦争の戦い
「悪い血鬼を地下に追いやる」

④200年前:ラ・マンチャランドの創設
※原作におけるラ・マンチャドン・キホーテの村

人間と残った血鬼との間で「共存の楽園」ラ・マンチャランドが作られるが、「血」を奪われた眷属たちにとっては苦痛なだけだった。
※血鬼にとっての血は単純な食糧ではなく「欲望の結晶」(『ねじれ探偵』より)。それを与えられないというのはたぶん人間でいうと生理的欲求・豊かさなどの物質的欲求、安心などの精神的欲求、全部満たされないということなんだろう。

⑤原作3回の旅
その間に眷属たちとの溝が深まり、ランドでは人間と血鬼の共存が成り立たなくなる。血鬼たちは毎日「パレード」を繰り返すように。
ラ・マンチャランドランドの紫エリアがEternal Carnival、カーニバル=謝肉祭=ご馳走を食べて祝う、というニュアンスなんだろう。
ドン・キホーテはカーニバル文学とも言われる(価値反転・パロディ的な要素を含む文学)

ラ・マンチャランドの崩壊
ドンキホーテとサンチョがラ・マンチャランドに戻った時、ランドは血に飢えた眷属たちにより地獄と化していた。サンチョは父の意思を継ぐためロシナンテを借り受け、白い月の騎士とともにラ・マンチャランドから逃れるが、ドンキホーテは戦いに敗れ杭を打ち込まれる。

⇒サンチョは「白い月の騎士」と共に忘却の川を訪れその水を飲み、バリに「灯台」へ連れて行ってもらう

ラ・マンチャランドにサンソンが現れ黄金の枝を持ってくる。ドンキホーテの身体に刺し、眷属たちの苦痛を和らげる。「ラ・マンチャランド」が人間の脅威として復活

遺跡でフィクサー雑誌に耽溺
サンチョ、「遺跡(灯台?)」の閉ざされた部屋でフィクサー雑誌を読みふける(原作『ドン・キホーテ』冒頭でドン・キホーテが騎士道物語に取りつかれる場面)=「囚人ドンキホーテ」の人格が作られていく

⑥×年前:リンバスカンパニーに入社?
ヴェルギリウスが遺跡を訪れ彼女を外に連れて行く。サンチョはロシナンテに書かれた名前を見て「ドンキホーテ」と名乗る。
※原作で「騎士と思い込んだ」のを、「自分をドン・キホーテと思い込んだ」とアレンジしているのか。

「囚人ドンキホーテ」の誕生

サンソンについて


第7章のキーパーソン・サンソン。彼の原型は『ドン・キホーテ』第2部に登場するサンソン・カラスコで、ラ・マンチャの村出身の学士。

人柄については「性格が悪い」「意地悪で洒落や冷やかしが大好き」「稀代の嘲笑家」とありマイナスイメージ…というか曲者感が強調されている。サラマンカの大学で学んでおり、第2部で帰郷する。

第2部において、彼はドン・キホーテの友人ニコラス(理髪師)やペレス(神父)と共に、ドン・キホーテを「騎士の夢物語」から立ち返らせようと画策

その方法は「あえてドン・キホーテを旅立つに任せ、自分も騎士に扮して、決闘で彼を打ち負かすこと()」。サンソンは「鏡の騎士(1回目)」「銀月の騎士(敗北後、2回目)」と名乗りドン・キホーテに決闘を挑む。

※)心を折るとかではなく、「負けたら1年間村から出るな」と条件付きで決闘の上打ち負かす

1度目=「鏡の騎士」として現れた時にはドン・キホーテに敗れ計画が失敗。以後サンソンはドン・キホーテを恨み、「正気に戻す」より「復讐」を目的に動くようになる。

最終的には、別人「銀月の騎士(白い月の騎士)」としてドン・キホーテを打ち負かして故郷に連れ帰ることになる。

彼について現状分かっているのは

ドンキホーテを恨み、ラ・マンチャランドを否定
②催眠にかけて人を操れる(黄金の枝の力?)


ちなみに、この記事を書いた時点(サンソン登場前)で、黒幕としてヒネス・デ・パサモンテが怪しいと書いたけど(後述)、ゲームの「サンソン」と彼には共通点がたくさんあるし、「魔術師」もドン・キホーテの想像上の存在として原作に登場する。

なので彼はべースこそサンソン・カラスコだけど、ヒネスや魔術師も含め、(原作の)「ドン・キホーテの敵」をあれこれ取り込んだ複合的なキャラクターと言えるのかもしれない。

今更だけど、シンクレアが「見覚えのある感じ」「僕、分かった気がします」と言っている・青いシンボルカラー=デミアン一派の関係者なのか?サンソンがシンクレアを「完全には刻まれていないが可能性を秘めた俳優」とも言っているし(刻まれていない=カインの印?)

サンソンのモチーフいろいろ

上でもちょっと書いたけど、サンソンは「サンソン・カラスコ」の他にも原作でドン・キホーテに敵対する色々な存在を合わせて造型されているように思うので、そのモチーフ元について。

ヒネス・デ・パサモンテ

原作に登場する悪漢で第1部・2部両方に登場。ドン・キホーテの敵、劇(人形劇)、マジシャン、誘導・操作、左目を隠す(光がない)、などサンソンとの共通点が特に多い。

まず原作での描写について。

第1部で、ドン・キホーテガレー船での労役を課せられた犯罪者と彼等を連行中の役人に出会い、「善意から」犯罪者を解き放ってしまう。その一人がこのヒネス・デ・パサモンテ。

当然良い結果になるはずがなく、ヒネスは他の囚人と共にドンキ・サンチョを攻撃。後にサンチョのロバを奪って逃走する。ちなみに口達者なヒネスはドン・キホーテとの会話の中で「自伝を執筆中で、どんな騎士道物語も及ばないような素晴らしい作品になる予定だ」と、彼の冒険心・対抗意識を煽り立てるような発言もしている。

(ちなみに「恩を仇で返す」について、第2部でドン・キホーテ「最も憎む罪悪は忘恩」と言っている。ヒネスのことを指しているわけではなく一般論だが。)

そして、第2部では「人形使いと手品に巧み」な、「傀儡師のペドロ親方(マエセ・ペドロ)」として再登場する。ペドロは人形劇を上演するが、ドン・キホーテが劇中劇にはまり込んで乱入し、人形を壊してしまうという事件が起こる。

さらに「ペドロ親方」の外見描写として「緑の布で左目を隠している」というのが次がホンル章なのを思うととても気になるが…

なおヒネス・デ・パサモンテにはモデルがいるらしく、その人物は作中で諷刺されたことに腹を立て、報復に偽の『ドン・キホーテを書いたという説がある。

ちなみにセルバンテスは『ドン・キホーテ』を作中世界で完結させることにこだわっており、別人が書くことを許していない。そのきっかけがこの話だったかはうろ覚えだけど…

詳しくはこっちで書いてます(「ドン・キホーテの自殺」の項)
xiaoyaoyou.hatenadiary.jp

ドン・キホーテを操る」「ホンルとの共通点」「偽のドン・キホーテ」等々いろいろ怪しい案件はあるんだけど……どうなんだろ。サンソンのモチーフ元というだけかな。

魔術師たち

原作のドン・キホーテ自分に都合の悪いことが起こると、だいたい「魔術師」のせいにする。=現実と空想を繋げるための方便になっている。

「魔術師」が最初に出てくるのは一回目の旅の失敗後、床屋と司祭が騎士道物語を焼いて書庫を封鎖してしまった時。ドン・キホーテの姪が「魔術師が来てそうした」とごまかしたのを機に「魔術師が自分に嫌がらせをしている」とことあるごとに思い込むようになる。

第2部でもその思い込みは続くが、特に重要なのは「ドゥルシネーアが魔術師によって農婦に変えられてしまった」という思い込み。これはドゥルシネーアの出身地(という設定の)エル・トボーソを訪れた時、姫を探してこいと言われたサンチョが苦し紛れに農婦を連れてきて誤魔化したため。

以後、「姫の魔法を解く」ことが旅の重要な目的になる。ちなみに鏡の騎士(サンソン)を破り、その顔を見た時も「魔術師が騎士をサンソンに変えてしまった」と思い込んでいる。

ドゥルシネーアの件は原作的には大事な部分だけど、リンバスだとどうなんだろ。

小ネタ

各話タイトル


こういう、「○○(出来事の説明)について」「それから○○する」という説明書きみたいなタイトルは原作ドン・キホーテと同じ。原作は54章(第1部、2部は74)まであるが合わせるんだろうか?

ちなみに原作第1章のタイトルは「名にし負う郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャの為人(ひととなり)および日常について」。

マンブリーノの兜

原作第1部に登場。戦いに負けて兜を失ったドン・キホーテが、通りすがりの床屋(ニコラスとは別人)が雨除けに被っていた金だらいを、騎士道物語に出てくる「マンブリーノの兜」と思い込んで奪おうとする。

マンブリーノの兜は「ローランの歌」関連の騎士道物語に登場し、マンブリーのはモーロ人(イスラーム教徒)の王の名。騎士レイナルドス・デ・モンタルバンがマンブリーノを倒して奪い、自身の持ち物とした。

ちなみにモンタルバンはローランと戦っているが、前作「Library of Ruina」はローランの歌がモチーフになっているそうなので関係があるのだろうか。

床屋は騎馬で突進してきたドン・キホーテにビックリして逃げてしまい。「兜」は一次的にドン・キホーテの持ち物となる。(のちに床屋に返す)

ドン・キホーテの禁欲と血液バー

作中世界の血鬼にとって、血とは単なる食料にとどまらない、本能的な「欲求そのもの」であるようだ。

仲間たちが吸血の抑圧で苦しむ中ドンキホーテ本人は平気そうにしているが、原作のドン・キホーテも騎士道に身を捧げるためかなりストイックにふるまっている。

例えば、サンチョに「粗末な食べ物は彼のような人には相応しくない」のように言われた彼は「お前は何もわかっていない」と反論している。

「よいか、サンチョ、よく覚えておくがよい、ひと月のあいだなんにも食わずにいる、よしんば食べるにしても、手近かにあるものに限るというのが遍歴の騎士の誇りとするところだ」

もっともその理由は「晩餐のシーン等を除いて、騎士道物語には騎士たちが物を食べたという記述がないから」でストイックとはちょっと違う気もするのだが…

ともあれ、生き血を摂取しなくても/不味い血液バーでも平気=夢でお腹いっぱい、というのは原作要素な気がする。

ドゥルシネーアとパレード

ドゥルシネーアが「パレードの姫」をつとめている元ネタの1つは、原作第2部で公爵夫妻がドン・キホーテ主従をからかうために演出した「魔術師の行列」かもしれない。

第2部でドン・キホーテは「ドゥルシネアが魔法に掛けられている」と思い込み、その魔法を解くのが旅の目的の1つになる()。

※)ドン・キホーテは自分の身の回りに起こる不都合なことをしばしば「自分を妬む魔術師の仕業」と解釈する(現実を認識に合わせるための方便)。ドゥルシネアと魔法の件は、姫に会わせろと言われたサンチョが苦し紛れに百姓娘を彼女だと偽ったことから

主従は公爵夫妻に誘われて狩りに出た夜、おどろおどろしい「魔術師の行列」が「ドゥルシネアを戦利品として運んでいく」所に出会う。

これは夫妻が演出したドッキリで、ドゥルシネア(小姓の変装)が大きな山車の頂上に座り、「自分の魔法を解く方法はサンチョが自分の尻を3300回鞭打ちすること」だと告げてからかう。

偽物とはいえ、「実体を伴ったドゥルシネア姫」が登場する唯一のシーンでもある。

スペインと忘却の川

スペイン北西部のガリシア地方にはリミア川という川があり、古代には「この川を渡る際には記憶を失う」という伝説があった。

そのため古代ローマ人からは「オブリビオニス川」(Oblivionの語源であるラテン語より)の別名で呼ばれて恐れられていたそうだ。

伝説の理由としては、この川が「レテス川」と呼ばれていたことから、ギリシア神話のレテの川と混同されたためと考えられている。

ちなみにこの伝説は、紀元前2世紀、ローマの将軍が川を渡って兵士に呼び掛け、記憶を失っていないのを証明したことで打ち破られたそうだ。

資料

気になる台詞まとめ

冒頭の会話

夜が急いて近づこうとも この闇を掻き分けて進み
世界に二つとない家族の祝福と優しい許しを受け
あらゆる危険を乗り越え 幸福に至れるであろう
疑いの余地もなく
今日私に起こるであろう冒険もまた、素晴らしきものになるであろう
ドンキホーテドン・キホーテ

それに…私たちの冒険でもあるね。
みんな覚えてるよね?第一にフィクサーとは、思考は純粋に、言葉は正直に、行動は寛大に。
冒険は勇敢に挑み、苦難は耐え忍び。困っているものには慈悲深く…。
最後に。命を懸けてでも夢を掴みに行くんだ。
この中の一つでも守れなかったら、私があなたたちのツラを叩きに行くからね。
いつも緊張しながら、真っ直ぐ歩いていくように。
(白い月の騎士・バリ)

それまた…卑怯な脅迫と言わざるを得ぬな。
ドンキホーテドン・キホーテ

ドンキホーテ

そこにはだな…。うんざりする戦いもなく、いつ食べられるか分からない恐怖もなく…。只、笑い声のみが満ちているであろう。
ドンキホーテ=本当はドン・キホーテか)

冒険は嫌いだ、お願いだからどうか止まってくれ!
サンチョ

いや、そんな馬鹿にしたようにからかうでない。それはお前が冒険というものをよく知らないから言ったのではなかったか。
お前の目には見えぬのか、偉大なる冒険の門が我々に向って大きく開かれている。だからつべこべ言わずに、すぐに支度を整えて出発しようではないか。
ドンキホーテ=本当はドン・キホーテか)

私は生まれた時から一人だった。いつも寒くて寂しくて…。
サンチョ?
この台詞の状況が分からない。「家族や兄弟はいなかったのか?」「俺がもうこれ以上、死にたくないようにしてやろう」と「ドン・キホーテ」らしき声が言ってるから、彼女は「ドン・キホーテ」の眷属ではないのか?

ヴェルギリウス

この先、どんな状況が訪れても。…ドンキホーテは約束を覚えているはずです、ダンテ。

サンソン

素直に道を開けましょう。(中略)今度は道に迷わないように。
もしそうでないなら、貴女が…ここで数十匹の血鬼を殺しているはずがないでしょう。そうではありませんか?

さあ、素晴らしい話でした。そうではありませんか?
かつて人間と血鬼が幸せに暮らしたという幼稚なこの場所の話より気に入りましたよ。

貴重に得た宝物ほど大切に持ち歩くべきでしょうに。いつか後悔することがないように。

わたくしは、約束だけなら誰よりもよく守る血鬼ですから。

ねじれ探偵の内容まとめ

血染めの夜:前作LoRに登場した血鬼エレナ、脅威レベルは「都市の星」。裏路地と巣の人々を無差別に拉致し吸血・血袋化?都市の北部・東部に脅威をもたらす。協会と事務所が討伐に動き、チャールズ事務所が討伐に成功。
※チャールズ事務所はシャルルマーニュ関連(ローランの歌)が元ネタらしい。騎士道物語つながりで「血染めの夜」の話が7章にも絡んでくるのか。

血=欲望の結晶であり、単純な食糧ではない(モーゼス曰く人間にとってのお金)。
※生物の生理的欲求、本能が血への渇望に集約されているような感じ?

【モーゼスと接触した「第一眷族」ラリエルとの会話】
血鬼たちは無用な対立を避けるため巣や裏路地とルールを取り決め、互いの領分を侵さないように暮らしてきた。

そのために、都市の区の数を超える血鬼は血を飲んで眠った。=24区に1人ずつ長老がいる。

しかし「都市を照らした光の柱(白夜、黒昼)」が現れた後、ルールを知らず力を制御する方法も知らない「新たな血鬼」が現れた。
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