最近ジャンルがとっ散らかっちゃって鈍行になってますが、旅行記も消化したい…!
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3/31 三日目
黄山のご来光
アラーム通り4:30に起床。カーテンを引いて窓の外を見ると、西の空にはまだ月が。月明りで割と明るそうなので、予定通り朝日を見に外に繰り出した。
肌寒いので上着を着てきてよかった。何人か人の姿があり、チカチカとライトが光っているのも見えた。なんだかワクワクする。
黄山にはいくつも展望台があるが、どこで何が見れるかは調べてあった。朝日なら、ホテル(北海賓館)に近い「清涼台」や「曙光亭」で見ることができる。
今日の目的地は清涼台。道は分かっているのでスムーズに到着できた。人がたくさんいるかと思ったけど、おじさんが一人いるだけだった。ライトを持っていた人たちはどこに向かったんだろう?
三脚をセッティングして日が昇るのを待つ。隣のおじさんは確か韓国の方だったと思う。黄山ではよく韓国の方を見かけたな。慣れているのか三脚の角度や高さとか、色々おせっかい、もといアドバイスしてくれた。
まだ5:20頃。ピントが合わないくらい暗い。だんだんと明るくなってきて、遠くの山も見えるようになってくる。シルエットだった手前の岩山も、松の輪郭や岩肌の質感がわかるくらいになってきた。人もどんどん増え、にぎやかになってくる。
そして6時頃、歓声が上がった。
見ると、赤々とした円盤が朝靄の中から顔を出したところだった。↑はちょうど6:00頃。
これは6:03。
そして6:06。
円盤はすっかり「光」に代わり、まばゆいご来光を拝むことができた。
この間僅か5分。太陽は一たび顔を出すと、あっという間に昇っていく。見え方も刻一刻と変わるので、目が離せない、緊張感のある瞬間だ。
やっぱり山の上に泊まってよかった。高くつくけど、こんなにいい景色が見られるなら何も不満はない。……しかしさすがにちょっと眠い。レストランをのぞいたらすでに人がたくさんいたけど、一眠りしてから8時半ごろに出直す。その頃はすっかり空いていた。
北海賓館の朝食は、昨晩の料理から期待していた通りとてもおいしい。
点心が主体なんだけど、そのラインナップも豊富。今朝は甘酒風味のマントウ、春巻、餃子、もち米を包んだ蒸し物、甘いもち米団子、そして炒飯とザーサイ炒めを食べた。
体力をつけるためモリモリ食べて、2日目の黄山散策に出発した。
あえての下山行
本日の散策予定は、午前:松谷・黄山古道、午後:飛来石・光明頂。黄山古道は山麓にあるので、一度ロープウェイを降りる必要がある。
今回は登りに使った雲谷ロープウェイ駅ではなく、太平ロープウェイ駅(太平索道站)を利用する。場所は排雲亭の近くなので分かっている。また延々と階段を降り、西海賓館前を通り過ぎる。
時刻は9時頃。そして…今日は土曜日。この時間はツアー客が山中にやってくるタイミングでもあり、お揃いのキャップやシールを身に着けた御一行様(学校の遠足ではない)が群れを成して山道を歩いていく。
そして人ごみの合間を縫って、挑夫さんたちが石段を上り下りしている。彼等は黄山観光の影の立役者。黄山では物資は人力で運搬するしかなく、食材、ごみ、布類、果ては鉄骨などあらゆる物資が文字通り彼らの肩にかかっているのだ。
これはホテルのリネンだろうか。何度も休みながらの行軍で、慣れてはいるんだけど大変そうだ。本当に頭が下がります。
太平索道站に到着。窓口でチケットを買おうとすると「下山するやつだよ」と念を押される。よく考えたら、黄山に入る時にはロープウェイ運賃と一緒に「入山料」を払った。上り直すとまた入山料を払う必要があるのか?
駅の職員さんに確認を取ったら前日の入場券があれば大丈夫だと言われ、半分安心・半分心配で乗り場に進んだ。入場券やホテルの予約確認書も持ち歩いててよかった…。
下車する客は大量にいたけど、乗車したのは私だけだった。こちらのロープウェイは4~5人乗りの雲谷ロープウェイと違って2~30人くらい乗れる大きなもの。乗務員さんの付き添いもある。
運行間隔も広く回転率は低い。乗務員のお兄さんと2人で山を下った。一人だけだね、と言われその後も話しかけてくれたんだけど聞き取れず無念。
ロープウェイは最初に少しだけ上り、あとは峰を超えて一気に下っていく。鉄塔に差し掛かる時に前後に揺れるので、ちょっとヒヤっとしながら乗っていた。雲谷に比べると乗車時間も短く、割とすぐに地上の松谷駅に到着した。
穴場の黄山古道
黄山周辺には古い登山道(通称:黄山古道)がある。ガイドブックには載っておらず、私も事前に読んだ「旅名人ブックス」でその存在を知ったくらい。
何本かあるのだが、今回は「旅名人ブックス」に載っていた黄山北麓の古道(芙北路)を歩いた。芙蓉嶺と北海(ホテルがある所)を結ぶ道で、沿道には美しい渓流やエメラルド色の「翡翠池」などの見所があり、歩道も整備されているので気軽にハイキングを楽しめる。
黄山を訪れる観光客はロープウェイでアクセスすることが多いだろうし、入山料の関係で一度山に入ったらあまり下山しないと思うので、訪れる人はあまり多くないだろう。
しかし、ここは本当に素敵でおすすめの場所。むしろ午後の山上散策より全然楽しかったし、景色もよかった。その魅力を伝えられればと思う。
*****
地上の松谷駅は黄山に上る観光客で込み合っている。下車と乗車の通路は違うので、外にはスムーズに出ることができた。
駅前には広場があり、「北大門広場」というらしい(黄山に登る時のバス乗り場は「南大門」だった)。タクシー等も停まっているが、土曜日にしては静かだ。彼らも暇なのだろう、早速たむろしていた運ちゃん達につかまった。
湯口がどうこうと言っていたので、下山して湯口まで戻るものだと思われたようだ。歩きに行くんだと言ったら、それならあっちからだと方向を教えてもらった。
提灯が並んでいるのがバスのチケット売り場、奥の建物はビジターセンター。布団が干してあったり、なんだかのどかだ。
ビジターセンターの奥には売店があり、黄山古道には、その横にある小さな階段から行くことができる。
階段を下りて建物の中を抜けると、竹林に囲まれた遊歩道に繋がっていた。写真向かって右方面に行くと、目当ての「翡翠池」。左に行くと松谷庵(寺院)、ホテルのある北海へもここから登山できるようだ。
標識には日本語の表記もある。漢語が多いので大体合ってるけど「太平ロープウェー 太平ウェイ」はなぜか二本立て。いいと思います。むしろこうでなくては。
登山道を逆走する形になるので、基本的には下り道だ。木漏れ日を浴びながら階段をひたすら下り、生活感のある建物(肉がぶら下がっている!)の脇を抜けると渓流にかかる橋に出た。
ごろごろと積み重なった岩の隙間を、澄んだ水が流れ落ちて行く。とてもきれいな渓流だ。ここからは、川沿いにずっと下っていくことになる。標識によると、翡翠池までの距離は1km。
しばらく竹林がつづき、階段を下りきると少し開けたところに出た。一本だけ、桜の木?がかすむようにピンク色の花をつけていた。人知れず静かに咲き誇る、まるで深山に隠れ住む仙女のよう。
地面に生えているのはお茶の木で、心なしか爽やかな香りがした。
茶畑の先には小さな石の祠があった。中には何もなく、蜘蛛の巣が張っているだけ。昔は土地神でも祀られていたんだろうか。京都や鎌倉の寺院にありそうな風景だけど、いつの時代のものだろうか?華清池の唐代建築に続いて、我々の考える「和風」ってどこまで「和風」なんだろう?と考えてしまう。
祠を通り過ぎると、また木々に覆われた山道になった。右側を流れる渓流の水音と、鳥の声が清々しい気分にさせてくれる。しかし、全く人がいないので少しばかり不安になる。
道はあるし野生動物がいるほどの山深さではないし、遭難する心配もないだろうけど気持ち的な心細さはある。もちろん、人が多いよりは全然いいけど。
NO WRITING NO CHINA
さて、石の祠を見て「和」の境界線とは何かと考えはしたものの、このハイキング路には明らかに日本とは異なる点がある。それが「文字」の存在だ。
中国には見立てによる命名なり碑文の彫刻なり、「文」の洗礼を施すことで自然に価値を与える……という発想が古くからあり、名勝には文字がつきもの。そして、こうした景観には色々な中国的エッセンスが凝縮されていると私は思っている。
つまり黄河と戦ってた古代より脈々と育まれた人間中心主義であり、文房四宝や科挙を生んだ書写・作文への情熱、そして昔は鑑賞者の題詞や印で埋め尽くされた絵画、今ではbilibili動画等に代表される共同観賞の文化。
自然と人文が一体化したこういう風景は、あまり他の地域では見たことがないと思う。壁画や碑文は各地にあるけど、それはあくまで単体で完結するもので、景観との一体性という点では何か違うような気がするんだよね。
旅をする時にいつも大事にしているのは「日本人としての/個人の目・感覚で見てどう感じるか」で終わるのはなく「なぜ違いが生まれるのか」「何を考えてこういうもの(景観、習慣)を作り出したのか」、そういう文脈を探ってみること。
そういう目線で見ると、この「文字のある風景」も、先に書いたような、中国(漢族)の歴史や文化全体を貫く価値体系に基づくもので、彼等にとって、自然の岩に書き込むことも、山水画に落款を押すこともあまり変わらないんだろう。
野暮なという意見もあるだろうけど、いかにも文雅の国らしく、私はわりと嫌いではない。
竹林が途切れて明るくなった。そこにもまた、文人たちの足跡が残されていた。
徐霞客を思う
詩が刻まれた岩の先には、「烏龍亭」と書かれた黄色い屋根の四阿がある。「重点文物保護単位」の石碑が建っていたので結構古いんだろうか。
簡素な石の四阿で、天然の大岩の上に作られている。渓流に張り出しており眺めもよさそう。せっかくなので覗いてみると……
わ!綺麗なエメラルド色の淵がある。
こういう「インクを流し込んだ」系の池って、九寨溝とか忍野八海とか「青」は見たことあるけど「緑」は初めて見た。しかも、こんなマイナーな所にさりげなーくあるんだからなぁ。綺麗~。
右は長時間露光の練習をしてみたもの。でも、この場所には合わなかった。長時間露光は滝のような水の「動き」を表現するにはいいけど、むしろこの場所で綺麗だと思ったのは滝壺の透明度と色の深みで、水面を流すとそれが伝わらなくなってしまう。難しいなぁ。
後から調べたら、この池は「烏龍潭」というそう。松谷の古道沿いにはこのような池が五つあって「五龍潭」とまとめて呼ばれる(赤龍潭、青龍潭、白龍潭、烏龍潭、老龍潭)。烏龍亭の名前の由来も分かったけど、看板も何もなく当時は全然分からなかった。もっとアピールしてもいいのに。
明代の大旅行家・地質学者の徐霞客がこの五龍潭を訪れ『徐霞客游記』に書き残しているので、彼と同じ道を歩いていたのかと思うと、凄い体験をしたなと思う。
先ほど出てきた烏龍亭も、今のものは嘉靖二十四年(1545年)に建てられたそうで、彼も立ち寄ったのかもしれない。もしかしたら、同じ場所に座って烏龍潭を見ていたりして?
反対側(下流側)はこんな感じ。ということはこれも、徐霞客が見たままの景色?そう思うとすごいなー。
しばらく四阿にとどまっていたけど、今の時間は日陰にならない。山を下りたので日差しが強く気温も高い。じっとしている間にどんどん汗をかいてしまった。そろそろまた歩き始めよう。
烏龍亭の近くに、河原に降りて行ける道を見つけた。下から見ると、四阿の印象が全然違って面白い。目立つ「龍」の字の下にはよく見ると詩が書いてある。
翡翠城郭中 芙蓉建屏峰
師生遊此地 幽趣有蒼松
山谷棲丹鳳 潭底臥碧龍
星辰伴吾睡 抱月性天空
内容は大体イメージできる。こんなとこでキャンプとかしたらどんな気分だろうなぁ~。
烏龍潭付近の岩肌には仏らしき絵も描かれていた(後で調べたら万暦年間のものらしい)。霊場みたいな所だったのか?……って思ったら松谷ロープウェイ駅の名前の由来でもある「松谷庵」というのはそもそもお寺だった。
翡翠の沢を歩く
遊歩道に戻り、5分くらい歩くと目的地の翡翠池に到着した。
「古油潭 翡翠池」という銘をはじめ周囲には文字デコが目立つけど、「佛」とか「南無阿弥陀仏」とか仏教系ワードが多いのと、烏龍亭付近のように詩がないことから名勝というより聖地のような印象だった。それこそ「碧龍の住み家」とかね。
龍はどうだかわからないけど、本で読んだところによると、ここにはオオサンショウウオが生息しているらしい。
「翡翠池」が注目された理由は、水の美しさだけでなく地形の特殊さもあるように思う。翡翠色の淵ならあちこちにあるけど、他のところはあくまで自然そのままの風景、でもここだけ、大きな岩盤を掘って作ったような、人工的に整備したような形に見える。
だから「池」というのは見立てなんじゃないだろうか。中日辞典で「池」を引くと、養魚池とか濠とか浴槽とか色々と人工物が出てくるし、「潭」とは区別されているように思える。
そして「人工みたいに見える自然」というのは中国人の大好物(※)。翡翠池が特に愛される理由もなんとなくわかる。でもだからかな、私はむしろ翡翠池の先にある渓流の方が気に入っている。
※)ちなみに中国人は「自然のように見える人工」も大好きで、中国庭園はまさにこの理念に基づいて作られる。彼らは多分「人の手で作る」ということにこだわりを持っているように思え、金魚や纏足とかも、煎じ詰めればそういう心性に発していると考えている。 |
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黄山古道沿いの沢は階段状になっていて、小さな滝⇒池⇒滝…というパターンが繰り返されている。遊歩道も水の流れと並走する形で、ずっと下り階段だ。
川べりに降りられる階段もあって、一番気に入ったのはここ。
水面の間近まで降りて行けるし、座るのにちょうどいい岩もあり、のんびり休憩するのにうってつけ。しかも人通りがあまりないので完全に独り占め。涼しい水音を聞きながら、しばらくここで休憩していた。
……と、ここまでは凄く優雅に見えるんだけど、春先は虫が多くて鬱陶しいのが難点。でもすごく素敵な所なのでおススメです。
看板があったので次の池まで行こうかなぁと思ったけど、川と道の距離が離れてきたので、適当なところで切り上げることにした。
引き返す途上、やっと何組かの人とすれ違った。同じ黄山なのに、本当に静かなところだった。こんな綺麗なのに全然人がいなくて勿体ないような、今のままでいて欲しいような。
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12時ころには引き返し、ロープウェイの駅に戻る。広場のお店で水を買って、犬に追いかけられながら(階段を上ってるときから目が合って嫌な予感がしていた)チケット売り場へ。
乗り場のゲートで「門票(チケット)は?」と聞かれたので事情を説明、昨日買った入場券を係のお兄さんに渡す。チケットのQRコードを読み取ってもらうと、なんと入った時の写真が改札の画面に表示された。ほへー、こういう仕組みになっていたのか。
結局そのまま通してくれて、ロープウェイを待つことに。今回はツアー客じゃないけど乗客が多く、ゴンドラが満員になるほどだった。
再び山上へ
再び山上にもどった。ここからは黄山の名所である飛来石と光明頂を目指して歩く。飛来石というのは、例の大自然の気まぐれ系の、そこだけ石が飛んできたみたいに見える奇石。
飛来石への道はひたすら上り階段。なにぶん体力がないので、休憩を入れながら、ちまちまちまちま登っていく。この辺はもう登るのに必死だし人も多いので、写真を撮る頻度も減るし記録も減る。ただ求道者のごとく、黙々と足を運ぶ。
登り道の途中では、上ってきた道を一望のもとに見下ろせた。途中に通った四阿、北海賓館(右奥のオレンジ屋根)やダムなどが見える。よくもあんなところから歩いてきたもんだ。
40分くらいでようやく飛来石についた。石の周りは展望台になっているが、階段も急だし人ひとり通れるくらいの幅しかない。上った先も狭い通路しかないので気を付けないと危ない。石の(階段から見て)左側は手すりがあるけど、右側はむき出しで何もなかったし!
飛来石からの眺め。この辺の山肌はパキパキした質感で、雲母みたいに簡単にはがれそうに見えて面白い。
飛来石から光明頂まで、さらに40分ほど登る。左奥に見えるのが太平ロープウェイ駅。
やがて左上にゴルフボールを載せたような気象台の建物が見え、ようやく頂上に着いた。登りきる前から声が聞こえてたので覚悟はしていたけどものすごい人と話し声。
黄山にはいくつか入口と散策ルートがあるけど、光明頂はその散策ルートの合流地点に当たる場所なので自然と立ち寄る人が多いのだ。
黄帝の伝説と関連する煉丹峰などを見て、とりあえず早々に立ち去る。北海~飛来石~光明頂を結ぶとちょうど三角形になり、帰りはそこまで時間がかからないのだ。
そして下り道でもツアー客とかち合ってしまい、中国ではおなじみ、ガイドさんのスピーカー声がキンキン響いてちょっとしんどい。挑夫さんもさっさと行け!という感じで邪魔そうにあしらっていた。
幸い御一行様は途中の見どころで止まったので、その間に一気に降りてしまう。ここから30分は延々と下り坂で、ある意味のぼりよりきつかった。
景色もろくに見ず写真も撮らず、黙々と階段を下りた。ここまで来ると人もだいぶ減って静かになる。なんでせっかく黄山まで来てこんな気分になっているのか、観光地の宿命だとはいえ。
ずっと山上にいたらずっとこんな気分だったろうから、黄山古道まで行ってよかったと思う。
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ホテルに戻って休憩することにしたが、今日はツアー客もホテルに泊まるので、宿内も人が多く騒がしい。ホテル前の広場にテントを張って野宿する集団までいる。明日はまたすごいことになるんだろうな……。
17:00過ぎ、そろそろ日没の時間なので帰路の時間を測るため最後のお散歩に出かける。最初、ホテルに来る時に通った道を逆走する形だ。北海賓館~ロープウェイ駅のルートには展望スポットがいくつかあり、行きはスルーしたが今回は上ってみた。
その一つが接引松付近の始信峰。上からは北海賓館が綺麗に見える。ホテルの広告でよく見る写真はここから撮っているのかも。
今日は雲が多かったので、昨日に続いて夕焼けは見えず。暗くなりすぎるといけないので、18時ちょっと過ぎたあたりで引き返した。
今日も夕食はレストランで。持参のインスタント食品は余ってるけど、なんだかんだここの料理は美味しくて。今日は安徽の名物という葱油餅(あちこちで食べたことあるが本場は安徽なのか?)、豆腐干とニラの炒め物を食べた。肉料理が高いので毎日精進料理。でもおいしい。
レストランに入った時に何か聞かれて、「拿」と言っていた気がしたから持ち帰りもできたみたい(昨日も箱に詰めてた人を見かけた)。
今日は早朝から歩き詰めで、とにかく足を酷使した。ふくらはぎがパンパンだし腰も痛い。それに、歩くのも写真を撮るのも疲れてきてしまったので明日はめいっぱい観光という気分ではない。ましてや日曜日なんだし。
それでも飛行機の時間が遅いので、どのみち時間はつぶさなければ。明日の体調と相談して決めようと思う。