11/22 8章タイトル関連追記(見出し:眺めることしかできない(キーワード))
11/15 牙狩事務所ストーリーを踏まえて追記(見出し:希望と「私を手放すこと」、「賈家」≠ホンルの「家族」?)
原作ファンおよび中華オタクの立場から、紅楼夢・賈宝玉の解説、人格・E.G.O.考察まで、どこまでもやろうと思います。原作・ストーリー読み返して順次追記予定。(※7章ネタバレを含むのでご注意ください)
- 『紅楼夢』という作品について
- 簡単に賈宝玉
- 賈宝玉の来歴
- 名前について
- キーワード
- 左目と通霊宝玉
- 希望と「私を手放す」こと
- 『荘子』とホンル(価値観の不在、万物の一体化、渾沌)
- 『紅楼夢』と鏡
- 「世を渡る」宝玉と精神の不死
- 賈家について
- 【11/15追記】「賈家」≠ホンルの「家族」?
- 賈家の「殺し合い」が表すもの
- 人格考察
- E.G.O.考察
- 台詞と出典
- 原作関連の小ネタ
底本:曹雪芹著 伊藤漱平訳『紅楼夢』(平凡社ライブラリー)
福永光司・興善宏訳『荘子』ちくま学芸文庫
引用文は全て上記より。
『紅楼夢』という作品について
清の曹雪芹(1715頃~1764)が著した長編小説で「中国四大名著」の一つ(あとはお馴染み『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』)。
名門・賈家の栄華と没落、賈宝玉とヒロイン林黛玉(↓)をはじめとする繊細な心情描写、複雑で血の通った人間模様、現世・仙界が交錯する幻想的な世界観など多くの見所があり、熱烈なファンを生んできた作品でもある。
大家族制の在り方としきたり、冠婚葬祭や年間行事の様子、文人的たしなみ(詩作や命名など)、処世術など中国社会を成り立たせるエッセンスについての描写も多く「中国を理解したいなら紅楼夢を読め」と言われるほど。単なる恋愛小説ではない奥深い作品である。
本作については、「中国の源氏物語」とよく言われるが少々語弊があると思う。
確かに「美しい貴公子」が主人公で数多くの女性が登場するが、賈宝玉は光源氏のように次々女性と関係を持つわけではなく、『紅楼夢』の代表的なヒロインである「金陵十二釵」も必ずしも「恋愛対象」ではない。
12人のうち宝玉とフラグが立っているのは5人くらいで(林黛玉、薛宝釵、史湘雲、妙玉、秦可卿)あとは姉妹や人妻、未亡人も含み、しかも宝玉自身の最愛の人は明確に林黛玉である。
《金陵十二釵》※×印は作中で亡くなるor行方不明、赤字はリンバスで言及あり
×林黛玉 | リン・ダイユ | 宝玉の従妹で、互いに惹かれ合う。病弱で繊細、自分の心に正直。ゆえに嫉妬心や不機嫌もストレートにぶつけてきて、宝玉への愛情表現は素直ではない。物語の途中で病没。 |
薛宝釵 | シュエ・バオチャイ | 賈宝玉の妻となる。豊満な楊貴妃系美人。聡明で落ち着いた良妻賢母型で、儒教的価値観に基づく「理想の女性像」のように描かれる。 |
史湘雲 | シ・シャンユン | 宝玉の祖母の一族。幼くして両親を亡くすが、逆境にめげない元気娘。男装したり鹿の焼肉を食べたり、色々個性が強い。 |
×妙玉 | ミャオユ | 賈家の庭園・大観園の庵で修業する尼僧。密かに宝玉を想う。 |
×賈元春 | ジア・ユアンチュン | 宝玉の実姉。貴妃として宮中にいる。 |
×賈迎春 | ジア・インチュン | 宝玉の従姉。気が弱く優柔不断な性格。 |
賈探春 | ジア・タンチュン | 宝玉の異母妹で賈環の姉。しっかり者で家の経営に活躍。 |
賈惜春 | ジア・シーチュン | 宝玉のはとこ。潔癖な気難し屋、出家の願いを秘める。 |
×王熙鳳 | ワン・シーフォン | 宝玉の従兄・賈璉の妻。家政を取り仕切る辣腕家で苛烈な性格。 |
巧姐 | チャオジエ | 賈璉と王熙鳳の娘。 |
李紈 | リー・ワン | 賈宝玉の兄嫁。夫に先立たれ、息子賈蘭の育成を生きがいにする。 |
×秦可卿 | チン・クーチン | 賈惜春の甥の妻。太虚幻境とも関係の深い、色々謎めいた女性。 |
簡単に賈宝玉
・伝統的な価値観に対して反抗的。科挙の勉強も嫌いで家族を悩ませている(当時は科挙に受かって立身出世するのが「普通の」男子の生き方だから将来を心配されている)。
・「女の子」が好き。欲望としての好きとはちょっと違い、「女の子は水で、男は泥で出来ている」という台詞に象徴されるように崇拝のような感情で、彼女たちとの関わり方も「混ざって一緒に過ごすのが好き」という感じ。そのため、心理的な両性具有説もある(侍女の髪を整えたり、紅を作ったり彼の趣味特技にも「女性的」なものがある)
なお、愛着の対象は未婚の少女に限る。これは彼の嫌う儒教的道徳・秩序から自由な存在、清らかな存在という考えから。
・最愛の人は繊細で病弱な才媛・林黛玉で、前世からの縁がある。宝玉は仙界の神瑛侍者、林黛玉は彼が水を注いで育てた絳珠草が恩返しのために生まれ変わったもの。その他、彼等二人には「道徳・秩序よりも情(感情、愛情)に従う」という共通点もある(さらに中国文学で「情」は「鏡」と結びつく)。
・基本的には優しく包容力があるのもホンルと同様。侍女のように地位の低い者達にも思いやりをもって接する。
賈宝玉の来歴
だいたいこんな感じ。彼自身仙人の生まれ変わりで、さらに仙界の石が生まれかわった「宝玉」と一心同体……というちょっと複雑な状況になっている。
当時の人もそう思ったのか、原作は曹雪芹が書いたオリジナルの80回以降、作者の死によって別人が40回分を補っているが、後者では神瑛侍者と女媧の石(通霊宝玉)は同一の存在と見なされている。
名前について
ホンルが「賈宝玉」であることは間違いないようだが、囚人名は「賈宝玉(ジア・バオユ)」ではなく「鴻璐(ホンル)」となっている。これについて考えたこと。
「バオユ若様」
7章でウェイが「バオユ(宝玉)若様」と言っているので、原作通りの「賈宝玉」の名も持っているようだ。
「ホンル」と名乗っているのはゲーム内では賈家との離別のためか、メタ的には「通霊宝玉(左目)」と融合していて「賈宝玉」とイコールではないからか。(詳しくは後述)
「ホンル(鴻璐)」の意味
囚人名である「ホンル(鴻璐、Hong-lu)」は紅楼夢(Hongloumeng)のもじりとの説が有力だが、字にもちゃんと意味があると考えている。
(1)鴻
『紅楼夢』作中に挿入される詩には2回「鴻蒙」という語が登場する。「鴻蒙」とは天地が分かれずモヤモヤした状態で、鴻は大いなる、という意味合い。 |
1つ目は宝玉が夢で太虚幻境に行った時、警幻仙姑(仙郷の主)が彼をもてなす時に歌われた「紅楼夢曲」の出だし「開辟鴻蒙、誰為情種(そもそもの世の初め 情の種 まきしは誰ぞ)」。 |
2つ目は物語の最後、賈宝玉が出家してこの世を去る時に挿入される詩の一節「我所游兮,鴻蒙太空(わが遊ぶところは、みはるかす太空)」。現在のホンルの状況を思うと、こちらの方が彼と縁深い気がする。 |
さらに、賈宝玉の愛読書『荘子』に出てくる「渾沌」の別名は「帝鴻」。渾沌(帝鴻)も鴻蒙も道理が未分化の状態でホンルの精神状態に近い(後述) |
鴻は「おおとり」で、なんとなく『荘子』に出てくる巨大鳥・鵬のイメージ(自由な精神の象徴でもある)にも近い気がする。 |
(2)璐
玉偏であることは重要だと思う。中国の大家族制では、同世代の人間は名前の部首を共有する。賈宝玉の世代は玉偏で他には賈環(ジア・ファン)、賈珍、賈璉等がいる。ちなみに「宝玉」と言うのは幼名で彼の正式な名前は別にある(同世代と同じく玉編の漢字一文字)ので、紅楼=Honglouと音を合わせつつ玉偏の字を選んだのかもしれない。 |
または、「宝玉(目)」にしたがって辿る旅路…のように彼の境遇を暗示? |
参考:賈宝玉が俗世を去る時に詠まれた詩(誰が口にしたかは明らかにされていない)
わが遊ぶところは みはるかす太空
たそ われと逝くは
われ たれにか従わん
果てもなく 底ひなき かの大荒に帰せん
我所居兮 青埂之峰 我所游兮 鴻蒙太空
誰与我逝兮 吾誰与従 渺渺茫茫兮 帰彼大荒
※)青埂峰は通霊宝玉の正体である石がある場所で、名前は「情根」とかけている。大荒というのも、青埂峰のある大荒山より(荒唐無稽の荒=でたらめ、ということ) |
キーワード
太虚幻境
『紅楼夢』に登場する仙郷。情愛による因果や男女の仲を司る仙女・警幻仙姑(警幻仙子)が治める。ホンルの背景に描かれているのは太虚幻境の入り口にある牌楼(鳥居のようなもの。中華街にあるやつ)で原作にも登場。
なお、警幻仙姑の「警幻」というのは「『情』というまやかしから目を覚まさせる」というような意味があり、幻境にはヒロインたちの運命を記した詩が保管されている=「運命はすでに決まっており、徒花を咲かせるべきではない」というスタンスを取っている。
賈宝玉は2回この仙境を訪れており、1回目、少年の頃に訪れた時は詩を読んでもその意味が分からなかったが、実際その通りに事が運ぶに至って、2回目にはその意味を悟り、ある種のあきらめの境地に達する場面がある。
なので太虚幻境という世界自体が、個人の情や意思と対立する存在、逃れ得ぬ運命の象徴と言えるのだ。
ちなみにホンルのE.G.Oは「虚幻境」だが、こちらは仙界的な「太虚幻境」とはまた別に、ホンル自身の心が作り出した別物だと考えている。(現実逃避と自己救済のための「幻想の世界」。「虚幻境」の考察はのちほど)
運命
『紅楼夢』やホンル周りの描写を見ていると、「運命」というのが一つの大きなキーワードになっていると思う。
原作でも太虚幻境については上で述べたとおりだし、賈宝玉と薛宝釵が対になるアイテムを持って生まれた「金玉の縁」も結局彼等を夫婦として結びつけることになり、黛玉との恋は成就しない。
『紅楼夢』は宿命論的な世界観を持った作品である。(…というより、仏教思想(因果と輪廻転生など)の影響から、中国古典文学全般に言えることだが)
ぽんぽん派ボスの人格ストーリーでは「運命の輪」への言及で不機嫌になる場面があるし、各種台詞、「ソーダ」や「投げ縄」などのE.G.O.を見ていると「他人に運命を決められること・運命に捕らわれること」のイメージが彼と重ねられていると思う。
それに対して足掻いてきたが諦めて(または開き直って)しまっているのが今のホンルだと思うが、8章では彼が「運命」と対決するのだろう。
J社の「運命の輪」のうわさ、については後述。
「眺めることしかできない」
11月22日に8章タイトル「眺めることしかできない」が公開された。印象としては、
①世を見聞するために人間界に下った通霊宝玉のイメージ
②原作紅楼夢ラストで俗世を離れ、世間と一線を画する存在になった賈宝玉の境遇
などを思い起こさせる。
英語タイトルには「surrendered witnessing」とあり、より絞り込まれた表現になっていると思う。なのでこのタイトルに込められた意味は、通霊宝玉の傍観者的立場というよりは、ホンルが運命に押しつぶされて抵抗を諦め、成り行き任せのスタンスを取るようになったことを指しているように思える。(詳しくは「荘子とホンル」の項目参照)。
後々詳しく書くが、ホンルは通霊宝玉(左目)の宿主として次元を渡り色んな世界や生き方を経験してきたのではないかという推測もしているので、そういう意味で「(主体的にではなく)目の意思に従って、世界を眺めることしかできない」という意味もあるのかなと思う。
とりあえず、今のところ考えたことは以上。
左目と通霊宝玉
ホンルの囚人シンボルでもあり、何度か言及される「翡翠色の目」について。
由来は原作で賈宝玉が口に含んで生まれ、名前の由来でもある通霊宝玉と思われる(※)。原作では首飾りとして身に着けている。
現状、おそらくホンルの中にはホンル本人(賈宝玉)と「目」の意思(通霊宝玉)とが混在していると思われる。
この両者について、原作を踏まえて書いていく。
通霊宝玉について
この「通霊宝玉」はもともと仙界の石。神々の争いで崩壊した天地を補修するため、女神・女媧が使った石の余り。
石は「人間世界の様子を見てみたい」と願い、道士・僧侶(後述)の助けを借りて「玉」に変身、賈宝玉の口に収まって人間世界に生れ落ちる。『紅楼夢』はこの通霊宝玉が見聞きした出来事を、自ら(石)の身体に刻んだもの…という設定になっている。
このように通霊宝玉は「仙界の石」という超自然的な存在。リンバスでも「光を発する」こと、「色を奪うT社の装置が作動していても緑色に光る」こと等から、何らかの高次な存在であるように思う。
ホンルというキャラクターの「好奇心旺盛」という部分は「賈宝玉」より「通霊宝玉」に由来しているのだろう(※)。
※)原作ちゃんと読んだら宝玉の正体である仙界の「神瑛侍者」が下界に下った理由も「人間やってみたい」だった。ただ、紅楼夢後編(途中で曹雪芹が亡くなり別人が補った)ではこの「神瑛侍者」と「通霊宝玉(石)」が同一視されているし、「人間賈宝玉」ではなく仙界側の意思、ということは間違いない。 |
賈宝玉と通霊宝玉
この「通霊宝玉」は賈宝玉という人物を象徴する存在だが、賈宝玉自身は自分だけがこの玉をもって生まれたことを気にしており、賈家に引っ越してきた林黛玉に「君も玉を持っているか」と問い、持っていないと言われてかんしゃくを起こすシーンがある。
このシーンで彼は「他に誰も持っていないのに、なぜ自分だけ。どうせ碌な代物じゃない」と発言しており、「宝玉」を持って生まれたことについては特別感というよりコンプレックスを抱いているようだ。
リウ協会人格のストーリーを見ると、ホンルも左目の話にナイーブで、同様の感情を抱えている模様。原作では「人間世界を見たい」という石の願望に利用されているとも言えるので、ホンルも似たような状況にあり、それゆえに目を嫌っているんだろう。
一方原作で、この通霊宝玉は「賈宝玉を賈宝玉たらしめる重要な物」としても描かれている(※)。玉をなくして正気を失ってしまう場面もあり、気に食わないけど手放せない厄介な存在なのである。
※)通霊宝玉の表面に「失くすな 忘るな」と書いてあり、祖母の史太君いわく『命の綱同然のもの』。家族や使用人たちは、宝玉に玉を無くさせないよう気を配っている⇐※この点、後でもう一度触れます。 |
「宝玉」の好奇心
ホンルについては初期紹介文に「好奇心が強い」とあり、人格も「新しいものを経験したい」というようなセリフをよく言っている。ただし、これまで書いてきた通り、原作でそういう動機を持って動いているのは「賈宝玉」というより「通霊宝玉」である。
なのでホンルの「好奇心」は本来通霊宝玉=左目のもので、さらに後述の『荘子』も踏まえると、「宝玉」と「自己」の同一化が起こっているのか?
もしかしたら、目が光る時はこの宝玉の意思が強く出ている時なのかもしれない。(だからホンル自身はリウ協会人格ストーリーにあるように光ることを嫌っているし、いつ光るか分からないことに不満を持っている)
ちなみにホンルは「見聞を広める」ことについて「お婆さん」ほか「老人方の頼みに従っている」とも言っている。7章の新情報と合わせて、もしかしたら「賈家の利益のため左目を利用されているのではないか」とも考えた。これについては、「世を渡る宝玉と精神の不死」の項で後述。
【目が光っている時】(収集中)
リウ協会人格同期後 | K社人格同期後 |
ユロージヴィ人格同期後 | 牙狩事務所同期前 |
全体的に、攻撃的なタイミング(誰かと戦っている時)な気がする。目の光=人を傷つけることと関係しているなら、ホンルが嫌うのも分かる
「金玉の縁」の束縛
さて、賈宝玉は作品の中で2度通霊宝玉を壊そうとしたことがある。1つは、前述した「林黛玉が玉を持っていないと知った時」(第3回)。もう一つは、「薛宝釵との関係について黛玉にあてこすられた時」(第29回)。
その原因は、「薛宝釵が『通霊宝玉』と対になる金の首飾りを生まれつき持っている」こと。通霊宝玉には文字が書いてあるが、これも宝釵の首飾りと対句になっている。
そのため周囲にも「二人は結ばれる運命」ともてはやされ(金玉の縁と呼ばれる)、宝玉が愛しているのは黛玉であるが、実際その通りになってしまう(※)。
※)これは祖母はじめ周囲がセッティングした結果。宝釵は優等生・良妻賢母タイプなので、宝玉を「正しく生きさせる」ための縁組でもある。黛玉は病気で弱っていた所に、このことを聞いて心労がたたり亡くなってしまう。 |
繊細で素直じゃない黛玉はことあるごとに「貴方にはもっと似合いの人がいるでしょう」とあてつけるようなことを言うが、(宝釵の件とは別の)縁談を持ち込まれて不機嫌だった宝玉の地雷を踏み、大騒ぎになったことがある。それが「玉を壊そうとした場面その2」。
宝玉からすれば玉を壊す=「どんな定めがあろうと自分が思っているのは黛玉」という意思表明になるのだが……
というわけで、そういう意味でも賈宝玉の人生に通霊宝玉は邪魔な存在だったりする。
ゲーム内での描写・言及
(1)リウ協会人格ストーリー
・光を発する
・光るタイミングはホンルの意思とは無関係
・ホンルはあまりこの目を好いておらず、話題が及ぶと嫌そうにしている
(2)7章
・ドンキホーテの目が「星のように輝いている」ことをうらやむ
今は左目の意思が眠っている状態?
希望と「私を手放す」こと
ホンルの過去についての推測。
ヘルズチキンでのファウストとの会話に、「希望が崩れて『私』を手放した」とある。「希望の崩壊」とは、最初は原作を踏まえて「林黛玉の死」だと思っていたけど、8章のテーマは(家族も含めた)「運命」になるんじゃないかって色々あって考え直した。
黛玉的存在についてはこれまでほのめかされたことがないし、メタ的に見ても、死んだ思い人を追いかける⇒もう6章でやったじゃんってなるし。
原作賈宝玉の特性である「女好き」の描写がおそらくないのも、たぶん恋愛関係バッサリ切って紅楼の夢=賈家の人間模様と栄枯盛衰にフォーカスするためかな…と思っている。
ただ、7章読むまでは「8章のテーマは家族」になると思っていたけど(9章地獄変への橋渡しも兼ねて)、むしろ7章がそうだったのでもっと大きなテーマになるんだろうなと考え直した。
なので、ここでいう「希望」とは、「自分が望む人生を送ること」じゃないかというのが今の結論。
原作でも、賈宝玉という人物は「常識」に馴染めない異端の人物として描かれている。ホンル(バオユ)も原作の賈宝玉同様、家やしきたりという牢獄の中で人生の道が閉ざされてしまっているのだろう。
さらに、彼が「自分が望む人生を送る」ことが出来ないのは家のためだけではなく生まれ持った「通霊宝玉」のせいでもあると思うので、各方面から自我を抑圧される苦しみから解放されるには、「私を手放す(諦める、抗わない)」しかなかった……ということなのかも。(私を手放す、の詳しい内容については次の項目で書きます)
…というか、原作の賈宝玉が迎えた結末がまさにこんな感じなんだよな。望むように生きられなかった結果、出家して世間自体に背を向けるしかなかった、という。なので、今のホンルはやはり原作『紅楼夢』の結末を一度迎えた状態なんだろう。
【11/14追記】
牙狩事務所のストーリーを読んだ。狩られる血鬼にわざわざ「自由に生きたかっただけなのに」と言わせていること、「生まれついた運命だからしょうがない、個人の事情は関係ない」という返し、その間にある「言っても意味がない」という諦め、ここからもホンルの境遇が見えてくるな…。
ストーリーを見るとターゲットの血鬼に対して相当残酷に振る舞っているように思えるけど、「血鬼だから」という本人にとってどうしようもない理由で相手を痛めつけることは、「運命」への八つ当たり、もしくは変えられぬ運命に従って生きる自分の正当化なのかもしれない。いずれにせよ自傷のような痛々しさを感じる気がした。
『荘子』とホンル(価値観の不在、万物の一体化、渾沌)
ホンルのメンタリティやモチーフと賈宝玉の愛読書である『荘子』の関連性について。7章を読むと、やはりホンルの造型には『荘子』が深くかかわっていそう。
「私」の欠落
ストーリーを読んでいると、ホンルは究極のマイペース・強メンタルで適応力も高く、安定した性格に見える。逆に他の囚人のように感情を露わに拒絶や怒りを示すことはないため、どこか人間味がなく見えるのも確かだ。
これまでの描写を見て感じたのは、彼は「無」なのではないか、ということ。執着をしない、抵抗をしない、自分の価値観を持たない、そういう意味での無。なんでも容れられるけど、何も持っていない。
例えばヒースクリフやドンキホーテは問題児だけど、それは「自分の中にはっきりした価値観があるから」そうなる。ホンルには多分それがなくて、だから懐が深いしいつでも悠々として見える。
何にでも肯定的、好奇心を持つのは一見能動的なようだけど、何でも受け入れてしまう受動的な在り方とも言える。この辺りが彼の抱える「課題」なんだろう。
【整理】:博愛・楽観・適応力 ⇔ 価値観の欠如、自己の不在
虚幻境
上で述べたような在り方が、いいことか悪いことかは一概には言えず、一つの価値観と言えるだろう。(現に、ドンキホーテの正体が明らかになった場面でも彼だけは態度を変えず、ダンテもそこに希望を見出している)
ただしホンルに関していえば、これは多分生まれつきの性格ではなく、ファウストの言葉を借りれば「私」を手放した結果ではないかと思う。そうして希望を失った世界で生き伸びてきたんだろう。
E.G.O「虚幻境」の発動台詞「幻想の世界に入りましょうか」、憂鬱資源が5つも要求される、精神力回復効果、等々もこれを示唆しているようにも思える。
実際にホンルの台詞からは、諦念や思考の放棄をちらほら感じる。(「○○に言われてやっている」、「疑問を持たないのが肝心(リウ協会)」、「ダメだったらしょうがない(LCB囚人)」)
とはいえ、「あぁ…結局…僕はこうやって沈黙してしまうんですか…」(ユロージヴィ人格の死亡台詞)という台詞を見るに、やはり本当にそうしたくてしているわけではない気がする。
『荘子』の思想
こうしたホンルの精神状態について、原典を踏まえて考えてみると、賈宝玉は道家の思想を好み『荘子』を愛読している。そして、
・価値観の放棄
・対立の否定(同一化)
・何にもとらわれない自由な精神
こういったものこそが荘子の理想とする精神の在り方。今のホンルはそれに近い境地にいると思う。
荘子はいわゆる「諸子百家」の道家の思想家で、当時(『紅楼夢』の時代)の社会的スタンダードとされてきた儒学とは異なる世界観・価値観を持つ。
とてもざっくり言うと、儒家は「社会のための生き方を育む思想(人為的)」であり、道家は「自分のための生き方を育む思想(人為を否定)」と言える。
とはいえ、道家が理想とする価値観もまた、なかなか極端なものであったりする。道家の思想を特徴づける言葉は、よく知られる「無為自然(自然の成り行きに任せる)」だが、特に荘子は徹底的な相対主義と自己・世界の同一化を理想とし、そういう境地に至った者を理想の人間(聖人、至人)と考える。
こういう彼の考え方を象徴する文章が『荘子』の中にあるが、これがちょうどホンルの精神状態によく似ている。
是非にとらわれて他を非難するのは、にこやかにすべてを受け入れるのには及ばず、にこやかにすべてを受け入れるのは、推移のままに身をゆだねるのに及ばない。
というわけで、これに従うと「何事も受け流すことができるが、自己を持たない」人間が生まれる。ちょうどホンルのように。
まともな人間には相当キツイK社摘出職員やW社整理要員人格で笑顔で仕事をこなせるのもこういう精神状態だからだろう。
(あの1章直後ですらニッコニコである)
賈宝玉の愛読書という設定からも分かるように、『紅楼夢』も荘子の影響を受けており、ホンルのイラストの背後にある太虚幻境の牌楼にも、原作では
「仮(うそ)の真となる時、真もまた仮」
「無の有となる処、有もまた無」
と、「対立する価値観を等しくする」荘子の思想を思わせるような文章が書いてある。
ちなみに、太虚幻境の入り口には「仮」と「真」についての言及があるが、原作では賈家の「賈」は「仮」を暗示している(中国語でも音が同じJIA)。
作中には賈家の鏡写しのような「甄(真)家」が登場し、「まともに(時代の慣習通りに)生きた賈宝玉」とも言うべき「甄宝玉」というキャラクターも存在する。これについては別項目で書きたい(※作成中)。
渾沌と時間、鴻璐
「価値観がない状態」というのは、『荘子』に出てくる、のっぺらぼうの神「渾沌」のイメージにも重なる。渾沌というのは全てが未分化で、善悪、是非、正邪、陰陽などの区別が存在しない状態を指す。
渾沌は友人の神「儵(しゅく)」と「忽」に七つの穴(目鼻口耳)を開けられ死んでしまうが、この話は人為を否定し、あるがままの摂理に従って生きることを説いたもの。
そうなると、ホンルの名前の「鴻」というのは、渾沌の別名「帝鴻」からという可能性もあるかもしれない。さらに原作で何度か用いられる「鴻蒙」という言葉も渾沌と同義である。(前述)
そう考えると、ホンルに「鴻」の字があてられていることにはやはり意味があると思う。
もしホンルが渾沌を意識して造型されているとしたら、渾沌のエピソードに登場する「儵」と「忽」が短い時間・スピードの速い常識的世界・人間の儚さを象徴しているので、ホンルがイベント「時間殺人時間」に抜擢された背景にはこれが関係しているかもしれない。
ホンルの渾沌的状態=自己・感情の不在とすると、ヒューバートの台詞にあった「感情が変わるから時間が流れていく」というのも、これを踏まえているように思える。
胡蝶の夢
7章下編に荘子の有名な寓話「胡蝶の夢」の引用があった。「ホンルって荘子っぽい」とは思わせつつ、原典とのリンクを明言した文章は(たぶん)なかったので、一つの転機を感じた場面。
「胡蝶の夢」は荘子が夢に蝶となって遊び、自分が夢で蝶になっているのか蝶が自分という夢を見てるのか、区別がつかなくなった…という認識論的な寓話。
やがてふと目が覚めれば、まぎれもない荘周である。はて、これは荘周が夢でチョウになっていたのか。それともチョウが夢で荘周になっていたのか。
荘周とチョウには、きっと区別があるはずだ。これこそ「物化(万物の変化)」というものなのだ。
『荘子』斉物論篇第二(福永光司・興善宏訳『荘子』ちくま学芸文庫より)
この話は「自分(主体)」と「物(客体)」の境界線を取り払うことについて述べている。
「胡蝶の夢」が収められた「斉物論篇」の斉物とは「物を斉(ひと)しくする=万物を一つにする」という意味。だから7章を例に取れば、彼にとって「血鬼サンチョ」も「囚人ドンキホーテ」も同一で等価ということになる。
とにかく、荘子の思想は「自分が絶対ではない」という認識の上に立ち、それを手放すことを説いている。とかく(西欧型)現代社会のように「自分の意思で」としきりに叫ばれる時代において、そのアンチテーゼのような思想と言えるだろう。
私見だが、自分で決めること、選ぶことは確かに「立派」である一方、その結果の責任も全て自分が負わねばならず逆境時には「自己責任」が重くのしかかる。
荘子の「自己放棄」は単なる怠惰ではなく、自分の価値観に重きを置く=周囲にもそれを期待するのが擦れ違いやトラブルのもとになる、だからその前提を手放し俯瞰的に世界を見る……という一種の処世術である。
それを持っているのがホンルならではの強さでありいい所だと思うので、本来の彼と荘子的な彼のいいとこどりに着地して欲しいところ。
4章読み返してたら、ここでも蝶への言及・彼の境遇の暗示があったんだな。
ホンルの台詞に見る道家・荘子の思想
無為自然
「心が乱れた時は簡単です。できないことはしょうがないよね、って考えれば何も難しいことはありませんよ。」(囚人) |
「やってはみます~。ダメならどうしようもないですけどね~。」(囚人) |
「そういうこともあるんじゃ無いですか?元気出しましょうよ~。」(囚人) |
斉物
「みんなどうしてそんな自分のものに執着するのか分かりませんね。ひろ~い心を持てばいいのに。」(黒雲会) |
「月の光すら雲に隠れる暗い夜になると…見てください、すっかり影と一つになってますよね?」(黒雲会) |
「夜間列車も結構あるので、働いてると今が夜だかも分からなくなるときがあるんですよね?プラットフォームはいつも明るいですから。」(W社) |
「兄さんと姉さんが初めて僕を殺そうとしたとき、どうして僕が何も抵抗しなかったのか…(中略)その気持ちが理解できる気がしたから、だったような気がします。」(時間殺人時間) |
『紅楼夢』と鏡
リンバスの世界観にとって重要かつ、各作品をつなぐキーワード「鏡」は『紅楼夢』にも登場する。
そして意外かもしれないが、中国文学では特に13世紀頃(元朝)から「鏡の世界」がちらほら登場するようになる。これについて書いておきたい。
風月宝鑑
『紅楼夢』には「風月宝鑑」という鏡が登場し、これが作品自体の別名でもあったことが伝えられている。(風月宝鑑とは「色恋の鏡」という意味)
作中で登場する「風月宝鑑」は太虚幻境の警幻仙姑が作った魔法の道具で、一族の青年・賈瑞が王熙鳳(賈宝玉の従兄の妻)に恋い焦がれ、相手にされず玩ばれてもなお思いを捨てられず、恋煩いのあまり衰弱していく…という場面で登場する。
彼を訪れた道士は「その鏡を見れば病が治る。ただし必ず裏を見ること」と賈瑞に告げる。賈瑞が鏡をのぞき込むと、そこには骸骨が映し出される。恐ろしくなって表を覗いてみると、そこには恋しい王熙鳳の姿が。
彼は鏡の中に入って熙鳳と交わり、何度も出入りするうちに精(中国では命の元と考えられてきた)をつき果たして死んでしまう。
鏡の世界と中国文学
鏡の中に入る、というのは中国文学では意外と珍しくない設定だったりする。例えば、『西遊記』の続編(二次創作)である『西遊補』も孫悟空が鏡の中に入り込んで冒険する話である。
さらに中国特有の感覚として、鏡の世界には「情」が関係する、というものがあり、孫悟空が迷い込んだ「鏡の世界」も青魚の精が作り出した幻の世界、というオチになっている(※)。
※)「青魚qingyu」と「情欲qingyu」は音が同じなので、本当の意味は「悟空の心が作り出した」ということになる |
孫悟空は例外だけど、「鏡の世界」が出てくる場合、「情」が関わることから鏡で隔てられているのは男女であることが多い。そして鏡で成立した関係は不完全なものと考えられる傾向にあり、『紅楼夢』の風月宝鑑も同様の考え方に立っているんだろう。
ちなみに『西遊補』の刊本には、清代の蔵書家として知られる銭培名が「もろもろの幻境は、みな心によって造られたものだ」とコメントを寄せているそうだ。(参考文献:武田雅哉『西遊記 妖怪たちのカーニヴァル』慶應義塾大学出版会 2019)
個人的には、この言葉がまさに「虚幻境」に当てはまるんじゃないかと思っている(E.G.O.の方)。ホンルの自我心道=虚幻境で、荘子的な「表」のホンルとは違う本当の彼の意識がそこに眠っている……みたいな感じになるんだろうか?
『紅楼夢』という作品では「情」がキーワードになっているし、賈宝玉も「多情の公子」=「情の深い人物」として描かれる。「情が幻境を作り出す」という中国文学的な慣習が、ストーリーや設定にも影響を与えているかもしれない。
「世を渡る」宝玉と精神の不死
『紅楼夢』に鏡が出てくることに気づいてから思い付いた仮説。ホンルの達観したスタンスやなんでもそつなくこなすことについて、荘子的な状態というほか「世界を渡り、すでに長い時間を生きている可能性」というのを考えてみた。
仮説の根拠
(1)賈環関連描写の食い違い
現在ゲームに出てくる賈環(ガファン/ジア・ファン)は「兄」だが、ホンルが語る「弟」の描写が原作の賈環と重なる(詳しくは後述)。
なお原作の賈環は異母弟なので、「賈環が弟だった世界(それが大元の世界?)」と今いる場所は別の時系列、世界線なのではないかと考えた。
(2)窺える無常観
ホンルの台詞には全体的に無常を感じる。由来には『荘子』的な無為自然もあるだろうけど、例えばこの台詞も、いかに過酷な生い立ちとはいえ、「世界」という俯瞰的な物言いも含め10~20代の若者からそのまま出てきた台詞ではないように思える。
時間殺人時間のこれも、演技だけじゃないように感じた。「長い時間の経過」によって彼が望むことがあったんじゃないか。時間(生)に疲れているような印象も受ける。
(3)E.G.O.「次元裂き」
E.G.O発動台詞に「次の世界へ飛び越えていく」とあるし、そもそも彼にこれが割り当てられていること自体意味深。
(4)原作における通霊宝玉の「転生」
上でも書いたように、ホンルの左目のモチーフである「通霊宝玉」は仙界の石が玉に姿を変え、人間世界に生まれ出たもの。
なので、原作を踏まえるとホンルの「翡翠の左目」は次元を渡ることと関係している可能性がある。
世を渡る者達(賈宝玉、道士、僧侶、通霊宝玉)
原作に照らすと、『紅楼夢』は仙界と人間世界の二つの世界が登場し、それを行き来する存在も登場する。通霊宝玉のほかには「僧侶(茫茫大士)」・「道士(渺渺真人)」という2人組が登場する。
彼等は仙界の住人で、石の頼みを聞いて「宝玉」として生まれ変わらせたほか、人間に姿を変えて俗界に降り、たびたび人間たちを導いている(女性は僧侶、男性は道士が担当)。先程書いた「風月宝鑑」も、道士が賈瑞を絶望的な恋煩いから救うために持ってきたもの。
そして、最終的には賈宝玉も賈家を出て道士や僧侶の仲間に加わる。『紅楼夢』の最終章では宝玉が父・賈政と最後のあいさつを交わし、彼等二人と去っていく。
最近だと第5章、第7章が「原作の結末の後」の話になっているので、今のホンルもこの「次元を行き来できる仙人的・境界的な存在になった」状態にあると言えるのかもしれない。
ただ「通霊宝玉に従って世を渡る」のと「賈宝玉として世を渡る」ことは別物で、今は前者のように感じるので、ちょっと意味合いが違う気はするけど。
「見聞を広めてこい」という指示
今のところでは、通霊宝玉は原作同様「太虚幻境」で生み出され、その力によってホンルは各次元に移動できる(囚人イラストの背後に門があるので、太虚幻境経由で移動する?)…というようにイメージしている。
ホンルが通霊宝玉にどこまで付き合わされているのかは現時点では謎。E.G.O.「次元裂き」の浸食台詞に「そこにいるのは僕でなくてもいい」とあるので、「宝玉」がこの世に生まれ落ちる依り代として、どの世界でも利用されている…という風にも読めるけど。(全ての世界の「ジア・バオユ」が宝玉の宿主)
ただ、「『次』に行くと自分で無くなる」というホンル自身の感覚(「次元裂き」から推測)とは裏腹に、彼の無常観やなんでも出来ることを考えると、その経験と記憶は蓄積されている気がする。そうなると、賈家の長老たちが望んでいる「精神の不死」に近い所にいるのだが彼等はそれを知っているんだろうか?
むしろホンルはその体質を利用されている状態で、「あちこち回って見聞してこい」という指示も「不死」の実現のためなのか?
言われてみると確かに、賈宝玉の祖母はじめ家族は原作で彼が「宝玉」を無くさないように気を配っているし、原作終盤、宝玉の失踪後には妹の探春が「兄が玉を持って生まれたことは、皆おめでたいことだと思っていた(が、本人にとってはそうではなかった)」と言っている。
「運命の輪」の噂
ぽんぽん派ボス人格ストーリーによると「J社には”運命の輪の噂”がある」。そしてホンルはそれを聞いて不快感を示している。
ホンルの次元渡りは魔王ヒースのようにただ鏡の向こうに行くのではなく、運命の輪=輪廻?による「転生」なのだろうか。賈家の求める精神の不死も、自我を保ったまま転生を繰り返すことで事実上達成できる。
以下は推測だけど、その自我を保てるのが通霊宝玉(左目)の力で、賈家にとってはホンル(バオユ)の存在が目的達成のカギなのか。(ちなみに賈宝玉は原作で一度死に、蘇生したこともある【原作115~117回】)
さらに原作では祖母が宝玉を溺愛しているが、これを置き換えると「願いを叶えてくれるかもしれないから溺愛」?「お婆さんに言われて社会勉強している」というのも、そういう利害があるとも考えられる。
となると、シーチュンが探している川は、レーテーの川とは逆に「記憶を保つ」ムネーモシュネーの川?
J社=賈家=「ジア家」と関係?運命の輪=転生技術を賈家が研究している?(これまでは「ガ」ファンの存在があったから仮説としては弱かったけど、修正されたのでまだ可能性があるかもと思った)中華風だし、気になってたんだよね。
J社の特異点は「閉じ込める」ことで、ホンルや賈家周辺の雰囲気とちょっとイメージ的にも重なる気がする。
まとめ
この辺の仮説を画像にしてまとめたものです。この頃は「通霊宝玉・賈宝玉の同居状態」「賈家が求める不死」について考えてなかったので今の時点から見るとちょっと不完全。
賈家について
賈家(ジア家)について、いま何となくわかっているのは
・後頭部にナイフを突き立てるのが当然の関係(硝子窓・囚人人格)
・特殊な訓練(武術の修練)を受ける(5章ほか)
・自分が急に謎の死を遂げたら、その犯人は家族の誰か(6.5-1章)
・13歳まで生き残れたら外郭でも生きていける=大抵死ぬ(7章)
・成員がそれぞれ「勢力」を作ってしのぎを削っている?(7章)
・不老不死の研究をしている(7章、牙狩事務所人格)
7章によれば、長老たちが「不老不死」(精神の不死)を求めているようなので家族の異常に殺伐とした現状もその目的を果たすためか。一族同士の争いは後継者争い?
兄:ジア・ファン(賈環)
N社勢力に加わっているジア・ファン(※)。「兄」となっているが原作の賈環は妾腹の弟。ゲームでは何やら確執があるようだが、原作でも賈環母子は立場上宝玉と折り合いが悪く、性格も姑息な小人物として描かれている。
原作では、賈環母子との間には以下のような出来事が起こっている。
・賈環⇒宝玉
燭台を倒して宝玉を火傷させる(この時宝玉がけがをしたのは目)
侍女が自殺した際、宝玉がちょっかいを出したせいだと父親の賈政に嘘を吹き込む
・趙氏(賈環母)⇒宝玉
呪術師に頼んで宝玉を呪い殺そうとする
※)以前は「ガファン」表記だったが、シーチュンの登場によって賈=「ジア」と表記が統一され「ジア・ファン」になったようだ。以下、基本的にファンと表記する。 |
弟:賈環?
ストーリーでホンルが何度か言及している。原作での弟は賈環。リンバスのファンは兄という設定なのでホンルの台詞には当てはまらないようだが……
気になるのは、上の台詞にある「遊びで反則」=原作で賈環がやってたこと(※)。時間殺人時間の塩とか何気ない台詞も典拠があることを考えると、意味があると思うんだよなぁ。
たとえば、賈環はもともと弟だったけど、何らかの理由で「兄」になったのか(ホンルが家を出されたことで後継者に繰り上がったとか【この場合兄と弟、というのは序列の表現】)
もしくは先の推測に基づき、ホンルは「ファンが弟だった世界」を知っている?
※)原作第20回、賈環が薛宝釵たちと遊んでいた時のこと。自分の出目が悪くて負けそうになった時に、骰子(さいころ)を握り隠して目をごまかそうとした場面がある。 |
妹:ジア・シーチュン(賈惜春)
シーチュンの原型は賈惜春。賈宝玉にとっては「はとこ」にあたるが、中国の大家族制では従兄弟やはとこを含む同世代は皆「兄弟姉妹」になるので、「妹」でも間違いはない。
他人をあまり寄せ付けぬ潔癖な性格で、仏門に惹かれている。(静かに行動するのが好き、気難し屋、等々性格も原作からこんな感じ)
原作キャラの中で彼女が主要キャラクターに抜擢された理由はいくつかあると思う。
父親と「吸血鬼退治」
理由の一つには、彼女の父親・賈敬(ジア・ジン)が大きく関わっていると思う。
賈敬は賈宝玉の父親・賈政の従兄でお隣の「寧国府」の家系に属する。彼の特徴は「家をほったらかして道士の修行をし、不老不死の丹薬作りに熱中している」という点。
つまり、「ジア家が不老不死を求める」という設定の着想元の1つが彼だと考えられる。(仙人と不老不死といえば中国のお家芸ではあるが、それと賈家を繋ぐ接点は彼)
さらに中国には吸血鬼=キョンシーがおり、キョンシー退治といえば道士の仕事。
というわけで、「不老不死のために川を探す」「ラ・マンチャランド討伐に参加する」という役割に、賈惜春はピッタリの人物なのだ。
宝玉との関係と共通点
ホンルはシーチュンについて「他の兄弟より僕に一番懐いてた」と語っているが、原作の宝玉と惜春には実際大きな共通点がある。それが
「俗世・家から離れる」
という点。
前述の通り、原作ラストで賈宝玉は「道士・僧侶」と共に俗世を去り出家する。賈惜春も物語の最後では出家し(※)、物語終盤では互いに影響を与え合っているような様子が描かれている。
なのでシーチュンがホンルに好意を寄せているのは原作で価値観が近い、ゲームでいうと「家」に対して懐疑的・距離感のあるスタンスが似ているためなのだと思う。
※)ちなみに賈惜春がなぜこういう潔癖な性格になったかというと、彼女の家(寧国府)には特に醜聞が多かったからと言われている。(彼女は賈宝玉らとは別の家系出身↓で、宝玉の住む屋敷で暮らしている。) |
ちょうどいい図があったので拝借しました。
賈惜春についての分析はこちらのブログ様が詳しいです。『紅楼夢』についても色々記事を書いておられるので興味のある方は是非。
kouroumu.com
お付きの「ウェイ」については今のところ元ネタ不明。weiの音に近い人物というと、史湘雲の夫になる衛若蘭(wei ruolan)がいるけど彼がこのポジションに採用される理由が分からない。
または賈惜春と同じ寧国府の一族で彼女の甥に「賈薔」がいて、「薔薇」の薇ならweiで7章イメージにも合うんだけど…「賈薇」は原作にはいなかった。中文版の表記を見ないと何とも言えない。
その他の家族
(1)姉妹たち
原作の賈家には令嬢が4人いてそれぞれ「春」の字がついている。惜春は一番年下で、四春の宝玉との関係性は大体以下の通り。(赤はゲーム中に登場・言及あり)
賈元春 | ユアンチュン | 実姉で宝玉を可愛がっている。貴妃として宮中にいる。 |
賈迎春 | インチュン | 従姉妹。 |
賈探春 | タンチュン | 異母妹。賈環の姉だが宝玉との仲は悪くない。 |
賈惜春 | シーチュン | はとこ。 |
シーチュンの他、ホンルの姉妹についてはこれまで2回言及がある。
1回目は、時間殺人時間の「兄(ファン?)と一緒に自分を殺そうとした姉」
2回目は、シーチュンが言及した「ユアンチュン姐姐」。
「ユアンチュン」についてはモチーフが明確で、賈家の長女で宝玉の実姉・賈元春。ということは、シーチュンだけでなくホンルにとっても姉なんだろう。
「兄と一緒にホンルを殺そうとした姉」がユアンチュンかどうかは不明。というのも、兄が賈環ならそこと協力しそうなのは賈環の同母姉の賈探春(タンチュン)だからだ。
探春は宝玉にとって妹(異母妹)だが、ファンのことがあるので姉でもおかしくはない。さらに言えば宝玉・賈環と違って宝玉・探春は仲が良いのだが、原作で善良な元春のアレンジを見る限り、原作に照らしてもあまり意味がない気がする。
(2)父(賈政 ジア・ジェン)
LCB囚人 | 父に新しい友達も紹介して…きっと楽しいですよ。 |
厳格な堅物、かつ科挙官僚で文芸をたしなむ典型的なエリートなので宝玉は苦手意識を持っている。学問嫌いの宝玉の将来を憂えて厳しく接し、時には体罰も振るう。
後述するが、玉を持って生まれた宝玉については、ただの人間ではないと複雑な思いを持っていたようだ。
(3)お婆さん(史太君)
K社人格 | お婆さんが社会勉強のため、都市のあちこちを回れとおっしゃった |
原作では賈家の長老的存在で宝玉を溺愛している。複数の人格で「お婆さんの言いつけで働くことになった」と言及されているので、リンバス世界でもジア家やホンル(バオユ)との関係において、重要な地位を占めているようだ。
(4)おじいさん(賈代善 ジア・ダイシャン)
牙狩事務所 | おじいさんに教わった通り、ちょっと手を使いました。 |
:原作では故人 。ゲームでは拷問に通じている模様。
(5)上から二番目の叔母さん(賈敏?)
時間殺人時間に出てきた小ネタ。この「叔母さん」はたぶん賈宝玉の叔母=賈敏。賈敏の夫・林如海(林黛玉の父)は揚州で巡塩御史を務めていた。
揚州という街は清朝最大の製塩地であり塩商人が集まる街。
「上から2番目」については原作だと賈敏に姉はいないが(しいていうなら賈宝玉の伯父・賈赦の妻か)、単なる小ネタで気にすることではないのかも。
しかし、賈敏への言及が単なる「小ネタ」なら黛玉も出てこないのかね。
【11/15追記】「賈家」≠ホンルの「家族」?
牙狩事務所人格のストーリーや台詞を読んで思ったこと。「家族とは何か」「人ならざる存在」が強調されている気がしたので、そもそもジア家はホンル(バオユ)の「血が繋がった家族」なのか?と考えた。
または「ジア家」のメンバー自体、実の家族ではない疑似的なファミリー?ただ、ファンとシーチュンは目の色が赤で共通しているのでやっぱりホンルだけ例外なのか。
これも自分の境遇と重ねて言っているような気がする。「通霊宝玉(左目)」の特殊体質を持つホンルは賈家に生まれついた「人間」ではなく、左目の力に目をつけられて賈家に引き取られ、利用され過酷な境遇に置かれてきた?
と考えると、「虚幻境」のE.G.Oイラストの意味するところも、窓の外に屋敷・部屋を埋め尽くす金銀財宝=「賈家の外部の人間、利益を生み出す『財産』」的なニュアンスのように見える。
原作では、父親の賈政が「玉を持って生まれた事は不吉だと思っていたが、母(宝玉の祖母・史太君)が可愛がるから育ててきた。下界に生まれ変わって19年間、母の目をくらませてきたのだ(第百二十回)」と息子を若干人間扱いしていない台詞も言っている。
だとすると、家族というテーマが8章ではなく7章で取り上げられたことも理解できる。
そうなると、左目が原因で?生まれ付いた家族の元から引き離され、過酷な境遇に置かれ…となるのでホンルの運命の大元にあるのは賈家ではなくやっぱり左目(通霊宝玉)なのか。
8章ボスは警幻仙姑あたりになるのかな。運命の元締めとも言うべき太虚幻境の長だし、「警幻」も情に従い運命に抗うのを否定する…というような意味合いがあるし。
8章はホンルのルーツを探る内容にもなるのかも。
賈家の「殺し合い」が表すもの
現時点で明かされている賈家の内情は相当に殺伐としており、原作の人間関係を踏まえると尻込みもするのだが、原作の思想を踏まえると、多分これは「封建社会・儒教道徳の病理」のメタファーなのだと思う。
原作を下敷きに考えると、たぶんリンバスの賈家の「殺し合い」=賈宝玉が嫌った儒教的礼教秩序と重なっていて、彼が自分も他人もそこに取り込まれることを嫌っている、という点では方向性が同じなのではないか(※)。
※)これについては、かの魯迅も礼教のしがらみを食人と重ねて、非人間的と批判している。 |
具体的には、「孝」「貞」など道徳実践の押し付け、それによる個の抑圧など。例えば『紅楼夢』には宝玉の兄嫁で未亡人の李紈という女性が登場する。彼女は早くに夫を亡くしたが「貞節」を良しとする風潮ゆえ、再婚はせず賈家にとどまっている。
夫という後ろ盾がいないので家の中での彼女の立場は弱く、「事なかれ」に振る舞い、息子の教育と科挙合格に打ち込むことでしか自己実現できない…というように描かれている。
「大義には逆らわず(ユロージヴィ人格)」というようなセリフもある通り、いわゆる儒教的礼教秩序とは「個人を超えた大いなるもの(秩序と、それを維持するための道徳)のため自己を抑圧する」もの。(よく考えるとここにも7章との共通点がある)。
そもそもが、儒教は戦乱の世において秩序を回復させるため生み出された思想であり、歴代王朝によって統治に採用されたのもその「秩序維持」に最も適しているから。最初から、個人レベルのミクロな幸福より社会の幸福を指向する大局的な思想なのだ。
ちなみに原作の賈宝玉が「未婚の少女が好き」なのもこういう「家の秩序の外にいる自由な存在」だからで、彼の「既婚女性」に対する視線や評価は年齢問わず厳しい。
『紅楼夢』のヒロインでは「礼教のしがらみに抵抗し続けたのが林黛玉」、「それと同化しきっているのが薛宝釵」で、『紅楼夢』はよく三角関係と言われるが、「どちらを選ぶか」というのは「どちらが女性として好みか」という単純な問題ではないのだ。
ちなみに、紅楼夢の女性たちは多く悲劇的な結末を迎えていく。これも「社会の通念に抵抗して自己を貫いた」結果であることが多く、周りの反対を押し切って出家を貫いた惜春もその一人。賈宝玉はそういう女性たちに同情を寄せ、尊んでいる。
人格考察
上で書いた「通霊宝玉」と次元渡り、の仮説にのっとると全部本人(囚人ホンル)という可能性もある?
総論
富豪のお坊ちゃんの割に、彼の人格はヤクザやフィクサー、テロリストなど全体的に危険な仕事・アウトロー寄りの人格が多い。
これについて、ゲーム内では「社会勉強のためお婆さんの言いつけで送られている」と説明されているが、原作の賈宝玉が「(当時の上流階級にとっての)『まともな生き方』を嫌っている」ことも由来の1つだと思う。
王朝時代の中国では、良家の子息にとっては勉強して科挙を受けて高位高官に登りつめるのが「普通」の生き方と考えられていたが、賈宝玉は科挙による立身も勉強も嫌っている。(ラストでは科挙に好成績で及第するので、能力的な向き不向きではない)
家族はそういう宝玉を心配しており、たびたび忠告・時には折檻もし、価値観的に近い林黛玉より「優等生」の薛宝釵との縁組を進めたのも彼に「正しい生き方」をさせるため。
というわけで賈宝玉は当時のお坊ちゃんとしては「不良」でエリート的な生き方は好かないので、裏社会寄り・危険な立ち位置の人格が割り振られているんだろう。
または、W社・K社など常人には適応が難しい仕事にもサイコレベルの適性を示しているので、前述の考察に基づき「自我の放棄」を示唆しているのかも。
一方で、好奇心や探究心と関係の深い人格も多いが、これは「賈宝玉」というより「通霊宝玉」の「人間世界を知りたい」という性質に由来するものだろう。ホンルの人格はいくつかのタイプに分かれる気がする。
「賈宝玉」タイプ(まともじゃない系)
ぽんぽん派ボス・黒雲会若衆(ヤクザ) |
鉤事務所・牙狩事務所・W社整理要員(危険な仕事) |
20区ユロージヴィ(革命派・テロリスト) |
「通霊宝玉」タイプ(好奇心・探求系)
南部ディエーチ協会 |
知識への探求、好奇心、「レンズで覗き見て探求する」(=原作の石の「人間界を覗き見て探求する」)。人格イラストで鍵をのぞき込んでいるのは左目。 |
20区ユロージヴィ |
「覗き見て探求する」というのがディエーチ協会と共通点。 |
「荘子」タイプ(自己放棄系)
K社摘出職 |
「ガラス管の中の安定」「仮死」=賈家のたとえ、外に出るのが難しい、死んだように、眠っているように過ごしている |
E.G.O.考察
虚幻境(憂鬱) |
上でも書いたように、「苦痛からの現実逃避(精神的にか、仙境=別世界への物理的逃避にか)」的な意味合いがある?逃避によって生き延びる=精神力回復効果 |
E.G.O.イラストの影は何だろうか。鐘のように見えるのだが、鐘というと、宝玉の親友で早世した「秦鐘」が思い浮かぶ。8章のキーパーソンになるんだろうか?
秦鐘は、賈惜春の甥の妻である「秦可卿」の弟。女性的な美少年で、宝玉の友人となる。「秦qin」は「情qing」にかけた命名で、「秦鐘qinzhong」という名前は「情種qingzhong(情のもと)」という意味。
この語は太虚幻境で歌われる「紅楼夢曲」の冒頭「開辟鴻蒙 誰為情種」にも現れ、ホンルの名前の由来かもしれない「鴻蒙」と対になっているのが気になるところ。
さらに秦可卿は太虚幻境の主・警幻仙姑の妹が地上に下ったもの。太虚幻境を訪れた時、賈宝玉は仙女の「可卿」と契りを結ぶ。夢の中とはいえ、彼女は賈宝玉にとって初めての女性である。
さらに言うと、賈惜春と仲のいい尼僧の智能は秦鐘の恋人で、ついでに宝玉と秦鐘自体ちょっと怪しい関係だったりする。紅楼夢という作品にとって「情」が重要なテーマであること、太虚幻境との関連、シーチュンのことも踏まえ秦家周りが絡んでくる可能性はあるかもしれない。
ソーダ(嫉妬) |
もとになった幻想体は「睡眠薬を盛られ漁船に連れていかれる」という都市伝説がモデルらしいが「他人に運命を決められる」点が選考理由か。または「投げ縄」と合わせて網を振り回す=捕まえる?(運命に捕らわれる)。一緒に抜擢されているのが、同じく家族絡みのしがらみがありそうな良秀だし。 |
桃色の欲望(色欲) |
「女の子が好き」という賈宝玉の原作要素から?賈宝玉の代名詞みたいな属性だけど、これを拾ってるのは珍しい。 |
低いなきごえ(怠惰) |
賈家で彼が経験した悲しみ、忌まわしい過去を象徴?ヒキガエルは中国だと色々な意味があるが、多産のため繁栄・富裕のシンボルなので賈家の象徴でもあるか。なお「蛙wa」は女神「女媧nuwa」とも結びつけられ、「通霊宝玉」は女媧が作った石。 |
次元裂き(傲慢) |
次元を超える=原作ラストの賈宝玉の仙化、または鏡を渡る推測と関連?台詞「次の世界へ飛び越えていく」はいいとして、「必ずしも僕がその場にいる必要はない」というのが意味深。通霊宝玉の次元渡りに連れまわされている? |
沸き立つ腐食(暴食) |
賈家の道徳的腐敗と「宝玉」=真珠?幻想体戦のイベントが意味深。①汚物の中で光る宝石(リウ協会ストーリーの「宝石のような子供」)、②「再び宝石が生成されたが以前とは別物」。次元裂きの台詞とも合わせて、ホンルを暗示しているようにも思える。 |
ちなみに真珠は中国語で「珍珠」というが、賈宝玉の腹心の侍女「花襲人」の本名は「珍珠」(襲人というのは宝玉が付けた名前)という。さらに賈宝玉の兄は「賈珠」、賈惜春の兄は「賈珍」。偶然だろうか? |
投げ縄(暴食) |
「ソーダ」や、幻想体戦の観測を踏まえると「捕まえる」というのがキーワードになっている可能性?ファウストの方に「変わらない結末」という台詞というフレーズがあるのでこれも「運命に捕らわれている」系か。 |
台詞と出典
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