壺中天

歴史、旅行、ごはん、ゲームなどアジアなことを色々つづります。

Blueskyのアカウントを消した話

いつもの自分語り。言語化によって思考と気持ちを整理することが目的なので、役目を終えたと感じたら消すかもしれません。Blueskyの、というよりは自分とSNS全般とのかかわり方について書いた内容です。

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Blueskyのアカウントを消しました。

現在SNSはX(Twitter)のみ続けている。でも交流は全くせず、趣味関連で考えたことや調べたことの発信をしているだけ。

長年やってなかったSNSを始めたきっかけは好きだったゲームの公式がTwitter経由でキャンペーンとか懸賞とか、色々企画をやっていたから(2022)。最初はとりあえず同じジャンルの人と繋がってみたり話しかけてみたりしていたけど、だんだん自分には合わないなと思いはじめかなり使い方に頭を悩ませるようになった。

数字やリアクションをみるのがキツかったので、初めて数カ月でおだやかTwitterを入れて、今ではおすすめFF数リアクション全部非表示にして完璧に自分の世界にして、ホームをメモ帳代わりにしているほか公式アカウントを見る程度の使い方をしている。

好きなものを共有できる人がいたら楽しいかなと最初は思っていたけど、「趣味の仲間を見つける」というのは案外難しいことだと気付いた。

たとえば自分はSWのオタクだけど、プリクエル・クローンウォーズに偏ったオタ且つディズニー以降は認めてない特殊なオタだし、アジア旅行が好きと言ってもKKTW辺りは興味ないから「SW」とか「旅行」とか大雑把なキーワードでは繋がれない。

興味ない情報が自動的に流れてくるって、結構しんどいし時間と精神力の浪費で人生にはマイナスだと思うんだよね(時間は有限という意味で)。少なくとも自分にとってはそうだった。

例えばゲームだって、課金して熱心にやっている人もいればそうでない人もいる、好きなキャラだって違う、原作や元ネタのあるゲームだったら、純粋にゲーム性目当てでやってるか元ネタに興味あってやってるかで受け止め方も違う。

実際の友人だったら、好みの違いはあっても人間関係が先にできてるから気にならないものが、ネットの付き合いだとそうはいかないので、何かズレを見つけると余計に気になってしまうし関係を切ることだってすぐにできてしまう。

気にならない・割り切れる人ならともかく、自分にはちょっと無理だな、と思った。コミュニティの連帯感も重荷だったし。

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それでも仲良くしてくださった方もいた。BlueskyもTwitterで知り合った方に誘われて始めた。最初は人の目の少ない所でもっと気軽にお話しできていいのかな、と思っていたけど、自分がSNSというシステムと如何に相性が悪いのかというのを再確認するだけに終わった。

Twitterの方で割と親しかった方を何人かフォローして気軽にコメントとかしていたんだけど、逆に交流に時間を取られるようになってしまったのと、対でコミュニケーションを取るならいいけど「誰にもそれが見えて誰でもリアクションできる」という仕組みがやはりどうしても嫌で、一度アカウントを消すことになった。

パーソナルスペースを厳格に守りたい性質なので、Twitterの頃から特定個人に宛てたリプライに他人がリアクションすることや巻き込みリプがストレスだった。誰か交流したいと思っても、SNSというツールでは無理だなと気づき始めた。

そもそもBlueskyはTwitterのように数字を非表示にできるツールがないので、それなしにSNSというものを使うこと自体が自分にはもう不可能だった。数字に振り回されるのがある種のトラウマになってたみたいで、画面見るだけでお腹痛くなったりしたし。

交流すると言っても、何を書けばいいかもわからず迷走していたので、発信より特定の知り合いと交流するだけのアカウントにしてやり直してみよう、ということでもう1度作って、やっぱりうまく使えなかった。

結局、書き込んでは恥ずかしくなって削除する、を何度も何度も繰り返していた。書きたいことを書くのではなく書くために書いている、つまり交流のため書くことを探している本末転倒状態で、そのことを自分でもわかっていたのだと思う。

だから相手の書き込みだけ見ようと思ったけど、そもそも、Twitterも含め、タイムラインという仕組み自体が自分にとってはノイズが多く不便で、合わないノリや言葉遣い、苦手な画像、自分が楽しめないことを楽しんでいる内容、無関係な第三者同士の会話、あとはRT、RPされた内容等々、見たくないものが多かった。

普通にしていたら見ずに済むものを強制的に見せられてしまうというのは中々しんどい。公式アカウントでも、しょっちゅう見てたら食傷するし押し売りみたいで疲れてくるし。

楽しかった瞬間もあったし未練もないとは言わないけど、それ以上に人目と対人ストレスから解放されたかった。今は仕事でも変化があって精神的にしんどい時期なので、調子を崩して実生活に影響が出たら困るし。結局一番大事なのは自分の安全。だからやめました。

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X(Twitter)も結局リプライ欄を閉じることにした。もともとリプライが来るのが、楽しみよりも怖かった。感じ悪い人もいたし、全く知らない人が旧知のように話しかけてくることもあって困惑したし、相手が知り合いでも、精神的に負担に感じてしまって返信するまで時間がかかっていた。

返さなきゃという義務感が負担、それに画面の向こうにいる人間を根本的に信用できなかったんだろうな。

色んな人がいるから、色々ありましたよ。ネタにマジレスされてめんどくさいと思ってしまったり、自分の意図とは違う方向に話を広げられたり、そういうのにいちいち礼儀正しく返信するのも正直時間と気力の無駄だった。

作品に感想が来たりしても、気を遣わせてしまっているなと思ったり、向こうが読み取ったことが自分の意図とすれ違っていたりすると、「ああ、上手く伝えられなかったな」という気持ちばかり残ってしまう。漫画とか、感想をいただいて嬉しいこともあったんだけど…

プロフィールに返事は出来ない旨は書いたけど、そんなところまで見ている人はあまりいないだろうし、結局リプライが来てしまったので結局それをできなくした。その方が悪いわけではなく、最初から相手の配慮に頼るのではなく、こちらが行動しなければいけなかった。

それでもメンションという形でリアクションは来た。こんな閉じこもっているのに話しかけてくださるのは有難いことだと思ったけど、たぶん逆で、何も考えてないからか、と気づいた。

これもその人自身じゃなくて、仕組み自体の問題。情報がどんどん押し流されてくる中で、一人一人の事情なんか考えたりしないだろうってこと。SNSのコミュニケーションってそういうどこか一方的なもんなんだろうと思うと色々腑に落ちる。

「その瞬間に思ったこと」を直感的に書いてるだけで、相手が誰か、(親しさの度合い等で)配慮が必要な相手か、発言の意図、自分の発言の推敲、そういうのあんまり考えない空間だなって感じる。良くも悪くも脳直で、自分もその場のノリで要らないこと書いたなって後悔することがよくあった。

自分には向かない、ということに気づいてから2年近く経って、何度も何度も同じことを繰り返して学ばないなと思うけど、楽しかった瞬間もあるからそこにズルズルしがみついていたんだと思う。

twitterは続けてるけど、理由は公式アカウントが他所に移行してないのと、調べてまとめること自体は好きで、需要のある人に一番届く媒体だから。人付き合いはもうしない。

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疲れた。でも重荷が取れてとても晴れやかな気分でいる。悩んで苦しんだ時間を、前向きに何かを作り出す時間にしたい。

お世話になった方には大変ご迷惑をおかけしました。こんな面倒くさい偏屈屋に声をかけてくださって本当にありがとうございました。

吹っ切る覚悟はしたので、これが最後の愚痴になると思う。