マカオの土地神をひたすら記録するシリーズその2。
※ちゃんとしたフィールドワークではなく、ただの感想と記録なのでご了承ください。
第2回は前回も拠点になったカモンエス公園から南下し、マカオ観光のハイライトである大三巴(サンパウロ天主堂跡)~セナド広場周辺のコレクション。
カモンエス公園~セナド広場
12.三巴門福徳祠
場所 | 連勝街 |
文字 | 三多社 |
対聯 | 三光普照人快楽 |
多籍神思境安寧 | |
形式 | 神壇 |
その他 | カオスひかえめ |
カモンエス公園前から東に歩いてすぐ、「連勝街」にある大きめの土地廟。軒下には「福徳祠」とあり、マカオでは、ここのような中規模の土地廟は「福徳祠」と名乗っていることが多い。Googlemapによると正式名称は「三巴門福徳祠」というらしい。
三巴というのは「サンパウロ」つまりマカオのサンパウロ天主堂(大三巴)を指しているのだと思ったが、両者の関連性が見いだせない。そこで調べてみた所、「三巴門」とはかつて存在した城壁の門の一つで、最も重要な城門であったそうだ(※)。
そして三巴門が19世紀に壊された後、その一帯を広く「三巴門坊」と呼ぶようになり、それがこの祠のある連勝街や新勝街の周辺。この土地廟がいつ建てられたものかは分からないけど、三巴門がマカオいちの城門であったというなら、豪華な祠があるのも理解できる。
神壇の文字によればこの土地神は「三多社」というようだが、こちらの由来もちょっと気になる。
※)マカオの城壁は海賊の侵入を防ぐためにポルトガル人が建造し、明政府に警戒されて上手くいかなかったのを、明清交代のどさくさに紛れて完成させたらしい。この城壁はポルトガル人居住地と中国人居住地の境界線としても機能し、教会は大体その内側にある。サンパウロ天主堂跡の近くには城壁の遺構が残っているので、カモンエス公園東~アントニオ教会~サンパウロ天主堂をつなぐ線あたりだろうか(冒頭の地図参照) |
三巴門関連の参考ページ
www.icm.gov.mo
ここからは建物自体の話。立派な廟だけあって、軒下の格子細工やステンドグラス風の窓、味のある書き文字風の対聯などいろいろと見所が多い。
堂内向かって右側に土地神の神壇があり、左側には用具入れや炉が設置されている。街角にある小さな祠とかだと空きスペースに観音様やアナザー土地神などが詰め込まれてたり色々賑やかなので、ここはかなりすっきりしている印象。
だから多分、あまりじっくり観察してないんだと思う。カオスが足りない!
***
もう一度カモンエス公園の前に戻る。アントニオ教会前から南に降る「花王堂斜巷」を下りていく。雑然とした中華的下町世界の向こうに教会がそびえる、マカオらしい眺めを楽しめる。
以前はここにワッフル屋があったけど、無くなってしまって残念。
***
13.失われた土地廟
場所 | 沙欄仔里 |
文字 | 正大光明(2010時) |
対聯① | 民豊物阜 国泰民安(2010時) |
② | 土地生白玉 地可出黄金 |
形式 | 廟 |
その他 | 取り潰し? |
今回(2024年1月)一番衝撃的だった土地神。花王堂斜巷にはいくつか横に路地が伸びており、突き当りには土地神が祀られているのだが…
こちらの沙欄仔里の土地神は消されてしまっていた。2010年に訪れた時は確かに土地神があり、手書きの独特なタッチで印象に残っていた。確かにこの時からあまり管理状態がいいとは言えない感じだったけど。
この裏道の人たちは、信仰を捨ててしまったのだろうか。黄色い塗料は明らかにぶちまけられた形だし、水色のはガムのようにも見える。土地神信仰に関心のないor自宅だけで祀る世代もいるのだろうけど、こうやって明らかにぞんざいに扱われているのは初めて見たのでショックだった。事情が気になるところ。
しかし、在りし日のこの土地神だけど、よく見たら物凄く面白いんですけど!?
土地神と包拯が同じ堂内に並んで祀られているのは初めて見るし、張天師もめずらしい。泰山石敢當もあるし、民間信仰のデパートみたいだ。なによりプリミティブな画風が唯一無二過ぎる。
本当に、惜しいものをなくしたと思う。
14.永樂里の土地廟
場所 | 永樂里 |
文字 | 永樂社 社稷土地神位 |
対聯 | なし |
形式 | 廟 |
その他 | 泰山石敢當、門口土地財神、観音様 |
沙欄仔里のすぐ隣にある路地が永樂里で、ここにも土地神が鎮座している。しかし在りようは何とも対照的で、装飾もふんだんにしてあるしお供え物もあるし、タイルや植物もしっかり手入れされていると思う。
cleanの意味でもbeautifulの意味でも、ここの土地神は非常に「きれい」だ。
…そこで思ったんだけど、この永楽里と沙欄仔里は横道で繋がっており行き来が出来る。もしかしたら、2つの土地神が統合した可能性もあるのではないか?
土地神は土地に帰属するものだしあまり考えにくいけど、永樂里の土地神を見ていたら、土地神ってやっぱり簡単に捨てられるような物じゃないのではと思うんだよな…。
ところでここの永樂社、神壇はないけど社稷土地神なんだな。実はあんまり区別してない?
最後に、こちらも2010年訪問時の写真と比べたら全然違ってビックリした。今の方が洗練されたなと思うけど、不揃いの手書き文字や石のご神体(顔が描いてある?)とか、以前のちょっと得体のしれない民俗的な感じも好き。
***
花王堂斜巷を降り、左に折れると果欄街~關前正街・關前後街に続いている。この辺りは昔ながらの家具屋や骨董品店が軒を連ねるレトロな商店街でお気に入りの場所だった。
しかし2024年に訪れたら、改装されて"おしゃれ"なカフェやらカラフルな建物が建ち並ぶどこにでもあるような場所になっていた。お金は落ちるのかもしれないけど、全く面白くなくなってしまった。
***
15.聚龍社の土地廟
場所 | 聚龍社(道の名前不明) |
文字 | 聚龍社稷之(以下不明) |
対聯 | なし |
その他 | 土地神像周りのディスプレイが楽しい |
關前正街の一角にある土地廟。門は閉まっている時と開いている時があり、2024年の訪問時だけ中に入ることが出来た。
この土地廟の本体はおそらくこの石の神壇で、区画の奥にある。門が閉まっていると死角になって上手く見えず、しっかり見学できたのは2024年だけ。左に一見なんでもない石(多分これもご神体)が置いてあるのがポイント高い。
神壇の上に福徳祠とある。今はひっそりとしているが、昔は官立の割と大規模な土地廟だったようだ。
手前側には土地神夫婦の像を祀る空間があり、門が閉まっている時もここは格子越しに見ることができる。ここは訪れるたびに少しずつディスプレイが変わっていて面白く、特に夫婦以外の神像は毎回変化している。
2010年は官吏風の神?⇒2014年は関羽⇒2024年は孫悟空・観音様と変化している。よく見ると、24年には土地神夫婦のデザインも新しくなっている。仏具も消耗品だし、業界のトレンドも年々変化するのだろう。
背景の黄色い壁と赤い張り紙も絵になって、ディスプレイの妙が楽しめる土地神だと思う。
*****
關前正街から東に進むと、マカオのシンボル・サンパウロ天主堂跡やモンテの砦がある。ポルトガル人との縁が深いこの辺りにも、漏れなく土地神がいらっしゃる。
*****
16.哪吒廟隣の土地廟
場所 | 哪吒廟となり |
文字 | なし |
対聯 | 風調雨順 国泰平安 |
形式 | 廟 |
その他 | - |
サンパウロ天主堂跡の近くには『封神演義』や『西遊記』でもおなじみの少年神・哪吒を祀る哪吒廟(ナーチャ廟)がある。マカオらしい、西洋と東洋のコラボレーションが面白い場所だ。
哪吒廟の隣には城壁の遺構があり、その間に小さな土地廟がある。
土地神は単体で、綺麗な木彫りの椅子に安置されている。ここの土地神は非常にシンプルなので、あまり書くことはない。
17.柿山哪吒廟裏の土地廟
場所 | 連安圍(柿山哪吒廟裏手) |
文字 | 福徳正神土地爺爺 |
対聯 | 公公十分公道 婆婆一片婆心 |
形式 | 廟 |
その他 | - |
マカオにはふたつの哪吒廟があり、もう一つはモンテの砦の南にある柿山哪吒廟(ナーチャ廟)。
哪吒廟自体も面白いが(いつか別に記事を書きたい)、廟を出て裏手の階段を降りると土地神の祠がある。柿山哪吒廟はお気に入りの場所でマカオに行くと毎回訪れるのだが、完全に死角にあるので、4回目の訪問までまったく気づかなかった。
寺院には大体土地神が付属しているので、ここも哪吒廟が管理しているのか。装飾品が割と豪華で手入れも行き届いており、綺麗な土地神。
ちなみに、土地神のお供え飾りとしてよく見かける一対の涙型の飾りは「金花」というが、ここの金花は孔雀の羽や房飾りがついていて特に綺麗だ。
真ん中の鏡つきリボンと赤と金の色紙もよく見かけるが詳細は不明。風水で戸口に凸面鏡を飾る習慣があるのでそれと関係しているんだろうか。次にマカオに行ったら調べてみようと思っている。
さらに、この土地神のある連安圍を奥に進むと、井戸龍神を祀る祠もあった(井泉龍王神とある)。井戸龍神が単体で祀られているのは初めて見たが、つまりは井戸のあるところが限られているということか。
同居人が多すぎて、もう何を祀ってるのかよくわからないことになっているけど…。でもそのおかげで見た目に華やかなのと、壁の汚れ具合や木の配置がいい感じで絵になる祠だと思う。ビジュアル的にかなり好き。
セナド広場周辺:北部
*****
哪吒廟から坂道をくだり、マカオのもう一つのシンボルであるセナド広場へ。セナド広場周辺はいつでも観光客で賑わい、彼ら向けのお店も多いが、広場の少し西、市場(営地街市)と関帝廟のある辺りから雰囲気が変わって地元色が強くなる。
この辺りはかつてマカオの商業の中心地だったところで、質屋博物館になっている徳成按や老舗の薬屋・同善堂など歴史ある店舗が今でも残る。関帝廟があるのも、関羽は商売繁盛の神様だし、そもそもこの廟は商人の同業組合の事務所である「三街会館」に付属していたものだった。
お気に入りのパン屋兼食堂・金馬輪珈琲店があるので、この辺りには自分もよく足を運ぶ。周辺には入り組んだ路地がいくつもあり、場所柄住宅よりは事務所や店舗、または露店などが多いように思う。こうした場所にもしっかり土地神が祀られている。
*****
18.鍾家里の土地廟
場所 | 鍾家里 |
文字 | 土地之(以下不明) |
対聯 | 白髪知公老 黄金賜福人 |
形式 | 廟 |
その他 | ススでまっくろけ! |
お気に入りのパン屋、金馬輪珈琲店で朝食を食べた後、近くの路地を歩いてみたら発見。食堂や屋台があるので、朝食を食べる人たちや登下校の子供たちをちらほら見かけた。
朝だったので、ちょうど渦巻き線香を付け替えているのを見ることが出来た。大体1日で燃え尽きる計算なんだろうか?
大事に手入れされているけど、全体的にすすで真っ黒!炉の辺りなんて原型留めてないくらいだし…。ここまですすだらけの土地神は珍しいけど、排気とかの関係かね?
ここの土地神本尊は長老の風格たっぷり。左右にいるのは観音様と夫人(土地婆)。
19.商人巷の土地廟
場所 | 商人巷 |
文字 | 本街土地 |
対聯 | なし |
形式 | 廟 |
その他 |
何気なく通った路地にて。本街土地とあるので、この通りを守護する土地神だろう。路地裏迷路をうろつくのが大好きなので、気の向くままに歩いていただけでどの道かは全く分かっていない…。18の土地神の近くだろうとは思うけど。この辺りは心なしか不動産のお店が多かった。(7/21追記:商人巷と判明)
この三角形の無骨なご神体が、なかなか見ないタイプで好き。ステンレスの線香入れも無骨!
セナド広場周辺:南部
*****
大勢の人でにぎわうセナド広場を抜け、「新馬路」を渡って南の方へと向かう。遊郭跡地を改装した「福隆新街」があるが、この辺りも土地神収集にはなかなかいいスポット。
そして、このエリアの土地神は対聯に凝っていて面白い。色々見ていると、祠に添えられた対聯(対句)は「白髪知公老 黄金賜福人」等、ある程度定型文があるのが分かる。しかしこのあたりの対聯は、地名を読みこんだオリジナルのものが多い。
文人の香りを感じるので、歴史が古いのかな…と思うけど神壇ではなく廟だからそうでもないのか。
*****
20.徳隆新街の土地廟
場所 | 徳隆新街 |
文字 | 本園?土地・門官福徳正神 |
対聯 | 徳業官?職 隆恩地〇〇 |
形式 | 廟 |
その他 |
マカオの路地の入口には、門が建っていることもある。この徳隆新街にもレンガ造りの立派な門があり、文字を見ると咸豊年間=清末に作られたものらしい。
こうした門の近くにはよく土地神が祀られており、ここもその一つだ。如何にも中華的な原色ギラギラ空間だが、門の奥にあるため陰になっていて意外と目立たず見つけにくい。
ここの路地は「福隆新街」……ならぬ「徳隆新街」。これに合わせて、対聯の出だしは「徳業」「隆恩」となっている。
21.桔仔街の土地廟
場所 | 桔仔街 |
文字 | 本坊社稷土地之神 |
対聯 | 宏恩敷合境 隆徳祐群生 |
形式 | 廟 |
その他 | いかついけど可愛い |
セナド広場から福隆新街に行く途中にある土地神。道の名前は桔仔街だがエリア(坊)名は宏隆坊というようで、対聯の出だしも「宏恩」「隆徳」とお馴染みのパターン。
どっしりした形状や石の香炉、大きく堂々と書かれた文字等々、なんとなくマッシブな印象がある土地神。一方で上部の装飾が凝っていて、そのおかげでランタンや爆竹など吊り飾りを沢山飾れる。これは他に見たことないので、この土地廟ならではの魅力だと思う。
象と獅子の彫刻もあるが、獅子はともかく象ってどういう意味だろう。いつもの如くゲン担ぎなんだろうけど。象xiang=祥xiang?
2017年に再訪したら土地神像が増えていた。ランタンや爆竹など吊り飾りも沢山飾ってあり、大切にされているのが分かる。ぶら下がっているのは小さな蜜柑?この通りは「桔仔(みかん)街」なので、そういう洒落もあるのだろうか?
22.福榮里の土地廟
場所 | 福榮里 |
文字 | 土地福徳正神位 |
対聯 | 福蔭一坊歌盛世 栄沐萬載慶長春 |
形式 | 廟 |
その他 | 観光地のすぐ近く・念のこもった書き文字 |
人気観光地の福隆新街に面しているので、見たことがある人も多いと思う。
かつて遊郭だった福隆新街には2階建ての建物(置屋?)が軒を連ね、今は大体店舗になっている。ぎっしりとお店が並ぶその一角に、路地へ通じる門がぽっかり口を開けている。
その先にあるのは、年季の入った住宅が並ぶ福榮里。この土地神は、福榮里の守り神だ。
以前福隆新街の戸口は赤く塗られていたが、近年修復されて本来の緑色に戻った(※)ので、土地神の赤がより目立つようになったと思う。路地へと続く門に、ちょっと不思議な祠。冒険心をそそられて、ついつい足を踏み入れたくなるロケーションだ。
※)以前の修復時、ポルトガル植民地政府が勝手に赤く塗ってしまったのだそうだ。遊郭は青楼ともいうし、この方が相応しいのかも |
屋根や彫刻のある立派な門に入ると、壁に囲まれたトンネル状の空間になっている。土地神の隣に南欧風タイルの標識と西洋風の街灯が並んでいたり、マカオ的魅力に満ちた空間だ。
土地神の隣には門口土地神・天官を祀る神位が置いてある。これは地域を守る土地神に対して「家単位の守り神」で、それぞれ天地の神様。マカオの家の戸口には大体二つセットで飾ってある。
やや無造作な置き方だが、線香や水がしっかり供えられている。蘭の花の置き方はそれでいいのか……
その他、壁にも色々書いてあって面白い。祠の向かいの壁に書かれているのは(写真左下)なにやら仏教的な詩のようだけど、祠の横には注意書きが描いてある模様(見出しの写真参照)。
とぎれとぎれにしか読めないけど、「坊を汚し危害を加える…大塔香(多分渦巻き線香)…髪が燃える」とある。後半は多分、渦巻き線香を燃やしたら通行人に灰が落ちて危険、ということか?
火を使うことに関する注意書きはあちこちの廟や祠で見かけたので、それ自体は珍しくもないが壁に手書きというあたりに強い念を感じる。他の書き込みは細くて端正な文字なのに、ここだけ筆致が荒ぶってるし。
この奥にある福榮里は、ノスタルジックでとても素敵な空間。外観を見るにもう100年くらいは経ってそうな建物だと思うけど、どこも現役だ。リフォームしながら使っているんだろうか。観光地化された表通りと昔ながらの暮らしが息づく裏路地、通り一本隔ててまるで別世界なのが面白い。
とはいえ普通の住宅なので、話し声や飲食等々配慮をもって見学したい。
23.苦力圍の土地廟
場所 | 苦力圍 |
文字 | 本坊土地福徳正神 |
対聯 | 白髪知公老 黄金賜福人 |
形式 | 廟 |
その他 | 珍しい寿老人型 |
路地の入口に祀られた土地神。ここの土地神はマカオの中でも一風変わっていて、寿老人(南極仙翁)の姿をしている(※)。粗削りな造型や赤い肌など、素朴とミステリアスが同居していていかにも民間信仰的で好き。
今の所、寿老人が土地神やってるケースはここしか知らないので非常にレア。
そもそも神様はそれぞれ仕事が異なり、土地神はただ土地を「守る」だけでなく土地の霊魂を管理し、上司(城隍神)に住民の善行悪行を報告したり霊魂同士のトラブルを解決したりする役目も負っている。(詳細はこちら)
これまで他の神様が「土地神」として祀られているケースとしては何度か出てきた包拯の例があるけど、包拯は民を守る裁きの神なので、土地神をしていても違和感がないのだ。
だから寿老人が土地神ポジションに置かれても得意分野が違うのだが、逆に考えると、時代が下って?「土地神=裁判」という認識が薄れ「有難ければ何でもいい」とアバウトな現世利益的信仰に変化していったと考えることもできる。そう考えると面白い土地神だと思う。
※)長い禿頭、たっぷりとした白い顎ひげ、杖を持っているのは明らかにこの神様の特徴。ちなみに日本だと七福神の「福禄寿」がこの姿をしているが、本来中国では「福禄寿」は「福・禄・寿」星の化身である3人の神様のことで、その寿星の化身が「寿老人」。なので、寿老人と福禄寿は本来同一人物なのだ。 |
*****
24.龍嵩正街の土地廟
場所 | 龍嵩正街の路地裏 |
文字 | 本坊土地福徳神位? |
対聯 | 地嵩出丁財 土龍本坊旺 |
形式 | 神壇・廟 |
その他 | シークレット度が高い |
丘の上にある西洋式劇場・ドン・ペドロ5世劇場から坂道を降りた所の、小さな路地を入った所にある土地廟。
路地の突き当りに赤い壁が見えるので意識していれば見つけやすいが、そうでなければ全く気づかず通り過ぎてしまうような、そんな場所にある。
目立たない割にクオリティは高く、装飾も可愛く見ごたえがある。それだけに、見つけた時の嬉しさはかなりのもの。2017年に訪れた時はカラフルな旗が飾られ、賑やかな雰囲気になっていた。
この土地神の対聯も「地嵩」「土龍」とこの土地廟がある龍嵩街を意識したものになっている。
お堂の隣には神壇があり、「龍新社」と書いてある。多分こちらの方が古いんだろうな。それにしても、他の社壇にも言えるけど「〇〇社」の〇〇というのは古い地名なんだろうか?それとも、「〇〇神社」のように社自体の名前なんだろうか?ちょっとよくわかってない。
*****
以上、マカオ半島の中心地であるサンパウロ天主堂跡からセナド広場にかけての土地神を記録した。
土地神は性質上、路地の入口や突き当りに祀られていることが多いので、歴史が古く細い路地や住宅地の多い(=人口の多い)この辺りにはたくさんの土地神がいると思う。9月にはさらに収集を進めたい。
*****